50代派遣社員の職歴紹介シリーズ。
新卒で就職した外食産業、レストランチェーンの会社について紹介しています。
前回はEがどんな大学生活を送っていたかについて語りました。
まあ、見事に能天気な底辺大学生だったわけですが、そのツケは就職活動で払う羽目になります。
バブル最末期、あの狂乱の就職活動。
ところが時代はギリ売り手市場だったにもかかわらず、まあ内定が出ない。
今回はそんな30年前の底辺大学生の就職活動について語ります。
前回の記事です。
当時の就活環境
1990年代初期、バブル経済の狂乱にまだ何の陰りも見られなかった頃。
Eは大学三年の後半を迎えます。大学は日本大学商学部でした。
ある時大学で三年生全員を集めてこれから始まる就職活動についてのレクチャーがありました。
Eは「めんどくせ~」と思いながらも参加。
何でも就職活動にはテンプレートがあるらしく、会社にハガキを出したりOB訪問したり面接を受けたりするのだと。
「やりたくね~」と思ったE。
なにしろそれまで、いわゆるサラリーマン的な人と接したことがほとんどない。
Eの父親は親族と工場を営んでいましたが、サラリーマンとはほど遠くスーツなど着たこともないいち職人。
Eが大学時代にやってたバイトも個人経営の飲食店ばかり。
かろうじて付き合いがあったのが、大学の文学サークルを卒業した先輩たち。
仲の良かった先輩とは卒業後も飲みに行ったりしていましたが、先輩たちもサラリーマンになったとはいえ、Eたち後輩と会えば学生時代に戻り和気あいあいと接します。
【サラリーマン】
スーツを着て革のカバンを持って朝の満員電車に乗って変な敬語ばかり使って、何かを作り出すでもなく日々何をやってるのかわからん人達。
これが大学三年生Eにとっての未知の人種サラリーマンについての印象でした(というかこの印象、今でもほとんど変わってません)。
就職活動、そして就職をするということはそういう人たちの渦巻く社会に飛び込むということ。
会ったこともないOBに訪問するとか面接受けるとか、とにかく気が重い。
けど、卒業までの時間はわずか。
超好景気の今現在、バイト先でそのまま正社員になって料理人として働いてもよし。現にそういう人もいました。
とはいえ、人は同調圧力というものにそうそう逆らえるものではありません。
ま、みんながする就職というものを自分もやってみるか、と。
そんな消極的動機で、当時世界第二位の経済大国、その中枢である東京での就職活動を始めることとなりました。
1990年初期の就活プロセス
Eが就職活動をした1990年代初期は、来たるインターネット時代前夜でした。
「MS-DOS」なる、後に登場するWindows95のようなビジュアル上でなく、コンピューター言語によってしか操作できないパソコンしか存在していなかったため、一般人にとってコンピューターもインターネットもないも同然だった世界です。
就活のプロセスの全てはアナログで行われました。
Eのおぼろげな記憶ではこんな感じでした。
①資料請求のハガキを手書きで書いて会社の人事に送る
②資料の入った封筒が送られてくる
③資料請求していなくてもなぜか知らない会社から資料が送られてくる
④資料の中に会社説明会の案内があり興味のある会社に申込む
⑤会社説明会に参加する
⑥企業によってはOB・OGを紹介される
⑦その場合OB・OG訪問して会社についての話を聞く
⑧就職を申し込む
⑨面接や筆記試験を受ける
⑩会社によって合格すると次のステージに進む
⑪最終面接を受ける
⑫内定(または不採用)通知を受ける
といった感じです。
全ては紙、手書き、電話、対面で事が運びます。
エントリーシートも、リモート面接もありません。
バブル末期のEの年、どういう経路で自分の個人情報をたどったのか企業からの就職案内が殺到し、大学四年の4月から8月くらいにかけてはアパートに帰ると郵便受けがハガキでいっぱいになっていました。
Eはこの時期初めて留守番電話なるものを購入しました。
今は知らない人も多いかと思いますが、誰かが電話をかけてくると機械音声が自動的に応答して電話の相手にメッセージを発声してもらい、それを小さなカセットテープに録音する、という今にして思うとかなりアナログな装置です。
「会社四季報」業界地図 2024年版 [ 東洋経済新報社 ] 価格:1650円 |
思い返せば、企業研究は必須でした。
就職活動開始
