台中市の名所、台中公園

台湾移住2003 海外旅行

台湾移住2003 人生中最美好的時光②【大緊張】いよいよ初授業!

更新日:

長らくお待たせしました。

Eがかつて日本語教師として台湾に移住した冒険物語の第二弾!
いよいよ台湾移住、そして大緊張の日本語教師としての初授業

中国語ゼロ、日本語教師の知識ゼロで台湾に乗り込んだEは果たしてどうなるのでしょうか~

今回は日本語教師の知識ゼロ、経験ゼロの素人がどう初授業を乗り切ったかを紹介します。

前回の記事です

台湾到着

これまでの経緯を簡単に振り返ります。

約20年前、放浪の旅の途中のシンガポールで出会った人に日本語教師の仕事を紹介してもらい、なぜか台湾の台中市の日本語学校で働くことに。
台中市を初めて訪れてビザ申請の手続きをして一旦帰国。
日本語教師の知識もゼロ、中国語もゼロ
いよいよ台湾移住、日本語教師としての初授業を目前にして、その日の1か月以上前から超緊張していたEでした。

働いていた

Eが働いていた語学学校は「地球村文教機構」
当時から台湾全土に分校を持つ、英語を中心に日本語、韓国語の授業がある台湾最大の語学学校です。

念願の海外移住が実現して、本来なら手放しで喜べるはずが、初授業のプレッシャーで押しつぶされそうになっていました。
それに加えて、ほとんど話せない中国語の世界。
出国の日が近づくにつれてマイナスの感情が膨れ上がっていくばかりでした。


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いざ、台中へ!

夜遅く着く飛行機で台北に到着。
台北で1泊、翌朝バスで台中へ。

と、その前に、まだ台湾の携帯電話を持っていなかったEはバス乗り場近くのコンビニでテレホンカードを買う。
「我想要電話卡」(テレホンカードください)
たったひと言でしたが、思えばあれが初めて通じた中国語でした。
この本で勉強しておいた成果が出ました。

このブログで何度か紹介していますが、このシリーズは海外旅行を10倍充実させてくれます。
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そして台中に到着
と思いきや台中駅に着くはずのバスがなぜか郊外のバスターミナルのようなところで降ろされる。

ビザ申請のために訪れた時にはこんなことはなかったのに。
どうすればいいの?
バスターミナルの職員にチケットを見せると、ここで待て、というようなことを言っている。さっそく言葉の壁…

後からわかったんだけど、そこは当時多くのバス会社が乗り入れる(今も?)、「朝馬」というバスターミナルでした。
そこから市内バスに乗り換えて台中駅まで行く、ということだったようです。

でも、その後も何度も台中からバスに乗ったけど、こういう風にバスを乗り換えるケースは後にも先にもこの時だけ。なんで?
無事に市内まで着けるか、この時どれほど不安だったことか。
30分ほど放置された後、台中駅行きのバスに案内される。

というわけで何とか台中駅に着いて近くの一泊500元の安ホテルにチェックインしました。

地球村での初授業に向けて

海外移住初日の夜はEを語学学校に紹介してくれた先生と、その同僚の先生と中港路(現在の台湾大道)のそごう近くのスタバで待ち合わせ。

と、その前に学校に行って授業スケジュールをもらう。
始めはビザ取得条件の最小限の時間数。週に16時間ほど9コマほどの授業。
台湾移住初日が木曜日でしたが、初授業は翌週月曜日と決まりました。
それまでに授業プランをまとめなければ。

先生二人と夜の授業が終わってからスタバで合流。
さっそく初授業を前にした不安を打ち明ける。

でも見学させてもらった他の先生もそうだったように「何とかなる」との軽い返答しか返ってこない。
たぶんそうなんだろうけど、たぶん1か月後の自分もなんとかなっているんだろうけど、たぶんやってみれば大したことはないんだろうけど、

今はもんのすごく不安なんですよ~
プレッシャー半端ないんですよ~

と言いたかったけど、そこは押さえて「2時間もある授業で何やればいいんですか~?」と聞いてみると、「雑談すればいいよ」とのこと。
「雑談しかしない日もあるよ」と。
えっ?

確かに、前回見学した先生の中にも2時間の授業時間の半分くらい雑談していた先生もいました。
雑談と言っても主に先生が話して、時々十数人いる生徒に順番に話を振ってしゃべってもらう、といった形式でした。
でも2時間ずっと雑談?
その方が難しくない?

