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物価上昇社会を人生で二度体験 その2 外国で体験した持続的な物価上昇社会

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1990年代初頭から現在まで続く経済の低迷期「失われた30年」にある日本。
長く物価が上がらず、デフレと言われてきましたが、昨年2022年から円安やウクライナ戦争などの要因からガソリンや食料品などの様々な物の値段が急激に上がり始めました。

長らく物価上昇を実感することがなかった日本人。
しかし、Eを含む50代以上の日本人はこの国で「物の値段は上がるもの」だった時代を経験。
前回記事ではEが幼少時代の1970~80年代の物価上昇社会の体験を紹介しました。

ではその間、外国の物価はどうだったんでしょうか?
今回は、アジア放浪旅行や台湾移住の経験を持つEの外国の物価上昇体験について語ります。
とはいえ、まさに「体験」なので正確なデータが揃っているわけでなく、半ば想い出話的な回となります。

外国での物価上昇体験

Eが外国で感じた物価上昇の体験は二つのケースがあります。

【台中市】
 期間:2003年~2015年
【バンコク】
 期間:2002年~2015年

まずもって、物価上昇を体験するためには時間の経過物価の変化、という比較対象をするための要素が必要となります。
当然ですが、同じ地域一定の期間、できれば長期間比較するのが理想です。
となるとEの経験の中で、外国の物価上昇のサンプルとなり得るものが上記の二つです。

決して多いとは言えないまでも、そこそこ長期間での比較が可能です。
もちろん学術的なサンプルとはほど遠いものです。
理由はこの二点です。

①Eは20代の一時期を除いてほとんど高額な買い物をしない上に、特に外国での滞在中はかなりの節約生活をしてきた。
②当時の各商品・製品の価格を記録していたわけではなく、記憶に依存するので正確性に欠ける

要するに、消費の範囲が食べ物や日用品などの安い物しかなく、値段も記憶だよりがほとんど、という前提で読んでください。

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台湾移住の3年

Eは2002年頃に約1年間アジアを放浪。
翌2003年に台湾に移住して日本語教師になり、3年間台中市に住んでいました。
3年間住んでいただけあって当時の物価は記憶しているものが多数あります。

いくつか例を挙げます。
移住を果した2003年頃の物価と現在の比較です。
当時のレートは1台湾元=約3.2円でした(2023年10月現在=約4.6元)。

 品目2003年2023年
家賃
(ワンルーム約10畳、キッチン・シャワーあり)
月5,000元
管理費800元
7,000~
8,000元
音楽CD約350元500~599元
マクドナルドの最安ハンバーガー(チキンバーガー)25元45元
マクドナルドのハンバーガーセット99~130元110~169元
マクドナルドのコカ・コーラのSサイズ25元33元
台北市の激安宿 台北Hostel ※閉業(台北駅近く、ドミトリー)※同等宿比較250元500~600元
台中市の最安の宿 改装前の東城年代旅舎
(台中駅前、オンボロ、トイレ・シャワー別、エアコンなし)※同等宿比較
350元490~550元
台中市の中程度のホテル 富春大飯店
(台中駅前、古い、トイレ・シャワー有、エアコンあり)
600元850元
台北駅 ⇔ 台中駅の高速バス 統聯客運
 平日昼料金 (※時間帯により変動)
220~250元
120元
290~320元
160元
台中市内の夜市・屋台の小吃 臭豆腐蚵仔煎など40元50~80元
台湾茶葉缶 天仁茗茶の茶王 【103290元 500元

当時の日本円に換算すると、Eのアパートの家賃が約18,000円。
音楽CDが1,000円強、屋台の小吃は約130円から。
なるほど安いですが、こうして比較するまでもなく当時のEは日本と比べると明らかに「物価が安い」と体感していました。

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台湾の物価の変化

2002年、台湾での生活が始まりました。
最初のうちは買い物をする度に日本円に換算して考えますが、やがて台湾の物価感に慣れてくると、日本の物価との比較意識は薄れてきます。

Eが働いていた、台湾最大の外国語教室「地球村美日語」(現在は「地球村美日韓語」)の賃金は時給制でした。
当初の時給は、昼が310元、夜が380元だったと記憶しています。毎年契約更新の度に時給は5元か10元上がりました。
当時のコンビニやマクドナルドのアルバイトの時給が90~100元と聞いていましたから、日本語教師の時給はだいぶいい方でしたが、新人教師は持たせてもらえる授業数が少なく、ごく初期の月収は2万元(約6万5千円)ほどでした。

Eはアジア放浪旅行時代から節約生活が染みついていたので月2万元生活もそこまで苦ではありませんでした。
なにしろ台湾はB級グルメの天国で、夜市や屋台の料理が美味しい。さらに家でもインスタントラーメンなどで自炊もしていました。台湾はインスタントラーメンも侮れません、結構美味しいですよ。