Eは大学四年の就職活動で内定をもらったのはただ1社。
面接や筆記試験で次のステージに進めた会社もただ1社。
つまり、なぜか内定をもらえたレストランチェーンの会社以外、
あらゆる面接、筆記試験で落ちまくったわけです。
これって、いかに就職に積極的ではなかった底辺大学生Eにとっても結構な精神的打撃を受けましたよ。
俺って社会で必要とされていないのか~、と。
もちろん今から思えば、当時のEが、少なくとも日本の企業社会でまともに通用するような人材ではなかったことは明白です。
が、当時の大学生E、こともあろうに自分は優秀な人材。自分を採用しなかったらその会社は損をする、くらいに思い上がっていました。
このあたり将来、世界最高クラスの自己肯定感を持つようになる片鱗を見せていたとも言えますが。
30年前の当時についてのEの記憶はかなり曖昧なので、こちらは1990年代と現代の大卒の就職活動の比較に関する資料です。
画像引用:株式会社日本経営協会総合研究所HP
「第34回 様変わりしている就職活動/1990年 vs 2015年」
当時の企業の採用活動
始めに言っておくと、今もそうでしょうが採用活動は会社によって千差万別です。
と言っても、Eは内定をもらったレストランチェーンの会社以外は、その会社で最初に合否(というか不採用)が決まる段階までしか知り得ません。
その前提でEが受けた会社の採用活動の一部(というか落ちるまで)について紹介します。
ただし、記憶はかなり曖昧です。大学四年の4月から8月頃まで全部で20社くらい受けたと記憶しています。
大手流通グループE(旧J)
誰もが知る地方の郊外に多くの店舗を持つ大手流通グループ。
会社説明会の次にOB訪問をする。
OB訪問なるものをしたのはこの会社と、世田谷の小さな商社、内定をもらった会社の3社のみ。
正直、当時は新参だったこの会社の店舗に行ったことがなかったから何をやっているのかどこに(店舗は地方に多い)あるのかなどさっぱりわからなかった。今は地元にもあるけど、東京ではほとんど見ないですよね。
そもそもあまり興味がなく、万遍なく出した資料請求の中のひとつだったからOBとマンツーマンにもかかわらずEはほとんど発言せず。OBはよくしゃべる人だったので自分の職業生活をいろいろしゃべってくれた。
Eとは別の学部卒の入社5年目くらいのOB。日大は学部が違うと校舎が違うから別大学も同然。
OBの話は、とにかく転勤が多くて、転勤先の会社の寮の話とか、入社するとどんな仕事をしているとか。
とりあえず、Eが思い浮かべている就職後のビジョンとはかけ離れていたので、OB訪問の後は応募をしなかった。少なくともこの会社では落ちてはいない。
アパレル企業(DCブランド)
当時の丸井やパルコに行くと決まって店舗がある、バブル期を席巻したいわゆるDCブランドの企業。
会社説明会に行った時点で完全に場違いであることを悟る。
大学生Eは田舎者ながらも都会に溶け込もうと、一丁前に丸井やパルコで買ったやたらと高い服を着たりもしていた。
就活用の紺のスーツもブランドは忘れたが丸井でDCブランド物を買った。
会社説明会にはファッション雑誌のモデルかよ、と思うほど見事にスーツを着こなした男女の学生が多数。Eのように田舎臭が漏れまくっている学生も若干いた。
もちろん会社説明をする社員やその他スタッフも完璧な装い。
Eたち一般人と何が違うのか説明は難しいが、とにかく生まれ持ったモノ(都会感?)が違う感じ。
説明会の数日後に適性検査なるものに呼ばれてIQテストのようなものを受けるも、不採用通知が届く。
IQテスト系ならそこそこ自信のあるEなので、不採用の理由はテスト結果ではなく田舎臭と思われる。
中堅クラス化粧品会社
世田谷の住宅街に本社があり、会社説明会に行く。
調布市のEのアパートが近いから受けた。遠くに行くのが面倒だったから、他にもアパートから近い会社はいくつか受けた。
説明会の後、会社の会議室のような広いスペースで学生30人くらいと社員10人くらいで懇談会。
ケータリングの料理とビールが振舞われる。
採用担当の中年の社員が「どんどん食べてください、なにしろウチの前にスエヒロ(レストラン?)がありますからね~」とやたらと連呼していたのを覚えている。このあたりもさすがバブル。
Eは特に誰とも喋らずにひたすら食べて飲んで酔って帰った。
書類選考で不採用通知が届く。なんで?
