Eの未来を切り開いたシンガポールでの出会い、続編です。
シンガポールの紀伊国屋書店で出会った、当時音楽関係の仕事をしていたノリさん。
その人こそ、Eが後に台湾移住を果すきっかけを作ってくれた人だったのでした。
さて、ここシンガポールに於いて果たして台湾とがどう繋がっていくのか?
シンガポール在住のノリさんと台湾との関係とは?
Eの20年前のアジア放浪旅行、前半最大のクライマックスです。
前回の記事です。
元日本語教師ノリさん
シンガポールの紀伊国屋書店でノリさんと出会って意気投合。
Eのシンガポール滞在中には毎日のように会って、音楽のこと、旅のことなど、様々ことを語り合うことになりました。
その中でノリさんが、シンガポールに来る以前のことについて触れました。
有名音大卒でシンガポールで音楽教育関係の仕事に携わっていたノリさんですが、彼の職歴で唯一音楽関係以外のものがありました。
それが日本語教師。
しかも台湾で。
ノリさんの話によるとこうでした。
①シンガポールに住む前に台湾に数年間住んでいた。
②日本語教師の仕事をしていた
③シンガポールと違って台湾は楽しい(あくまでもノリさんの感想)
なるほど、台湾、日本語教師。
楽しいかもですよね。
ノリさんによると、台湾での日本語教師の仕事は生徒たちと友達のように仲良くなれて、一緒に屋台が集まった夜市に出かけて美味しい台湾料理を食べたりと、最高に楽しい日々だったとのこと。
うんうん、それは楽しそう。
オーチャードロードからすぐにあるノリさんのアパートを訪れた時には、ノリさんの台湾時代の写真なども見せてもらいました。
そこに写っていたのは、現在のノリさんとは打って変わって台湾人の生徒さんたちと楽しそうに過ごしている笑顔のノリさん。
どうもプライベートが充実しているとは言えないようで、何かとシンガポール生活の愚痴をこぼしている現在のノリさんとは対称的な姿。
ノリさんは、「今の仕事を辞めたら、また台湾に行こうと思っているんだよね」と。
はい、確かに文句たらたらのシンガポールにずっといるよりいいんじゃないでしょうか。
歴史あるラッフルズホテル、中に入るだけならタダでした。 撮影:E
台湾で日本語教師!?
そしてノリさんの次の言葉が、
「その時は台湾の日本語学校の仕事を紹介しようか?」と。
「え!?」
Eが移住先を求めてアジアを放浪しているのを知っているノリさんからの提案。
そうです、これは旅を始めて3か月にしてようやくつかんだ海外移住のきっかけでした。
ノリさんはさらに台湾での生活の素晴らしさをEに伝えてくれます。
ただ、移住するにしても不安は多くあります。
「日本語教師なんて、そのための教育を受けなければならなかったり資格が必要なんじゃないの?」と聞くと、ノリさんが働いていた日本語学校では資格なしでも教えられる、というかむしろ資格のある先生の方が少ないという状況らしい。
え、日本語教師ってそんなに簡単なの?
なるほど、それならEにもできそう。
(※実際は教える場所や環境によって異なります)
でも言葉は?
台湾人は何語を話すの?
英語は通じるの?
ノリさんは中国語を勉強してそこそこ話せるようになっているとのこと。
え、やっと英語を少し話せるようになったのに中国語の勉強が必要?
「でも始めは言葉が通じなくて大変じゃないの?」とE。
「台湾は日本統治時代があって日本語を話せる人もたくさんいるよ」とのこと。
ただ、「台湾に長く住むなら絶対に中国語を勉強した方がいい。英語は役に立たないから」とも。
(※2023年の現在では日本統治時代を生きた人はほぼ生存していないと思われます)
しかし、そもそもEはこの時点まで台湾については全く興味がなく、一体どういう国?地域?どういう歴史的ないきさつがある?などさっぱり理解していませんでした。
Eはこの時点での前職が、高級中華料理店の店長でした。
仕事上の中華料理の知識としてごく稀に台湾が登場するくらいで、ノリさんが絶賛する台湾料理というのがどういうものかさえもわかっていませんでした。
というのも、Eがこの放浪旅行でイメージしていた移住先は東南アジア、さらに言えば発展途上国。
最大の条件は南国であること。
それまでに訪れたタイやマレーシアのようにトイレに紙がなく手で洗浄したり道端の屋台で日常の食事を摂るといった、日本人からすると非日常の未開発の雰囲気にあふれた国に移住してみたいと思っていたのでした。
シンガポールのヒンドゥー寺院 撮影:E
シンガポールはどうかというと、先進国とはいえ赤道直下の南国で、屋台的な場所も多く、一歩奥に入れば発展途上国の雰囲気満点です。
それまで旅した三か国の中では(タイ、マレーシア、シンガポール)タイと共にぜひ住んでみたい国の候補として最後まで残り続けた国でした。
さらにノリさんからの提案が。
「せっかく旅行しているんだから台湾にも行ってみれば?」と。
はい、その通り!