そんな生活が1年も経つとあることに気づきます。

物がいくらか値上がりしている

と。

夜市の物価

例えば夜市の食べ物
Eは台中の有名高校「台中一中」の近くの「地球村三民分校」でも教えていて、近くに「一中街」という夜市があり、よく利用していました。

現代の一中街の風景
画像引用:Tripadvisor 「一中街商圈」



地球村の教師はほとんどが複数の分校で授業を受け持っていましたが、Eは三民分校が家から近いこともあり、週に三回は授業の前後に一中街に寄って、そこで食べるなり買って帰るなり何かしら消費をしていました。

日常的に一中街で食べたり買ったりしていると、ちらほらと値上がりする商品に気付きます。
それまで45元だった大衆店の排骨飯がいつのまにか50元に。
古びた大衆店が改築されたりすると、現代的にきれいになった店は以前の大衆店ではなく一食数百元する中級クラスの食堂に
そういったことを何度も目にするようになります。

するとEは忘れかけていた「あの感覚」を思い起こします。
そう、子供の頃に感じていたあの「物の値段は上がるもの」の社会。菓子パンが、漫画本が、あらゆるものが常に、いつの間にか値上がりしていたあの1970年を。

台湾小吃の定番「大腸包小腸」、各種資料によると台中では現在30元(20年前は25元)ほどのようです。

台中の家賃相場

そしてとうとうやって来ました。
ある日、昼間にアパートの部屋にいると珍しく呼び鈴が鳴りました。
Eのアパートの建物は入口に管理人がいて、見知らぬ人がおいそれとは入れません。
呼び鈴を鳴らした人物は、Eの部屋の「新しい」オーナーでした。

台湾のマンションは買い手自身が住むケースも当然ありますが、不動産投資として購入して他人に賃貸で貸し出すというケースが多く、Eの部屋も個人経営のオーナーがいました。
旧オーナーから部屋の権利を買った新オーナーが住人のEに挨拶に来た、という体でしたが新オーナーには別の目的がありました。
家賃の交渉です。

Eの部屋の家賃は、建物自体のオーナーに支払う管理費を除くと月5,000元でしたが、その近辺では格安の物件であることはE自身が部屋探しをした時に承知していました。
つまり、Eの部屋は掘り出し物件だったわけです。

台中での部屋探しについての過去記事です。



どこにでもいる中年の主婦にしか見えない新オーナーは6,000元に値上げしてもいい?」と聞いてきました。
「来る時が来たか」とも思いましたが、もちろんNGです。
「6,000元に上がるなら他の部屋を探すしかないです」とEが答えると、新オーナーは割とあっさりと諦め、結局Eは台湾在住の3年間そのアパートに住み続けました。

もともとの家賃設定が相場よりかなり安かったこともありますが、新オーナーが家賃の値上げを打診してきたことには、台湾全体の物価上昇もあったのではないでしょうか。

未来の予感

その頃、2000年代前半頃からEは薄々気づいていました。
そういえば、もう長いこと日本の物価は上がっていない。でも外国では昔の日本のように常に物価が上がっている。そして、給与水準も着実に上がって物価に追いついている。

ということは、将来は海外旅行に行っても今までのように「物価が安い」とは感じられなくなるかもしれない。
そればかりではなく、もしこのまま日本の物価も給料も上がらなければ、

外国の物価の方が日本より高くなる

と。

Eは日本語教師を辞して日本に帰国した後も、旧知の友人たちに会いに2年に1回ほどの頻度で台湾を旅行で訪れていました。
訪れる度に何かしらの値段が上がっていたり、古い店がなくなりそれまでより値段の高い新しい店ができていたりという光景を目にします。
やがてそれにも慣れて「台湾の物の値段は上がるもの」が染みついていきました。

では、台湾以外の国はどうだったのでしょう。

放浪旅行した国 タイ

2002年にタイ、バンコクを皮切りにスタートしたアジア放浪旅行。
日本ではマクドナルドのハンバーガーや牛丼が大幅に値下がりするなど、ちょうどデフレの気配が忍び寄っていた頃です。

とはいえ世界第二位の経済大国日本。その時点でも他のアジア各国との物価や給与水準の圧倒的優位は歴然としてありました。
経済大国日本の恩恵を受けてこそ、1年にも及ぶ長期旅行が可能だったわけです。

旅を終えて台湾に移住してからしばらくは、台湾・香港・中国の中華圏の国以外を訪れることがなくなりました。
時は移り、2015年のこと。
地元のある超ブラックな職場をほうほうの体で退職し、心身ともにズタボロになっていたEはあの国のあの場所に「癒し」を求めたのでした。