小規模広告会社
広告会社は当時も花形感があり受けてみた。
その会社はオフィスが渋谷で出勤時間が10時と遅かったので、それだけの理由で結構受かりたかった会社。
ごく小規模なので学生を集めての会社説明会はなし。
呼ばれて行くと採用担当の人から簡単な説明を受けて、即適性試験を受ける。
一般常識的なテストだけど結構難しかった。
後日、不採用通知が届く。なんで?
といった感じでした。
卒業以来、世の就職活動について知る機会がないので最近の様子はわかりませんが、たぶんそんなに変わってないんじゃないでしょうか?
にほんブログ村
内定への道
とにかく受ける会社受ける会社落ちまくったEが、どうやってレストランチェーンの会社の内定をもらったのか。
実はその会社の内定は大学四年の4月に一番初めに会社訪問をし、4月下旬のGW前には内定をもらっていたのでした。
では、ではどういったプロセスで10月1日の内定式を迎えたのでしょうか。
初の会社訪問
まず、就活を前にした状況として、Eは大学入学以来飲食店でのアルバイトを長くやっていました。
バイト先の社員である料理人が20代前半のEと変わらない世代なのに料理長として店を切り盛りしていたり、オリジナルメニューを作ったりしている姿を見て、E自身も料理人の世界に興味を持っていました。
また、同じ職場で働いていたバイト仲間が独立して自分で店を出したり、六本木の高級バーのバーテンダーになったりするのを見て、元々飲食業界自体にはかなり興味を惹かれていたのでした。
この会社は首都圏を中心に、大阪、名古屋など地方を含めて数十の店舗を持ち、レストランチェーンとしては客単価は最高クラス、多くの店舗で広い宴会場を持つといったれっきとした高級料理店の営業形態です。
①三年の終わりの2月頃に大量の資料請求のハガキを出し、この会社からも資料が送られてきていた。
②4月初め、忘れていた頃に採用担当の人から電話が来る。この会社は一斉の会社説明会があるものの、それに先立って個別に会社案内をしたいとのこと。会社側からのアプローチはこれが初。
③都内の本社を訪問。こちらから会社側への訪問もこれが初。
④いざ会社に乗り込む。採用担当の若い社員が対応。
⑤その担当者は見るからに切れ者、清潔感満点、知的かつサービス業的な物腰の柔らかさもありとにかく好印象。「これが社会人か」と感心するE。が、その後の就活で彼ほどの高スペックな人物を見ることはなかった。
⑥後に底辺学生であることが露呈するEに対しても、とにかく人当たりの良さとこちらの話を引き出す見事な会話術で、まるで自分が一人前のビジネスパーソンにでもなったかのような気分を味わう。
⑦Eはバイト経験から飲食業界、特に料理には興味があることを伝える。
⑧担当者は「次回は店舗も見てほしいです」と締めくくり、初回は終了。
と、後から思えば唯一Eをまともな就職希望者として扱ってくれた会社だった気がします。
店舗訪問
初回の会社訪問から数日を置いて再び会社から電話が来ました。
次は店舗訪問に来てほしい、と。
まず本社に行き、都内の主要店舗へGO。
例のインテリジェンススマートイケメン採用担当(名前が長過ぎるため以下「イケ担」)の人に案内されて都内の超繁華街にある店舗へ。彼はまだ入社4年目くらいとのこと。
余談ですが、彼の腕には常にロレックスの腕時計が光っていました。
Eが最初の訪問で彼に「高級な時計を着けていますね」と言うと彼は「あ、余裕ですよ」と。
この人、採用担当として超有能じゃないでしょうか。Eはこの頃すでにこの会社に入りたい、となっていました。
広大な床面積のあるビルの3フロアを占めるかなり大規模な店舗。
訪れたのはランチタイムの終わりごろの時間で客席は半分くらいに引いていました。
そこでイケ担と話しながらランチセットを食べましたが、これが超美味しい!
