台湾移住2003 海外旅行

台湾移住2003 人生中最美好的時光① 日本語教師になる!

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台湾に住んでいたことがあります。
きっかけは旅で出会った人に日本語教師の仕事を紹介してもらったことからでした。

長期間の旅をしたこともあり、多くの国を訪れてきました。
妻は外国人、娘はハーフで家族は現在セブに住んでいて、セブも何度も訪れています。
ですが移住、住んだことがある外国は台湾だけで。

3年と少しの台湾生活は、

人生で最高に楽しい時間でした。

今回のシリーズでは、そんな当時の様子を紹介していきます。

台湾の第一印象

始めて台湾を訪れたのは移住する前年でした。
Eを台湾での日本語教師の仕事を紹介してくれた人と出会ったのは、台湾ではなく、シンガポールでした。

その人は当時シンガポールで働いていたものの、シンガポールがあまり好きになれず、以前働いていた台湾へ再移住して日本語学校で働くことを予定していました。
Eにいつでも紹介するからと約束してくれて、Eはさっそく放浪の旅の途中で台湾を訪れてみました。

印象は、

タイやシンガポールに比べると、あんまり楽しくない…

でした。

というのも言葉が通じない、日本語も英語も通じない、何もできない、からでした。
当時よく、年配の人は日本語が話せる、といわれていました。
確かに台湾はその昔日本の植民地で台湾人は日本語で教育を受けていました。
が、それは1945年までの話。
Eが訪れた当時、その人たちは既にかなりの高齢

移住後に日本統治時代のご老人に何人もお会いしましたが、何しろ高齢な上にみなさん長いこと日本語を使わない生活をされているから正直、何を言っているか聴き取りにくい。

ファストフード店で学生バイトに注文するにもしょうがないから英語でするけどイマイチ通じない。
一人旅で台北に滞在した約1週間は、台湾人と一人も交流することなく終わりました。

台湾料理との出会い

日本語学校を紹介してくれるシンガポールの友人からは、台湾での生活はとにかく楽しい料理がおいしい、と聞かされていました。
実際に住んで、言葉を覚えて、台湾人と交流すればここも楽しめるんだろうとは思いつつ、孤独にひとりであちこち回っていました。

中正記念堂、故宮博物館、士林夜市、龍山寺、西門町、永康街、淡水など有名な観光地を回り、夜市や街の屋台で台湾B級グルメを食べ歩きました。

訪れたのが4月で台湾ではこれから暑くなる前の時期であり、しかも台北は雨が多い土地であるということもあって、それまで訪れたタイやマレーシア、シンガポールに比べると、Eが憧れていた南国の雰囲気がイマイチない。

街全体がレトロな感じだけど、Eが好きな蘇州の街のような風情のある中国伝統の街並みとも少し違う。
人々も日本人に近い風貌で様々な人種が混じりあった国に比べると華やかさに欠ける。

そして移住する国の候補地として一番の問題は、

せっかく英語の勉強したのに、台湾に住んだら中国語ができなければやっていけなさそう…

ということでした。

それに、誰もがおいしい、という台湾料理
これは今でも思うんですが、台湾初心者の人にとって台湾料理ってあまりおいしく感じないですよね。

旅行ガイドブックに載っているような台湾の代表的B級グルメ、牛肉麺を始めとするスープ麺は味が薄いし、独特な臭いに賛否が分かれる臭豆腐は土産話にはなるけど、おいしいかというとそれほどではないし(Eは大好きです)。
蚵仔煎も慣れない味で、しかもカキが生っぽくて大丈夫?っていう感じだし。
台湾料理、ホントにおいしいの?って思いませんでしたか?

これはだいぶ後からわかるんですが、台湾のB級グルメや屋台料理は初めのうちはなかなか味になじめずおいしいとは思えませんでした。

が、不思議なことに住み始めて1年も経つと次第にそれらがおいしく感じ始めてきて、3年も経つ頃には台湾屋台料理なくしては生きていけないというほどに虜になってしまうのでした。

臭豆腐、結構ビールに合います  撮影:E

残念ながらその時の一人旅では、台湾人と一切交流がなかったせいで情報がなく、台湾に住んでから知るホントにおいしい料理の数々を知るすべもなかったわけです。
後々そんなEの胃袋をつかんで離さなかった料理たちがこれです!