そう、
始まりの地、バンコクへ!
(『進撃の巨人』第112話のエレンのセリフ「始まりの地、シガンシナ区へ」風に)

Eは実に13年振りにバンコクを訪れました。
その時の旅の様子についてはいつの日か当ブログにて語る日が来るかもしれませんが、奇しくも13年の時を隔て物価の比較をすることができたのでした。

バンコク、ナショナルスタジアム駅付近の中央分離帯 

タイの物価上昇

放浪旅行当時は旅の拠点としていたバンコクですが、所詮旅行者が知れる範囲でしかないし、今から20年、もしくは8年も前のことで記憶も定かではありませんが、物価の変化は概ねこうでした。
ちなみにレートは2002年頃が1バーツ=約2.9円。2015年頃が約3.6円
現在(2023年10月)は1バーツ=約4.1円です。
レートだけ見ても各国の経済力が日本に追いついてきていることが如実にわかりますよね。

 品目2002年2015年
市内バス(エアコンなし)3.5B5.0B
シンハービール 330ml缶35B39B
カオサンロードの外れの食堂のパッタイ30B40B
カオサンロードエリアの最安宿 シングル
              ドミトリー
50B
100B
100B
150B
空港で支払う出国税500B700B

と、判明している品数は少ないまでも、案の定13年の間にほとんどのものが値上がりしていました。
とはいえ、台湾の物価上昇の推移に比べるとタイは緩やかな上昇という感はあります。
2002年のもともとの物価が安すぎたせいでしょうか?

2002年当時はこのタイプのペットボトルの水が5Bで買えました。

物価上昇社会体験の恩恵

1970~1990年代初頭にかけて少年Eが体感した日本の物価上昇社会。
2000年代に入って外国で体感した持続的な物価上昇社会。
その二つはどちらも「物の値段は上がるもの」な社会だったのでした。

物価上昇が当たり前の社会を経験したことによって、Eはあるメリットを享受しました。
覚えているでしょうか、コロナ禍終盤の2021年後半
それまで長らく1ドル=100円台だった外国為替が、じわじわと110円台に入ってきた頃です。Eは察知しました「ついに来た!」と。

そう、30年上がらない日本の物価に各国が追いついてくる足音です。
様々な経済予測情報、特にコロナ禍期の米国の行き過ぎた量的緩和も考慮すると「まもなく急激な円安が来る!」と予測したE。
「一刻の猶予もない」と感じたEは、すぐさまミリオン単位で米国株のETFを買い集めたり、米ドルに換えたりと、それまで100%円資産だったものの一部を米ドル資産に転換しました。

米国資産を買い集める決意表明をした2021年10月の過去記事です。



結果、翌2022年5月頃から円は1ドル=130円台に突入。10月には150円を突破
多くの日本人が、石油や食料などの輸入品が急激に値上がりして悲鳴を上がる一方。Eは米ドル資産の価値が爆上がり
そのうちのいくらかは利益確定
上手く物価高によるマイナスを補填することができたのでした。

その後日銀の介入などもあり円安はやや落ち着きを見せますが、ご存じの通り最近再び150円を突破。ここ数日は150円ラインを行ったり来たりしています。
ちなみに現在、米国債の利回りがかなり高くなっています。
先週さっそくEは米国債を買い始めました。円は今後も安くなるという予測が有力なので、じわじわと買い増ししていく予定です。

「失われた30年」の渦中で「物の値段は常に一定」が当たり前の感覚になっていたところを、2015年の海外旅行で「物の値段は上がるもの」の感覚を取り戻せていたことが、昨年からの賃金の上昇が伴わない「ヤバい物価高」に対応できた原因となったのでした。

まとめ

物価高は現在も進行中ですよね。
今スーパーに行けば多くの品がひと月前より、いや先週より値上がりしていたりします。
「今までこれを買っていたけど、少し安い品物を買おう」と思ってしまうのが人間ではないかと思います。が、Eはその気持ちを押さえて従来と同じものを買うようにしています。

なぜなら、数年後には「2023年はまだ今より物価が安かった」という世の中が来るであろうからです。
これに対抗する方法は主に二つです。
①資産を増やす
②収入を増やす


Eについて言えば、資産は米ドルに移すことで対抗。
今年の4月には賃金交渉で収入もいくらか増やすことができました。

日本政府も一応は危機感を持っているようで、今年10月の最低賃金の改定では全国平均が1,004円と過去最高の43円の引き上げ額となりました。
日本経済の世界での地位は確実に下がりつつあります。
アンテナを張り巡らせて将来に備えることが肝心ですよね。

今後も派遣社員Eの様々な体験談を語っていきます。
次回をお楽しみに!

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