この後、学校から支給された授業用の教科書で授業内容に沿ってE自身が日本語の文法を勉強していくわけですが、とりあえずその時点で生徒に教えられるほどの文法の知識なし

一般の書店でも買える月刊雑誌形式の授業用の教材は、時事ネタの会話文があって、2つほど文中からピックアップした文法やら語彙やらのポイントが載っている。

見学した3人の先生のうち、どう見てもEと同じように日本語教育の素人で、半分以上の時間をフリートーク(雑談)に使っていた女性の先生の授業をイメージして教案(というレベルではないですが)を組み立てていくことにしました。

それと、Eには日本語教師として生徒に外国語を教える上で、参考にすることができるモデルが豊富にあったのでした。

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英会話学校での経験

そう、Eは台湾に移住する少し前まで、駅前留学で有名だったNOVAで200時間もの授業を受けていたのでした。

しかもNOVAのネイティブ英語教師たちは外国語教師のプロなんかでは全くなく、いかにも素人だったり、あからさまに緊張が伝わってくる全くの新人だったりすることもよくありました。

このことはEに勇気を与えてくれました。
ド素人でも外国語教師はできる、と。

ひとつ違うのはNOVAの授業は1コマ40分だったけど、地球村の夜の授業は120分。NOVAの授業3コマ分のネタを投入しなければならないということ。

それにその当時に受けた授業内容を自分が教える授業に転用すればいいわけです。
参考にするとすれば、例えばフリートークの話題やネタ。

ともあれ、そういった経験が役に立つのはその後の話で、初授業の時点でそういった経験を役に立てられるレベルにはありませんでした。

Eはこの初授業から帰国する最後の授業まで、授業プランを大学ノート1枚にまとめて授業に臨みました。

第一回の授業プラン

初日の授業プランはこんな感じだったと記憶しています。

①初授業ということで自己紹介
 中華料理店の店長をしていたこと、海外旅行好き、など
 生徒にもひとりひとり自己紹介してもらう
②Eに質問コーナー
 ここまで約30分の予定(でもできるだけ時間をかける)
③テキストに入る。
 まず、テキストの会話文を生徒にひとりづつ朗読してもらう。
(NOVAや地球村の他の先生もやっていた)
④文中の文法や語句の解説
 これが最難関、よくわからない。
Eが学校で習った日本語文法と用語が違っていたりする。動詞の「五段活用」ではなく「第1グループ」だったり、「原型」ではなく「辞書型」だったり。

地球村支給のテキストはひとつの授業分の内容が見開きで載っていて、文法や語句のポイント解説が毎回2つあるからそれを元に生徒に作文してもらう
初授業までにその2つのポイントについて徹底研究。
もちろん、できるだけ時間をかける。
⑤いよいよフリートーク
 台湾初心者のEに台湾のおススメを紹介してもらう、など一応の話題は用意しておく。
が、予測不能のこのフリートークの時間はできるだけ短くしたい、というのが本音。
そもそも集まった生徒の日本語レベルが話せる域に達していないかもしれない。Eの日本語が聴き取れないかもしれない。
リスクを考えるとキリがない状態でした。

この頃のEは対人会話力には自信がありました。
が、生徒の前でしゃべる、ほとんど交流したことのない台湾人としゃべる、一方的にしゃべるだけでなく外国語の授業であるからには生徒はやり取り(会話練習)を求めているであろう。

以上の要素を考慮すると、フリートークといえど一筋縄ではいかないとしか思えず、とにかくこの時間を最後にもっていってできるだけ短くすることを目指す。

多くの不確定要素は、その場で何とかするしかない
ということで、翌週月曜日の夜に台中市三民路にある台中三民校での120分の授業に臨んだのでした。

いよいよ初授業

週末は初授業を前にアパート探し
スタバで話した先生のうちの一人が全く中国語を話せないEを手伝ってくれました。

最初の授業場所が台中駅前三民路の2か所だったのでその中間地点で探し、夜市がある中華路近くに決まってさっそくワンルームの部屋に入居。
家賃は当時でも破格の月5,000元、プラス管理費500元でした。
授業場所はこの後、台中市外も含め多くの分校で授業することになるのでした。

その間にも、初授業のスケジュール作り。
とはいえ、どんなに考えても120分の時間を埋める教案が浮かばない、浮かぶわけもない。
焦りが体を蝕んでいく。

当時の台中駅舎。その後鉄道は高架化、最近はMRTができたようですね。
 撮影:E

授業当日

夜の授業を迎えるまでホントに落ち着きませんでした。
授業2時間前に三民校近くで夜市がある一中街(台中一中というエリートの高校が近くにある)の喫茶店で最後の教案練り。

授業内容のボリュームはここ3日ほとんど変わりがない。
120分の授業時間は到底埋まらない。
いくら考えても時間を埋めるネタが思い浮かばない。
いよいよ腹をくくって出たとこ勝負で教室に入るのでした。

授業開始!