麻辣火鍋、雞排、大腸包小腸、葱油餅、肉粽、鍋貼、米糕、滷味、薬燉排骨、乾麺、板條、冬粉、素食、猪血湯など数々の台湾小吃

客家料理の、梅干扣肉、薑絲大腸、客家小炒。
新竹名物の新竹米粉、貢丸湯。
彰化名物の肉圓。
嘉義名物の火雞肉飯。
台南名物の担仔麺、蝦捲、棺材板。

ごはん付きで好きなおかずを選べる自助餐の店。
高級店に比べるとはるかに安い街の北京烤鴨(北京ダック)の店(むしろこっちの方がおいしい)。

早餐店(朝ごはんの店)の蛋餅、漢堡、三明治、飯糰、肉包、油條、豆漿。

街中に点在する700cc飲料店の百香緑茶、檸檬緑茶、冬瓜汁、西瓜汁、そして台湾発祥で台湾では20年も前からある珍珠奶茶(タピオカミルクティー)などなど創意工夫を凝らした飲料の数々。

やばい!
こうして料理名を列挙しているだけでよだれが溢れてくる~
そして、書き切れない!

嘉義名物の火雞肉飯と炒青菜  撮影:E

ともかく、初めての台湾訪問はせっかく移住のチャンスを得た土地だとはいえ、釈然としないまま後にして、アジア放浪の旅を続けたのでありました。

移住の準備

それから数カ月が過ぎ、台湾以外の国に移住のきっかけはないかとアジア放浪を続けたEでしたが、結局台湾以外の移住先の当てはありませんでした。

シンガポールで出会った日本人は既に台湾、台中市に再移住を果たし、いつでもEの受け入れOK
その語学学校は台湾中に分校を持つ、たぶん人口当たりの分校数では、かつて日本で繁栄を誇った頃のNOVAを凌ぐであろう、その名も「地球村」という台湾では知らない人のいない大手語学学校でした。

地球村美日韓語の台湾サイトはこちら

その学校は英会話が中心なんですが、親日の国台湾ならではの日本語の授業も行っています(今は韓国語もあります)。
台北以外の地域ではいつもネイティブの教師不足で、Eを紹介してくれるという日本人が働く台中も例に洩れず、すぐにでも来てくれと。

最初の訪台の翌年、Eはいろいろと身辺整理をして、移住に備えました。
準備すべきはこの二つでした。

中国語の勉強
日本語の教育法の勉強

この二つとも、考える度に気が重くなる問題でした。

中国語は初心者用の教本を書店で買ったもののほとんど開いていない。

日本語の教え方についてはどう勉強すればいいかもわからない状態。
あ、資格は一切持っていません。
近づく移住後の初授業に向けて、移住を決断した時から人生最大級の緊張感が高まっていくのでありました。


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二回目の訪台

移住前に、ビザの申請と健康診断のために二回目の訪台、初の台中入りを果たし4、5日間滞在したのでした。

初めての台中市

その時は夏真っ盛りの時期で、まー暑かった。
地下鉄が走る台北と違って公共交通機関はバスだけ。しかもバス路線がわかりずらい。
台湾は日本の国際免許が使えないから現地の多くの人が利用しているバイクに乗るにも免許を取らなければならない(移住後に取りました)。

まずは中港路(現在の台湾大道)にあった地球村の分校に行ってビザ申請のための書類を書き、付近の病院でビザ用の健康診断を受ける。
どこに行っても言葉が通じず大変

夜はEを紹介してくれた先生が、仲間の先生も呼んでくれてレストランで食事。
まだ、ビザ申請の段階にもかかわらず、初授業のことを考えるだけで緊張で震えが出る始末。
二人にどうやって教えればいいんですか~、と聞くと二人とも「まあ適当に、すぐ慣れるから」と余裕。Eを更に緊張させる答えしか返ってこない。

翌日以降、その日に会った先生を含めて他に二人の授業も、計3コマほどを見学。
いよいよ日本語教育の生の現場を見ることに!

