たいへんお待たせしました、
Eがかつて日本語教師として台湾に移住した冒険物語、第三弾です!
前回は、どうにか乗り越えた大緊張の初授業の模様をお伝えしました。
今回は、初めての移住、当時はホントに交通が不便だった台中市、中国語もゼロ、そんな中でEがどんな学食住の生活をスタートさせたのかを語ります。
今回は台湾でどうやって部屋を探したのか、どんな部屋に住んでいたのかを紹介します。
前回の記事です。
台中市でアパート探し
外国に移住、となると大きな問題が住居の確保。
始めの1週間くらいは一日500元の安ホテル暮らし。
前回の記事ではさらっと紹介しましたが、Eは中国語ができる先輩の日本人教師に探すのを手伝ってもらいました。
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エリア選定
まず、エリアをどこにするか。
着任当初のEは教えることになる台中市内の分校が2か所ありました。
①台中駅の目の前の台中站前分校(駅は中国語で火車站)
②若者でにぎわう夜市、一中街の近くの三民路の三民分校
先輩によると、この二校に通うのに、また食事の確保をするのに便利な「中華夜市」のある中華路の近くがいい」とのことなので、まずは中華路へGo!
当たり前だけど昼間に夜市に行っても店は開いていない(店を組み立ててもいない)。
ひっそりした道だけど、なるほど夜になればにぎやかになりそうな雰囲気は兼ね備えている。
お部屋拝見
先輩と中華路を歩き回るけど、意外とまともなアパートがない。
中華路のど真ん中、大きめのビルがあって先輩が、そこに入ってみよう、と。
飲食店と飲食店の間を抜けてビルに入ると、やや暗い入口に管理人がいる。
先輩が話をつけて、現在空室の部屋の鍵を二つほど受け取りエレベーターで上に。
約20年前のことで、日本と違って、経済成長著しい物価が常に上がっている台湾のことなので今の相場とは比較できませんが、家賃が7~8千元くらいの部屋でした。
これ、台北の家賃相場と比べると格段に安いです。
同レベルの部屋で台北だと確実に(当時でも)1万元は超えます。
台中の家賃はざっと台北の6~7割程度だと思います。
のちに学校で台北に住んだことがある生徒に聞くと、たいていは友人とルームシェアをするなどして節約しているようでした。
どちらもワンルームでシャワートイレあり、キッチンあり(ガスコンロなし)。
部屋はやや暗め。
先輩によるとまあまあの部屋とのこと。
この時に初めてわかったことですが、台湾ではこんな風にビルの管理人が鍵を管理していて、部屋を見たいという客には空室の鍵を貸してくれます。
気に入った部屋があれば、管理人が大家さんに連絡を取ってくれて契約、となります。
そして、大家さんはいち個人でああることが多く、家賃収入のために部屋を所有して管理はビル側が行う、というわけです。
日本のように街の不動産屋はほとんど見かけません。
「部屋は足で探す」が合言葉(?)です。
でも当然ですが、
今ならwebサイトで簡単に探せます!
とりあえず二つの部屋はほぼ同じ条件。安い方を候補のひとつとして他も探してみることに。
安くていい部屋発見!
夜になると屋台が立ち並ぶこの中華路のど真ん中に住むのは、食事には便利だし、なんとなく楽しい雰囲気ではあるけど、生活するには意外と不便かも、という先輩のアドバイスで少し離れたところで探してみよることに。
と、中華路から見える、ひときわ大きくて立派なマンションがありました。
その方向に行ってみると中華街から一本台中駅寄りの道にあって、外観もきれい。
さっそく中に入って、管理人に空き部屋はないかと聞いてみる(先輩が)。
空室の鍵を3つほど渡され、エレベータで上に。
ひとつひとつ見て回ると、先住人の趣味によって部屋の内装、雰囲気が様々。
明らかにかなりの手を入れなければ住めなそうな部屋もある。
その中のひとつの部屋が、かなりマシな状態でまあまあきれい。しかも家賃もその日最安の五千元。
こんなに見た目立派なマンションに、こんなに安い部屋があるなんて~!
