少年時代編 自己紹介

アラフィフの少年時代 番外編 50周年の同級生たち ハンバーガー編

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さて、Eと同世代の「50周年」の特集第二弾です
前回は50周年を迎えた「ルパン三世」のテレビシリーズについて語りました。

今回は、同じくEと同世代のハンバーガーショップマクドナルド(1971年~)とモスバーガー(1972年~)です。
生活に密着しているハンバーガーだけに、これまでの人生の様々なシーンでこの二つのハンバーガーチェーンと関わりがありました。

みんなも大好き「マック」と「モス」についてのEの想いを語ります。

前回の記事です。

ハンバーガーとの出会い 中学時代

現代の人にとってハンバーガーって、生まれた時から身近にある存在ですよね。
Eにはセブに住む4歳の娘がいますが、0歳の頃に初めて日本で過ごした時にもよく近所のマクドナルドに連れて行ったものでした。

恐らく、Eよりひと世代以上若い人で幼児期にハンバーガーを食べたことがない人はいないかと思います。
でも、Eが生まれて初めてハンバーガーを食べたのは、中学生の時でした!

街で初のハンバーガーショップ

というのも、Eの地元に初めてのハンバーガーショップができたのは、Eが中学生に上がったばかりの頃でした。
そのハンバーガーショップの名前は、

ドムドムハンバーガー!

1980年代、今から約四十年前にEの地元の駅ビルにできたこのハンバーガーショップで食べたチーズバーガーが、Eにとっての初バーガーだったのでした。
当時の食べてみての感想は「まあまあかな」といった程度でした。

当時のチーズバーガーは確か220円くらいでしたが、中学生のEのお小遣いで買えるのは一番安くて具の入っていない「ハンバーガー」か次に安い「チーズバーガー」くらい。
今でも各ハンバーガーショップの最低単価の商品ってハンバーガーかチーズバーガーですよね。
そして、ハンバーガーやチーズバーガーって、てりやきバーガーなどの花形商品と比べると「まあまあ」なレベルの味ですよね。

ドムドムハンバーガーはその後場所を変えたりしながらもEが大学進学で上京するまでわが街に存続していました。
その後、東京でドムドムバーガーというハンバーガーショップを見ることもがなく、たまに帰省してもいつの間にか姿を消していたため、倒産したか吸収合併でもされたかで会社自体なくなったものと思っていました。

しかし、店舗数は少ないようですが今でもあるようです!
失礼しましたー

ドムドムハンバーガーの公式サイトはこちら

そのドムドムハンバーガーの現在の「チーズバーガー」がこちら。なんど約40年振りの再会!

写真引用:ドムドムハンバーガー公式サイト
https://domdomhamburger.com/menu_burger



そうそう、ちらっと見えていますがピクルスが入っていました。ピクルスというものをこのハンバーガーで初めて知ったのでした。
現在の価格は単品で280円だそうです。

と、『50周年』という今回のテーマから少し外れているんじゃないの?と思ったかもしれません。
ご心配なく。

なんと、ドムドムハンバーガーは1970年2月に東京都町田市で日本初のハンバーガーショップとして出店されています(wikipedia情報)。
昨年、2020年に50周年を迎えた、れっきとしたEの同世代だったのでした!

Eの地元でもドムドムハンバーガーは初のハンバーガーショップだったわけですが、その後「ロッテリア」が出店されたりしましたが、Eが日本を代表するハンバーガーチェーンである「マクドナルド」や「モスバーガー」を知るのは、あの(?)日本大学に入学して上京してからになるのでした。

モスバーガーでバイト

遡ること30年前、世はバブル期
日本大学商学部に入学したE。
大学のキャンパスは小田急線の祖師ヶ谷大蔵が最寄り駅だったんですが、京王線仙川駅から徒歩5分、仙川商店街を桐朋学園大学方面に抜けてすぐのあたりにアパートを借りて住むことになりました。

通学はバス、または後に免許を取ってバイクでした。
そしてアルバイトは、アパート近くの仙川商店街で探しました。



それまで全くアルバイトなどしたことのないE。
とりあえず初めてのバイトはチェーン店がいいのかな、というのと家から徒歩二分で当時24時間営業でなんとなくお客さんが少なくて忙しくなさそうな時間にシフトに入れそう、という消極的な理由で選んだのが、

モスバーガー!

