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物価上昇社会を人生で二度体験 その1 「物の値段は上がるもの」だった時代の日本

更新日:

物価高が庶民の生活を圧迫。
ここ数年よく聞きますよね。

確かに長年物価上昇がない、またはかなり緩やかだったのに、昨年2022年あたりから顕著になってきた日本の物価高。
しかしE(の世代)は知っています。
かつての日本は物価上昇が当たり前だったことを。

そして、外国に住んだことがあるEはさらに知っています。
ほとんどの外国では物価上昇が当たり前、かつ止まることがない、ということを。

今回はEが経験した物価上昇社会の体験について語ります。
現在30代以下の人々や外国で生活したことのない人々が、恐らく感じたことのないであろう「物の値段は上がるもの」の世の中がどんなものなのでしょうか。

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日本の物価停滞期

「失われた30年」という言葉をよく耳にします。
「30年」というのは、バブルが崩壊した1990年代初頭から現在までを指すようです。
「失われた」というのはその間の、賃金が上がらない、物価が上がらずデフレ、などの日本経済の低迷を表しているようです。

実際に様々なデータがこの期間、日本の様々な物の値段がそれ以前と比較して上がっていないか微増、または値段が下がってきたことを示しています。

ではそれ以前、バブル崩壊以前の物価はどうだったか。
戦後復興した日本は高度経済成長期を経て、急激に工業化が進み、圧倒的な輸出大国となり、やがて1980年代後半のバブル経済期を迎え、世界第2位の経済大国になるまでに豊かになった。
ということは誰もが知識として知っているかと思います。

ということは、1970年代初頭に生誕したEが20代半ばになるまで、日本は経済成長をしていたということになります。
事実、Eは物価上昇や賃金の上昇を体感していました。

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体感した日本の物価上昇

昔話を聞いたりしていると「昭和〇年頃は初任給が〇百円だった」とか、もっと大昔になると「昭和初期に最初に発売された石鹸は15銭だった」など、昔の物価は今からは想像もできない低い金額だったことを知ることになります。

初任給や石鹸を取って見ても現在に至るまでにどこかの時点で値段は上がっていたわけです。
しかしここ30年(Eが20代前半頃から現在まで)を見ると日本の物価はそれほど上がっていないか、下がった時期さえありました。

では、それ以前は?
統計的データや、Eの記憶や体験を紹介します。
Eの人生前半20余年の記憶がこれです。

人生初期の物価上昇体験

「物価」についてのEの最古の記憶「ヤマザキの菓子パン」でした。
というのもEが通っていた保育園お昼ご飯は二通りでした。

①持参したお弁当
②ヤマザキの菓子パン
脱脂粉乳

でした。

①のお弁当はその名の通り、母親なりがお弁当箱に詰めて作ったお弁当。
一方、②の「ヤマザキの菓子パン」とは。
Eの通っていた保育園では、お弁当を持ってこなかった園児はお昼前に「50円玉が入ったお財布」を先生に渡します。するとお昼休み前に先生が近所の商店でヤマザキの「クリームパン」か「チョコパン」か「あんパン」を買ってくる、というものでした。

画像引用:山崎製パン株式会社HP「クリームパン」
https://www.yamazakipan.co.jp/product/02/cream.html



先生が財布の下にランダムに置いたパンがその日食べられるパンです。Eはクリームパンが好きだったんですが、どれに当たるかは運次第で選べませんでした。
Eのお昼ご飯は2日に1回はパンだったような記憶がありますが、ヤマザキの菓子パンは家でもよく食べていました。1970年代中頃の小売価格は確かに50円だったと記憶しています。

ちなみに商品情報です。
「チョコパン」は現在単独の商品はなく、「薄皮シリーズ」か「2色パン」でしか食べられません。
「あんぱん」とはこしあんを包んでいて、つぶあんを包んでいるのが「小倉ぱん」のようです。
また現在「クリームパン」については「高級クリームパン」との2種があって、どちらが当時の「クリームパン」の同等品かは不明ですが、2023年10月現在、比較できそうな菓子パンの定価がこれ。