地球村はある程度のレベル以上の授業はネイティブ教師が教えるんですが、授業用の月刊雑誌を教材(書店でも買える)に授業を進めています。

授業1コマが、90分~120分。
ここからして頭がくらくらしてきます。

日本で受けていたNOVAの英会話の授業は小さく分けられたスペースで先生と同じ机を囲んで40分。これならちょこっと文法解説して練習してフリートークして終わり、で済む。
でも地球村の授業はその2~3倍の時間。しかも先生が教壇に立つ講義形式。
どうしよう、頭の中はそればかりでした。

日本語の授業見学

見学した三人の先生はそれぞれバラエティに富んでいました。

ひとり目は真面目そうな中年男性で、文法や語彙の解説だけで長丁場の授業時間を埋めるタイプ。
日本語教育の場面では、かつて学校で習った五段活用とかサ行変格活用などという用語は使わないらしい。
動詞は第1~第3グループに分けられること、生徒の中には日本語検定を受ける人も多いことなどを知る。
授業を成り立たせるためにはこの辺の知識を仕入れていかなければなりません。

後の二人の先生は教材の文法や語彙の解説はそこそこに、授業の半分以上がフリートーク
教材で触れられているの話題からふくらませてそれぞれの得意方面の話題にもっていっている。
前日に食事した先生は30代後半の関西出身のひょうひょうとした人で時々笑いも取っている

もう一人は20代後半の女性で、肌の露出の多い服を着ていて、やはり後半ほとんどがフリートーク
先生を選んで授業に参加する方式のこの学校のシステムにより自然と若い先生には若い生徒が集まる。
この先生とは日本に帰国後も交流があって、当時の話をすると男性の生徒が集まるようにわざと露出多めの服を着ていたとのこと。
なるほど生徒の数も多い。

そう、この地球村は集まる生徒があまりにも少ないと翌年の契約をしてもらえず帰国することになってしまう。
逆に人気の先生は多く授業を持たせてもらえるし、授業する分校の場所や時間の希望を受け入れてもらえたりするんです。
なるほど見た目も重要というわけですね。
その先生の授業は男性の学生もそうですが、若い女性の生徒も多く集まっていました。

人気がないとクビになる、ということを知るとEの緊張は更に緊張が高まりました。
生徒が集まらなかったらどうしよう、と。

台湾の日本語学校、地球村  撮影:E

もうひとつ、更に緊張を増す要素が増えていました。
ここまでに会った先生、計四人の全員がそこそこ中国語を話せて、授業の所々で生徒にわかりやすいように中国語を織り交ぜた説明を加えたりしていたのです。

この3コマの授業の見学によって、授業の進め方はざっとわかったものの、自分ができないこと、わからないことの数々が浮き彫りになり、結局初授業に向けた緊張は増す一方でした。

これによって初めて訪れた台中では、観光気分などかけらもなく、重すぎる悩みを抱えたまま一旦台湾を後にしたのでした。

まとめ

日本語教師に限らず教師って、何かしら教育法の指導を受けてからなりますよね。
実際に教える前に、実習生として教える練習をするというケースもあります。

日本語教師になるのに免許は必要ありませんが、日本語教育能力検定試験などのある程度の知識があることを示せる資格はあります。
資格によっては420時間もの講座を受ける必要があったりもします。

が、Eの場合ゼロ、無。
書店にも日本語教師初心者向けの本などなく、難しそうな専門書を買ってきて読むけど、授業のネタの参考にはなりそうもない。

ビザを待つ日々もかなりの緊張状態でした。
おまけに中国語の勉強もしなければ、台湾での生活はホントに大変。

なんで海外移住なんて目指してしまったんだ、とやや後悔するも、どうにも後には引けない。

そんな状態でいよいよ台湾移住が実現する日が来ます。
Eはどうなってしまうんでしょうか。

次回をお楽しみに!

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