そう、Eが働いていたレストランチェーンの調理場はかなり気合の入ったプロの料理人でないと生き残れない世界だったのでマジで料理は超美味しかったです。
ランチタイムの忙しさがひと段落した頃、ある店員がEたちの席に呼ばれます。
Eの大学OB、しかも同じ学部卒の2年目の男性社員でした。
どうしても見た目も立ち振る舞いも超スマートなイケ担と比べてしまいます。そのOBは見た目ちょっとさえない人。さすが日大商学部(自虐なんでお許しを…)。
続いて店内を案内してもらいました。
まあ、レストランという概念が崩壊するほどの巨大店舗。
一体幾人の人が働いていて、誰がこれだけの店舗を束ねているんだ?
最後にその店舗の店長に会わせてもらいます。
これがまた、もんのすごく貫禄のある人物。
例えるなら、当時Eが好きだった映画『ゴッドファーザー』のマーロン・ブランド扮するドン・コルレオーネ。
黒のタキシードに蝶ネクタイで髪型もマーロン・ブランドにそっくり。年齢も映画の中のマーロン・ブランドと同じ40代後半くらい。
「か、かっこいい~」と心の中で叫ぶ。
話してみると、寡黙なドン・コルレオーネとは少し違って、きっぷのいい江戸っ子風。自信に満ち溢れた立ち振る舞い。
もう、完全にコルレオーネ店長にやられたEでした。
と、実はこの超大型店舗、Eが入社2年目に2店舗目として実際に配属されて働くことになる店舗だったのでした。
店舗訪問で会った2年目OBはその時には4年目で別の店舗で店長に。
コルレオーネ店長はEがそこで働いていた期間もずっと店長として在籍。彼の下でEはマネージャー的な役職で働き多くを学ぶことになるんですが、そのあたりの詳細は後日語ります。
その後の内定プロセス
その後の、内定までのプロセスはこんな感じでした。
①翌週、再度呼び出されて他店舗も見学。若手が最初に店長として配属されるような小規模のデパート店舗などを回る。
②多人数の学生を集めた会社説明会にも参加する。参加学生は100人くらい。場所は例の超大規店舗。
③説明会的な会の後は、パーティションが外され立食パーティー、ではなく懇親会。超美味しい高級料理やビールが振舞われる。はいバブル。
各店舗から集められた先輩大卒社員たちとの懇談。コルレオーネ店長も姿を見せる。Eはひたすら食べて飲んで酔って帰る。
④後日イケ担から電話で応募の意思確認後、役員面接の日程を告げられる。
⑤本社で専務の面接を受ける。初めて会う人事の人も同席。ごく短い面接で親の職業などを聞かれる。親の職業を聞くのは現代では禁止事項。
⑥2、3日後に内定の連絡を電話で受ける。これが4月下旬、GWの少し前
と、他の会社の就活をロクに始めてもいないうちに1社内定が決まったのでした。
ちなみにこの会社の翌年のEの初任給が21万円。
これ、この時代の初任給としてはその他有名企業よりも高かったと思います。
誰もが知る有名企業でも大卒で19万円くらいが平均だったかと。
内定獲得後の行動
「これは幸先がいい」と思いますよね、普通。
Eはこの後も多くの会社に応募するのでした。
理由は、いきなり内定が出たんだからこれからもバンバン内定をもらえるはず。それにもっといい会社があるかも、だから。
これ、結果的にどちらも間違いでした。