「高級クリームパン」:税込151円
「クリームパン」:税込124円
「あんパン」:税込124円

あるHPに「あんぱん・ジャムパン」の過去の価格推移がわかる資料がありました。
これがその表(一部画像を加工済)です。

画像引用:「昭和戦後史」HP「あんぱん・ジャムぱんの値段の推移」(一部加工済)
https://shouwashi.com/transition-ampan.html



この資料はヤマザキの商品のものではないものの、Eの保育園児当時の価格が奇しくも50円ほどなので物価の推移のサンプルとしてはちょうどいいのではないでしょうか。
これを見ると、1970年から1979年にかけては着実に値上がりし、10年で価格が3倍にもなるという怒涛の値上げです。

が、1980年代に入ると値上がりは鈍化
1990年代からは値上がりストップ

これ、Eが物価に関して体感したほぼそのままです。
この菓子パンの値段の推移の表はEの経験した物価上昇の体感をかなり正確に表しています。
保育園児の頃50円だった菓子パンのその後は、体感に基けば「気が付けば、また値上がりしている」という印象でした。

そればかりじゃなく、当時の子供が大好きだったチョコレート、キャラメルなどのお菓子や、Eが小学2年生頃から新刊発売の度に買っていた漫画「ドラえもん」の単行本など、あらゆるものが「気が付けば、また」値上がりしていました。

それ故、幼い頃のEは「物の値段は上がるもの」と認識いたのでした。
恐らく、現在50代以上の日本人の多くはこの感覚があったのではないでしょうか。
その他にEが覚えている物価の上昇に郵便料金があります。

郵便料金の推移

当時から現在までの推移がこれです(一部画像を加工済)。

画像引用:「昭和戦後史」HP「封ビン料金の推移」(一部加工済)
https://shouwashi.com/transition-postage.html



これを見れば、1970年代の値段爆上げは明白です。
1970年時点の郵便料金はなんと「葉書7円、封書15円」。
Eが小学生になって、年賀状を書くようになって初めて郵便料金を知った頃には「葉書20円、封書50円」だったのでこの料金を今回初めて知って驚き。
それがEが20歳を過ぎた1990年代初め頃には「葉書41円、封書62円」

なんと、葉書が5.85倍、封書が4.13倍
「失われた30年」以前の物価上昇がいかに大きかったかが顕著にわかる例です。

ちなみに、その後の30年の値上がりが、葉書が22円(1.53%増)、封書も22円(1.35倍)。
バブル崩壊後の1994年の値上げ以降に限って言えば現在まで、2017年のハガキ10円値上げを除いては、「消費税増税分のカサ上げ」による3~4円の値上がりしかありません。

こうして「菓子パン」や「郵便料金」の価格上昇を改めて見ると1970年代は急激な上昇1980年代に入ると上昇は目に見えて鈍化しています。
やがてEは十代に、世界はその1980年代を迎えます。

1948年発売の5円切手「見返り美人」は今では数万円の値段がつくそうです。
「銭」の単位も表示されています。
画像引用:バイセル買取HP

1980年代の物価

さてEは小学校高学年、そして中学生に。
物価爆上がりの1970年代は、幼い子供だったわけで自分で何かを買うとしても、お菓子や漫画、文房具くらいしかありませんでしたが、中学生になると消費の幅が広がります。

バス料金の推移

Eは地元の国立大学の附属中学に進学しました。
中学校は地元の国鉄駅(JRの発足は1987年)を経由するバス通学。では当時のバス料金はどうだったのか?
高校も同じバスの同じ路線を駅まで利用しいたので、Eが東京の大学に進学するまでの1980年代を通したバス料金の記憶です。ちなみに自宅最寄りのバス停から駅までは4キロほどです。

詳細まで完全には記憶していませんが、概ねこうでした。

①1980年以前:140円 ※最古の記憶
(↓ この間の推移は詳細不明)
②1982年頃:170円
③1990年頃:170円
(この後約20年間地元を離れる)
④2010年頃:220
⑤2023年現在:230円

自分でバスに乗るようになった小学校高学年頃が140円、その後は細かい値上げがあったかと思いますが詳細不明。
中学入学当時は170円。これははっきり記憶しています。
その後Eが東京の大学に進学して地元を出る1980年代末期まで、一度も値上げなしでした。