それまで台湾は全く想定に入っていませんでしたが、ノリさんによると台湾の航空会社を使って台湾経由で帰国したり他の国に行ったりできると。
それに台湾は一応は南国の部類に入るのだとのこと。
(※但し、冬は気温10℃以下になったりします)
元々シンガポールに行き着いて、次の行先に迷っていたE。
この次に訪れる国として台湾が急浮上しました。
なにはともあれ、旅を始めて3か月。
何ひとつ海外移住の端緒さえつかむことができていなかったEにはありがた過ぎるノリさんの提案。
とはいえ情報が少なすぎて「行く!」と即答できるわけもなく。
「考えてみるよ!」と答えたEでした。
カラフルなコンドミニアムが多いシンガポール 撮影:E
実際に移住したの?
はい、もうわかりますよね。
当ブログを以前から読んでもらっている人ならとうにご存じかと思います。
Eは、最終的にこの1年に及んだアジア放浪旅行の後、ノリさんの紹介を受けて台湾に移住して日本語教師になります。
ノリさんが「最高に楽しい日々だった」と語っていたのと全く同じ体験を数年後にEもすることとなります。
が、そこに至るまではいろいろと紆余曲折を経ます。
旅はまだ始まって3か月ほど。
この「人生を変えたアジア放浪旅行」シリーズはまだまだ続きますのでご安心を!
「台湾移住2003」シリーズもいつかは続編を書きます!
では次の渡航先は?
ノリさんの台湾移住の提案を受けて「まずは台湾を見に行ってみよう」と、台湾渡航について調べ始めるE。
ところがそんな矢先に、急転直下!
Eはこの後、
バリ島に行くことになります!
一体何が起こった!?
というのも旅の最初の国、バンコクで出会ったあの人からの一通のメールが届いたからでした。
その人とは、
みあちゃんです!
え、誰?
と思う人も多いでしょう。
それもそのはず、みあちゃんについてのエピソードを語った記事はもう二年も前に公開したものでしたよね。
実は、約二年前のこの記事の中でみあちゃんとバリ島で再会することは予告済みでした。
みあちゃんについて簡単に振り返ると、
Eがカオサンロードで本を読んでいる女性に声をかけて、
その後一緒にバンコクをあちこち観光したり中華街でフカヒレを食べたりした、
Eが苦手なはずのギャルでパリピの、
いい娘過ぎてEにとってまぶしすぎる存在の、
当時関西でキャバ嬢をしていた、
あの、みあちゃんです。
あの時、バンコクで数日Eと一緒に観光したりして過ごした後にホディボードを抱えて帰国したみあちゃんが、よくサーファー仲間と遊びに行っているというバリ島に滞在中だとのメールを受けたE。
「もう一度みあちゃんに会いたい!」という気持ちは抑えられず、それまで旅先の候補としてはかなり下の方だったバリ島行きのチケットを買いに、ノリさんに教えてもらったシンガポールのHISへと足を運ぶのでした。
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まとめ
そんなわけで「移住の下見に台湾に行く」というプランを先送りにして、パリピの島「バリ」へと旅立つEでした。
購入したチケットはガルーダ航空のシンガポール発、バリ島はデンバザール空港行きの往復チケット。
滞在期間は約10日間。
ということは、またシンガポールに戻ってきます。
当時のEのバリ島についての知識はというと、みあちゃんから聞いていたようにサーファーが集まる島。
そして、放浪旅行に旅立つ前に通っていた英会話学校NOVAのアイルランド人教師ブライアンによると、バイクで島一周をするのが楽しかったとのこと。
実はE、ブライアンが英会話のレッスンの中で触れていたバリ島一周旅行にはいくらか興味を持って、心に残っていたのでした。
果たしてバリ島10日間の旅では何が起こるのでしょうか。
次回をお楽しみに!
旅での出会いは時として大きく人生を変えてくれます!