でした。

モスバーガーの公式サイトはこちら


仙川商店街の出口ミスタードーナツの向かいにあったモスバーガーは今はそこにはなくなっているようです。
当時はフロムエーなどのバイト情報誌で探すのが主流でしたが、Eは店の前に貼られた募集広告の電話番号をメモして電話で応募しました。

店長の面接を受けて採用!
深夜勤務可としたE。やはり深夜に勤務する人は少ないらしく、希望通り夜の10時以降が中心。始めは週に3回ほどで、一日5~6時間のシフトとなりました。

しかし問題が。
なにしろ働くこと自体初めて。
しかも、上京するまでほとんど同い年の友人以外、大人との付き合いがなかったE。
初出勤では緊張はするは、先輩バイトとの受け答えもまともにできないはでかなりのストレスを抱えました。

さすがバブル期の東京
夜はお客さんが少ない?と思いきや深夜0時頃までは続々とオーダーが入ります。
商品がハンバーガーだけに、持ち帰りで家で食べるというお客さんも多く、しっかり忙しかったです。

Eの最初の業務はレジ係。お客さんの注文を聞いて料金のやり取り。
小規模だった仙川店の夜のスタッフは新人Eを含めて5人くらいの体制。
Eと同じ大学生くらいのバイトもてきぱき動いている。
一方Eはレジの前に3人4人と並ぶとテンパりまくってレジを打つ手も震えていました。

午前0時を過ぎるとオーダーは落ち着き朝にかけて調理用具の清掃、メンテナンスの時間です。
実はE、この時間がさらにストレスでした。
何がストレスかというと、ピーク時間を過ぎての従業員同士の会話。

上京したての完全なる田舎者
全く世の中や社会を知らない世間知らず
職場の全ての人に気後れして上手く話せなかったのでした。
一方、他の従業員は和気あいあい。輪に入れません…

しかも、深夜のシフトで一緒になる店長から社員、アルバイトと全てのスタッフが職場で最弱のEをカモになにかとマウントを取りにきます。
後に飲食店の店長となったEは、この「ちょっとばかり職場の先輩」「ちょっとばかり人生の先輩」なだけの店の従業員が、Eが採用した新人バイトにやたらとマウントを取とうとしたり、必要以上に厳しくして自分の優位性を誇示しようとする行為には厳しく目を光らせていました

なぜなら、そういった行為は新人バイトには非常に大きなストレスになり、

Eのように、すぐにやめてしまう可能性が大

だということを知っていたからです。
そればかりではなく、ちょっとばかり現場のオペレーションに慣れている程度のレベルで、自分よりちょっとばかり未熟な人間にマウントを取って優越感を得ようとする行為は人間として愚劣、だからです。

現在派遣社員のEは、時折職場でそういう人間を見かけますし、E自身入ったばかりの職場でこういったパワハラ的行為の対象になったりもします。
Eの場合はのちに圧倒的なパフォーマンスを見せつけて黙らせますが、そうもいかないこともあるでしょう。

Eも会計事務所で働いていた頃は、周りが筋金入りのプロばかりで思うようにならないことだらけでした。
そんな職場でパワハラを受けた場合って、やはり逃げるしかないでしょうね。
いかに愚劣な行為とは言え、新人がその手のパワハラを撃退するのは難しいことです。

大学一年生の新人バイトEも、逃げました。
夏休み前にテスト休みを取り、休み中に「合わないから辞めます」と電話して終了~
正味3か月に満たない期間でした。


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Eのお気に入りのモス

そんな苦い思い出のモスバイトでしたが、ひとつだけ楽しみがありました。
休憩時間に社員割引でモスバーガーの商品を食べること、でした。

やっぱりバンズも厚く、具もしっかり作られているモスはおいしい。
一番好きなメニューはお馴染みの、その名も「モスバーガー」
これです!

写真引用:モスバーガー公式サイト
https://www.mos.jp/menu/detail/010320/1/



このたっぷりのミートソース大きなトマトがマッチしていておいしいんですよねー。
今でもEの一押しです。
こちらは当時に比べると値上がりしましたね。単品で390円。

次に「てりやきチキンバーガー」
「モスバーガー」と甲乙をつけがたい一品です。
モスのてりやきチキンはチキンをしっかりオーブンの直火で焼いています。よって調理に結構な時間がかかります。すぐに辞めたんでそこまで正確な情報は知りませんが、恐らく定番メニューの中では一番時間がかかるメニューなんじゃないでしょうか?