このことからも1980年代の物価上昇の鈍化がわかります。
飛んで2010年頃、50円上がって220円となっていますが、20年前と比べて飛躍的に人々の自家用車保有率が上がり、バス利用者が激減しました。
物価うんぬんの前に需給バランスが根本から変化しているので近年のバス料金は物価の推移の参考にはならないかもです。

漫画本の価格推移

1980年代にEがバス代の次に多く消費したのが漫画本でした。
当時Eの部屋は見事に漫画本であふれていましたが、値段の推移はどうだったのでしょうか。

記憶によれば、「ジャンプ」や「サンデー」、「マーガレット」、「花とゆめ」など漫画雑誌の連載から刊行される単行本は320~360円くらい。
週刊雑誌は200円くらい、月刊雑誌は300円くらいだったかなと。
ちなみにEは当時少女漫画もよく読んでいました。
ちなみに愛読書は「うる星やつら」「めぞん一刻」「軽井沢シンドローム」「きまぐれオレンジロード」「生徒諸君」「エイリアン通り」「少年は荒野を目指す」など。

漫画本価格について調べたところ、Eはほとんど読んでいなかったんですが日本を代表する漫画雑誌「週刊少年ジャンプ」の詳細な価格推移のデータがありました。
これです。

画像引用:HIBIKI FP OFFICE HP
「週刊少年ジャンプの値上げ推移から見える物価上昇の進み具合」


これを見ると、1968年から1980年にかけては「90円→170円」と倍近い80円の値上げ。
ところが、次に値上がりするのが1990年、20円の値上げ。
つまり1980年から1989年の10年間は値上げなし
1990年代以降を見ると値上げが見られますが、これには消費税率や発行部数の減少という、やはり需給バランスの変化も関わっていると思われます。

なんと、Eの地元のバス料金と同様、1980年代は値上げゼロ
これだけを見ると、1980年代の日本経済は物価上昇がストップ。
そんなんで日本経済は大丈夫だった?
となるかもしれませんが、事実は全く逆です。
少年Eが1980年代に感じた日本の経済成長の体感は、1970年代の比ではありませんでした。

1980年代以降は?

現代、特にこの1、2年の物価上昇は生活に響いていますよね。
というのも、生活が苦しくなっていると感じる主な原因が、人々の賃金が物価上昇に追いついていないことにあるからです。

日本がガンガン経済成長していた1970年代。Eは幼く、家計を支えることを考えることのない立場だったこともありますが、少なくとも当時のEの家庭は豊かではなかったにしても「生活が苦しい」という雰囲気はなしでした。
やがてバブル期に至ると、「豊かになった」という実感さえ生まれてきたのでした。
その理由は、当時自分が稼いでいたわけではありませんが、賃金の上昇が物価の上昇を上回っていたからです。

1980年代後半の「バブル景気」
「プラザ合意」なるものの後には、それまで「1ドル=約240円」だったドル円相場が「1ドル=140円台→120円」と歴史的な円高
Eは当時高校生でしたが、興味があって割と新聞で日々為替をチェックしていたのでドル円の動きはリアルタイムで目撃していたのでした。

続く日銀の低金利政策により企業がお金を借りやすくなり、日本は超好景気に
E家族の家計も、Eのアルバイト収入も劇的に好転して、恩恵を受けましたが、それについては過去記事にも触れています。

まとめ

幼いながらに少年Eが体験した、1970年代の物価上昇体験
同じ物価上昇でも、現代のそれとはだいぶ雰囲気が異なります。
というのも、「物の値段は上がるもの」な世界は1970年代に始まったものでもなんでもなく、明治以降、恐らくはそれ以前からずっと続いていたものだからです。
ちなみに木村屋のあんぱんは明治18年には1銭だったそうです(1円=100銭)。

つまり、物価が上がらなかったデフレの「失われた30年」は、日本史上でも稀有の時代なわけで、それを目撃した我々も実は稀有な世代なわけです。
おかげで30年の間「生活費とか長いことそんなに上がらなくていいよね~」「100円ショップでなんでも安く買えるようになったよ~」などと無邪気に喜んでいたわけですが、ようやく日本人は物価が上がらない社会の落とし穴に気付いてきました。

そう、この30年の間も日本以外のほとんどの外国は物価が上がり続けていたのでした。
次回は、Eが体験した外国の物価上昇について語ります。
次回をお楽しみに!

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