まず、前述のようにEはその後に受けた全ての会社の全ての面接・筆記試験で落ちまくりました。
おまけに、当時日本の企業社会を超甘く見ていたEが、いわゆるサラリーマン的な会社で通用するはずがありません。
しかも、前回の記事でも触れましたが、若かりし頃のEは超ロングスリーパーで午後5時から午前3時以外の時間帯は常に必ず眠くて調子が出ない、という昼と夜が逆転した体内時計を持っていました。
東京では一般的な午前9時から始まる職場では適応できず、かなり低いパフォーマンスしか残せなかったことでしょう。
落ちまくりの就活と並行して、内定をもらったレストランチェーンの会社からは10月1日の内定式に至るまでも度々呼び出しがありました。
①その時点での内定者全員を集めて店舗訪問。直近でオープンしたばかりの高層階から東京湾が見渡せる店舗など訪問。こういった店舗訪問が3回ほどあったかと。もちろん毎回料理が振舞われる。
②内定者は大卒営業がEを含めて8人。短大卒の事務採用が2人。大卒営業の中には店舗で現役アルバイトとして働いている学生も複数いた。
③夏休み時期に名古屋や大阪など地方の店舗をめぐる2泊3日の企業研究なるものに参加。とはいえ半分観光旅行の様相で難波で吉本新喜劇を鑑賞したりなど。このあたりもなるほどバブル。
Eは出発当日ギリギリに起きて遅刻しそうになるわ、下着やタオルなどお泊り用品を忘れまくるわ。
④10月1日に本社で内定式に出席。初めて社長に会う。この日は飲食なしでお帰り。
と、めでたく内定式。
就職先が決まったというわけです。
落ちまくった他の会社の就活は8月の終わりころには諦めていました。
付け加えておくと、Eは内定が出るまで事あるごとに料理に興味がある、料理がしたい、と言っていたのでてっきり料理人として雇われるものとばかり思っていました。
内定後に出席する集まりでは、店長になることを前提に話が進むので、やがて、徐々に大卒営業は店長候補として就職の内定をもらったことに気づくという。
ここに至っても能天気な底辺大学生のEでした。
後から考えても、その時点での底辺大学生Eにとって、内定をもらったこのレストランチェーンの会社が最善でした。
なぜなら、最初に配属されて約1年働いた店舗では店長が緩い人だったおかげで、さらに1年バイトさんたちと面白おかしく過ごすモラトリアムが許されたからです。
ただし、2年目に例の超大型店舗に異動するとその厳しさに、まあ揉みくちゃにされます。
改訂版 確実内定 就職活動が面白いほどうまくいく [ トイアンナ ] 価格:1650円 |
こういった本も読んでおくべきでした。
まとめ
と、職歴紹介と称しておきながら前回は大学時代の話、今回は就職活動の話、となかなか本題に入っていませんが、次回はいよいよ新卒としてレストランチェーンの会社に就職します。
Eがあれほどまでに底辺の不謹慎就活生で就活で落ちまくった原因は常々「バブルという時代のせい」だということにしています。
日本はEの就職年を最後にバブルは崩壊し、一気に就職氷河期と呼ばれる時代が来ます。
さすがにそれ以降、Eのような学生は消滅したことでしょう。
それにしてもあの会社、よくEなんか採用しましたよね。
Eの職歴紹介は続きます。
次回をお楽しみに!
レストランは極力予約した方がいいサービスが受けられます。