床がやや傷が多いもののフローリングで、Eがいつもそうしていたように床に座る生活ができる。
台湾ではタイルの床が多くて、椅子に座る生活が一般的なので稀少。
すぐ、その部屋に決めました。
管理人に大家さんに連絡を取ってもらい翌日契約で即入居となりました。
さて、部屋の概要です。
・8階のワンルーム、広さは10畳くらい。
・シャワー、トイレ付き。
・キッチン的スペースあり、水道の蛇口はあるけどガスコンロなし。
・大きめのクローゼット、引き出し付き
・家具付き(キングサイズベッド、テレビ、ボロいエアコン、化粧台、低い木製テーブル)
・セキュリティーも安心。いったん入り口を入るとエレベータに通じる扉は管理人が住人を確認してリモコンで解錠しないと開かない設計。
まあ、これだけそろっていればとりあえず生きていけるかなという感じですよね。
逆にないものもあります。
・バスタブ。まあなくてもいい
・洗濯機と洗濯機置き場
・網戸
なくても生きてはいけますが、住んでみると結構な不便が生じる物もありました。
Eが住んでいた部屋のあるマンション
引用元:Google マップ ストリートビュー
新居のデメリット
洗濯機が使えないのにはかなり苦労して、日常の洗いものはほとんど手洗いしました。
こういう住環境の人も多いようで、街には安いクリーニング屋がたくさんあります。
ジーンズやシーツなど手洗い困難な大きい洗い物は、クリーニング屋に持ち込んで洗ってもらってました。買い物袋いっぱいで当時80元ほど。
朝出せば夕方にはできているという。この便利さの割にEはあまり利用せず、ひたすら手洗いしていました。
網戸がないのも夏には虫が入ってきて困りました。
スライド式の窓でなく、押して開けるタイプの窓で網戸の取り付け困難。
窓を閉めてエアコンつけていればいいじゃないかと思うかもしれませんが、常にエアコンつけっぱなしだと電気料金が大変なことになります。
それにEは夏の暑さ大好きなんで、真夏でも扇風機だけで耐えられます。
南国の台湾の夏、というと最近の日本の40度に達するような猛暑を想像するかもしれませんが、そこまで暑くなることは滅多にありません。
日本の猛暑が異常なだけです。
Eの家族が住むセブもそこまでの暑さにはなりません。
なので、Eは窓を開けて扇風機で過ごすことがほとんどでした。
最近台湾をはじめ、アジアの都市に行くとホントに蚊が減ったなと思うんですが、当時は真夏は蚊が入ってきます。
蚊だけならいいんですが、Gも入ってくることがあります。
Gが大嫌いなEには、このアパートでのGの恐怖エピソードは数多くあるんですが、ここでは控えます!
引っ越し、新生活開始
契約の日には部屋探しを手伝ってくれた先輩も通訳に来てくれました。
中国語の契約書にサインして契約完了。
その際に、保証人の欄もあり先輩が記入してくれました。
Eが一人で契約に臨んでいたら契約成立できないところでした。もちろん家賃はちゃんと払います。
それにしても、この20年前という時代でも月5千元(管理費500元)はかなりの格安でした。
2年ほど住んだ頃、オーナーが代わったとのことでEがいる時に部屋を見に来て家賃を上げていいかと聞いてきたことがありました。
Eが家賃を上げるなら他を探す、というと据え置きということになって帰国するまで5千元の家賃で住み続けられました。
入居当日は即必要となる布団を買いに行きました。10月下旬の台湾は結構涼しくて綿の入った布団でないと寒いです。
中華夜市でにぎわう中華路にいくつか雑貨屋があり、それらはホントにEの生活を支えてくれました。
布団を買った雑貨屋でカセットコンロとやかんも購入。とりあえずインスタントコーヒーが飲みたい。
そして、
中華夜市で食事!
これも後にわかったことなんですが、台中に数多くある夜市の中でも中華夜市は廃れつつある夜市なのでした。
Eが住んでいた3年ほどの間にも店の数は明らかに減少。屋台のメニューも台中最大の夜市、逢甲夜市などの他の夜市と比べると割高。
とはいえ、その時はそんなことは知る由もなく、席がある店に入って炒飯(だったと思います)や水餃子などを食べ、蚵仔煎(牡蠣を卵と片栗粉で閉じたオムレツ(?)風の屋台料理)を持ち帰ったりなど台湾料理を堪能。
これこそが台湾移住の醍醐味!
代表的な台湾小吃の蚵仔煎(オアツェン)です。
まとめ
いろいろあるものの、比較的簡単に安くていい部屋を見つけることができました。
Eの場合は、先輩の日本語教師に通訳してもらったりアドバイスをもらったりすることで、そして歩いて、いい部屋を見つけることができました。
今なら日本語の部屋探しのサイトもあるようです。
それにしても既にそこに住んでいる人のアドバイスは貴重です。
これは日本で不動産を探すときも同じですよね。
次回も20年前の台湾での新生活の様子を紹介していきます。
次回をお楽しみに!