よって、今でも店が混んでいるときはこのメニューを注文するのはつい控えてしまいます。
単品で380円。

写真引用:モスバーガー公式サイト
https://www.mos.jp/menu/detail/010007/1/



それに、もうひとつのモスの売りがポテトですよね。
同業他社と一線を画す、肉厚でポテトの食感が残っていて、しかもカリカリ感もあるという。

写真引用:モスバーガー公式サイト
https://www.mos.jp/menu/detail/P00015/7/



Eはできればモスのポテトをビールのおつまみとして食べたいんですが、モスのメニューに酒類はなし。
持ち帰るとあのカリカリ感が損なわれる。
できることならメニューに生ビールを増やしてもらえないものでしょうか?

と、バイトは短期間で辞めましたが客として長い付き合いを続けているEでした。

マクドナルドの利用法

マクドナルドもやはり、Eは大学入学で上京して初めて体験したのでした。
仙川商店街にももちろん、甲州街道側にマクドナルドがありました。
今は駅の真ん前にあるようですね。
しかも今月オープンですか?仙川に復活?
おめでとうございます。

日本マクドナルド公式サイトはこちら

大学生の味方、マクドナルド

大学生Eがマクドナルドをどう利用していたかというと、勉強や読書、そして執筆です。
大学の試験勉強(極めて少ない時間でしたが)をしたり読書したり、小説を書いたりしていました。

大学では文芸研究会というサークルに入っていて、時々仲間と同人誌を作って配ったりしていました(売れはしませんでしたから)。
当時から家にいるとなにも集中できない性格で、集中が必要な作業はとにかく外でやっていたんですが、仙川に住んでいて最も安く長居ができる場所はやはりマクドナルドでした。

当ブログの記事がやたらと長文なのは、字数無制限で表現をすることができる小説を書いていた名残りではないかと思います。
書き上げた、完全に村上春樹の影響を受けていることがバレバレな下手くそな小説は、雑誌の新人賞に応募したりもしましたが予選を通ることさえありませんでしたが…

マクドナルドでEがとにかく絶品と認めるのが「てりやきマックバーガー」です。
てりやきソースとマヨネーズとの絶妙なコンビネーション!
これです。

写真引用:日本マクドナルド公式サイト
https://www.mcdonalds.co.jp/products/1070/



当時、マクドナルドでてりやきマックバーガー以外のメニューを注文した記憶がないほどです。
というのも、マクドナルドの他のメニューがいまいちでEの舌を捉えきれていないかった、という理由もありました。
おまけにこの頃のマクドナルドのホットコーヒーは今では考えられないほどおいしくなかったのでした。
例えるなら何かを燃やした炭を熱湯に溶かした液体、といったような。
そんなわけで、コーヒー好きのEはマクドナルドでは真冬でもアイスコーヒーを注文していたのを覚えています。

が、それも古の話。
その後のマクドナルドは続々とEの舌を虜にする商品を世に送り出します。
Eが最もマクドナルドを利用したのは、社会保険労務士の試験勉強をしていた2年間でした。

社労士試験合格の源、マクドナルド

大人になり、アラフォーになっても家では集中できないEは、2年に渡る社労士試験の勉強をとにかく外で、喫茶店、ファストフード、ショッピングモールのフードコート、図書館と地元の長居のできるありとあらゆる場所で勉強していました。

なにしろ毎日毎日仕事が終わってからも、週末はがっつりと勉強していたわけですから飲食の経費も馬鹿になりません。
仕事の後となると、できるだけ時間のムダをしたくない、アクセスもいい場所。店の人の目も気になる。
そうなると最も都合がよかったのが家からほど近いショッピングモールのフードコート
その中でも最も安価に飲食できるマクドナルドだったのでした。

しかも当時、100円マックなる日本の低所得層に優しい、一方日本の物価抑制に大きく貢献した商品の品ぞろえがありました。

Eの定番は、まずホットコーヒーのSサイズ、100円
そして、マックポークという同じく100円の商品でした。

マックポークという商品、100円という最低価格帯にもかかわらず、おいしくて毎日のように食べても飽きることがない味でした。
近年「ヤッキー」として200円で販売されていた商品と、生姜焼きの風味のソースの味が似ていました。
ヤッキーもかなりの人気商品だったようです。

そしてこの時期、あの不味かったホットコーヒーの味が劇的に改善され、おいしい、とは言えないまでも飲めるレベルになっていたのでした。
そんなわけで、マックポーク+ホットコーヒーSの組合せは何百食食べたことでしょう。
そしてどれほどの時間を夕方のフードコートの閑散とした客席で過ごしたことでしょう。