授業時間10分ほど前に教室に入りました。
と、あれ?

まだ生徒が3人ほどしか来ていない。
「こんばんは~」
生徒に挨拶。
他の先生の授業を見学した時も仕事帰りなどで遅れてくる生徒は結構いた。
これから来るのかな~、と思いきや授業時間になっても生徒は3人だけ。

思い切り想定外!
これでは生徒に自己紹介してもらったり作文してもらったりしてもすぐ終わるではないか~

もう開き直るしかありません。
とりあえずプラン通りに自己紹介から始めました。

その日の3人の生徒は今でも名前まで覚えています(林さん、林さん、頼さん)。その後もEの授業に何度も来てくれましたし。
3人とも20代後半の女性で、うち二人は他の先生の授業でも見かけたことがありました。
要するに3人とも地球村の生徒の中でも古株で、お互いに顔見知り。

Eが考え抜いた授業プランは30分もかからずにあっけなく終わりました。
頭真っ白…

その代わり、その日のベテラン生徒3人はEのようなド緊張している新人教師の扱いも心得ていて、向こうからいろいろと話題を振ってくたりとまさに雑談状態になっていました。

この対少人数の会話なら、しかも20代女性となればEのトーク力をもってすればお手のものだったので(むしろ今は苦手…)、授業前のあれほどの緊張とは裏腹に、この日の授業時間は楽しく過ごせました。

その後の「日本語教育」の授業のための参考にはならない一日でしたが、この日を境に驚くほど緊張が解け、余裕をもって台湾人日本語学習者と向き合えるようになりました。

その後の授業は

第一回授業を何とか乗り切ったとはいえ、この日本語教師としての仕事していない状態の雑談のみの授業環境などそうそうあるものではなく、ある程度の「日本語教育」ができるスキルを身に着けなければなりません。

次の日以降もその道のりは続くのでした。
ちなみに次の授業ではなぜか教室いっぱい、20人ほどの生徒が集まり、後半の雑談でEのトーク力も発揮され、ウケも取れて満足のいく授業ができました。

その授業のためにどれほどの時間を費やして準備していたかというと、始めの半年くらいは120分の授業のために最低でも4時間くらいはネタを考え、日本語の文法や語句を教えるための勉強に費やしていました。

これが1年後には2時間、3年後には30分ほどで準備できるようになっていきました。
また、生徒が楽しめるフリートークのネタを考えるのにも、それまでの自分の全人生をネタにしてきたといっても過言ではありません。

ある時は、Eが新卒で就職した中華料理の会社の新入社員研修のオリエンテーションでやったことをアレンジしてネタにしました。
うろ覚えですがこんな内容です。

載っていた飛行機がトラブルで砂漠の真ん中に不時着しました。
飛行機はもうすぐ爆発します。次のアイテムの中から3つだけ持ち出すとしたら何?
その理由も答えて。

【アイテム】
磁石 地図 パラシュート 拳銃 鏡 懐中電灯 他いろいろ
※答えは最後に

これは信州社員研修では10人ほどのグループで話し合って合意を形成して結論を出すプロセスを学ぶ、といった目的で行われましたが、授業ではひとりひとり答えてもらいました。

フリートークの時間に気を付けたのは、

・できるだけ生徒にたくさん話してもらう
・そのために生徒が話したくなるような状況を作る
・生徒の言いたいことを察して日本語として成立させる手助けをする

といったことでした。

上記のネタはなかなか好評で、他の先生が休んだときのヘルプの授業でやった時は、来週からずっと来て、と言われたほどでした。
この他にも、数々の大人気フリートークネタを発明してきました。
今後、記事の中でも紹介していこうと思います。

やがて、この日本語教師という職業はEにとって人生最高の職業となったのでした。

まとめ

人生で大きな挑戦をするとき、時として激しい緊張や恐怖にさいなまれることってありますよね。
Eにとってこの日本語教師の初授業はその中でも最大級のものでした。

でもEの経験からもわかるようにやってみると、何とかなります
猛烈な努力を続ければ軌道に乗り継続することもできます。

あの時の想い出は、挑戦を忘れかけているアラフィフのEに何かを語りかけてくれるようです。

今後も台湾時代の暮らしぶりなどを紹介していきます。
次回をお楽しみに!

※答え
砂漠に飛行機が不時着した場合、移動は命取り。上空を飛行機が通りかかったときに気付いてもらえるようにパラシュートや鏡が有効とのこと。あと水。

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