社会保険労務士試験についての過去記事です。

外国のマクドナルドたち

かつて、多くの国を旅して台湾に住んだこともあるEは、もちろん行きました。
外国のマクドナルド

まず、約20年前のアジア放浪旅行
当ブログの人気シリーズでもありややネタバレになりますが、アジア各国を回った旅で時折マクドナルドを頼ることがありました。

「頼る」と述べましたが、食べ物がおいしくない国での救いの手段としてマクドナルドを頼ったのでした。
当時、1年にも及んだ放浪の旅でタイやシンガポールで長い日数を過ごしましたが市中のレストランや食堂、屋台での食事がおいしすぎて、マクドナルドなど入ろうとさえ思いませんでした。

そもそも当時、マクドナルドが存在しない国もありました。
ベトナム、カンボジア、ネパールなどです。

Eが頼った外国のマクドナルド、まずはインドです。

インドのマクドナルド

インドは1年の旅の中で滞在期間は最長だったと思いますが、とにかく食がおいしくなくて困りました
カレーが大好きなEですが、Eが滞在した北インドのカレーは世界で一番不味いと思っています。

インドの旅も1か月を過ぎた頃、街で食べられる安い食事といえば定番はターリーと呼ばれる3種のカレー盛りなんですが、もうホントに食べたくなくなります。
食に苦しんだ原因には食べられるものの種類の少なさもありました。
要するに「飽きる」わけです。

かといってインドでは中華や和食を食べても味のレベルはターリーと変わらず。
バナナやパンを食事と食事の間に挟むことでなんとか生き延びていたんですが、ある日ニューデリーで初めてマクドナルドを発見しました。

もちろん即入りました。
メニューを見ました。
全部カレー系のメニューでした。
それでもマクドナルドというブランドを信じて、街のカレーよりおいしいはず、と期待しました。
結果は、外れでした…

インドの屋台で売っているサモサのようなカレー味のジャガイモ的なものがバンズに挟まっていたのでした。
味も街の食物と同じレベル。
店内も暗くて古めかしくて、インドの匂いがしてまさにインド
どうした、マクドナルド~

インド、バラナシのバーガーキング(偽物) 撮影:E
写真の女性は旅で出会ったアメリカ人のジャスミンさん

パキスタンのマクドナルド

インドにも負けるとも劣らず食に困ったのがパキスタンでした。
パキスタン滞在中は、旅に疲れていたというか体調不良が続き、刺激物を受け付けなくなっていたし、街での食事も大雑把な味付けでばかりでおいしいとはとても言えない。

そんなパキスタンの旅の途中でもやはり、ラホールというインド国境から入った最初の街でマクドナルドを発見
さてお味は?

こちらは大当たりでしたー!
ハンバーガーも日本レベルの美味しさで写真の通り店舗もきれい。外とは別世界!
ここでようやく、西へ、次の街へ、と目指す英気を養うことができたのでした。

台湾の麥當勞と地球村

台湾では「MacDonald」を中国語の当て字を使って「麥當勞」と表記します。
台湾は台中市で約3年間、日本語教師をしていたE。

「地球村」という台湾の大手語学学校で教えていた頃、仕事は教室での講義の他にもありました。
日々の授業の教案作りです。

これが結構時間がかかって、Eは授業と授業の間に学校の近くのファストフード店や台湾式のお茶屋で作業をすることが多かったのですが、ここでも安価に長居できるマクドナルドが活躍しました。

台湾のマクドナルドは意外と日本と同じようなタイプの商品が多かったです。
違ったのはポテトには必ずケチャップ(蕃茄醤)がついていたこと。
これは台湾のビックマック(大麥克)のセットです。
当時確か139元くらい。

台湾のビックマックセット 撮影:E

台湾マクドナルドの公式サイトはこちら

まとめ

Eと同級生、同世代のハンバーガーショップたち。
日本経済の成熟期に生まれたEと日本のハンバーガーショップ。

Eがハンバーガーの味を知ったのは遅かったわけですが、その後の人生は常に傍らにハンバーガーがあったといってもいい、かな?

そんなハンバーガーショップもコロナ禍で家族と一緒に過ごすことができなくなり、長いこと遠ざかっています。
再び家族でハンバーガーやポテトを食べられる幸福の日々を待ちわびる今日この頃でした。

今回は番外編でしたが、Eの少年時代の世相をこれからもお伝えしていきます。
今年2021年はセブの自宅でSari Sariストアを開業したEですが、来年2022年はハンバーガーショップを併設する予定でもあります。
そちらの報告も乞うご期待!

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