みんな大好きサザンオールスターズ!
1978年にデビュー以来、現在まで約半世紀に渡って日本の音楽シーンの中心で活躍し続けた大人気バンド。
はい、50代派遣社員Eも大好きでした。
と過去形でいうのも、Eが中学生だった1980年代から90年代前半まで、あれほどまでにサザン、桑田佳祐の音楽を聴きまくっていたものの、あるきっかけで興味を失い、時々テレビで見るくらいにしか彼の曲を聴くことがなくなったからでした。
とはいえ、中学時代にサザンから受けた衝撃は強烈だったし、中学から大学にかけて熱狂的に聴いていた桑田佳祐の曲は今でも大好きです。
今回はEの音楽体験の中でも、いや人生でも特筆すべきサザンオールスターズについて語ります。
前回の記事です。
Eの人生とサザン、そして桑田佳祐
サザンオールスターズ、桑田佳祐の熱狂的なファンは日本全国津々浦々、老若男女、砂の数ほどいることかと思います。
Eは、少なくとも中学から大学時代にかけては日本でもトップクラスの熱狂的サザンファンだったと自認しています。
ちなみに、もしサザンオールスターズについてよく知らないという人は、詳細をウィキペディアやオフィシャルサイトで知ることがでるので是非。
⇒ サザンオールスターズについてのウィキペディアはこちら
⇒ サザンオールスターズのオフィシャルサイトはこちら
Eのサザン体験
そんな50代派遣社員Eのサザン体験がこれです。
①小学生の頃、テレビの歌番組で「いとしのエリー」にハマり歌を覚える。テレビではいつも1番しか歌わないため2番の歌詞は中学生になってから知ることとなる。
②その後サザンはほとんどテレビに出なくなり、テレビしか音楽の情報源がなかった少年Eはこの後数年間サザンの存在を忘れる。
③中学生になりFMラジオで聴いた「EMANON」という曲に衝撃を受ける。「いとしのエリー」時代とは比較にならないくらい洗練されたサウンドとボーカルに、もっとサザンを聴きたいと思う。
④サザンファンだった同じクラスの親友Dが持っていた、1983年時点までのほとんどのサザンの音源をカセットテープで入手し聴きまくる。
⑤その結果、リリースされていた(シングルレコードB面なども含め)ほとんどの曲を歌えるようになる。当時の中学生Eが聴く音楽の割合が一時、サザン8割、洋楽1割、他邦楽1割とサザン率が跳ね上がる。
⑥中学校の学校で行われるイベントなどで人前でサザンの曲を歌う。学活で「匂艶 THE NIGHT CLUB」、(Eが卒業生の)卒業生を送る会で「ミスブランニューデイ」など。
※文化祭はサザンでなく、吉川晃司の「モニカ」だった。
ここまでが中学時代。
そう、Eは中学時代よく人前で歌を披露していました。
クラスに目立ちたがり屋が多くいたので、いつも仲間でなにかしら理由をつけて(お別れ会とか祝勝会とかいろいろ)会を開いてはそれぞれ好きな曲をクラスメイトに強制的に聞かせていたのでした。
現代のようにスマホで簡単にカラオケ、とはいかなかったのでレコードの曲そのままをカセットテープにダビング(今でいうダウンロード)したものをバックに歌うわけです。

1984年のシングル「ミス・ブランニュー・デイ 」も死ぬほど聴きました
画像引用:サザンオールスターズ オフィシャルサイト
そしてサザンへの情熱は高校時代へと続きます。
⑦高校時代にサザンが活動休止、桑田佳祐が【KUWATA BAND】を結成。全編英語歌詞のアルバム「NIPPON NO ROCK BAND」を夏休み中に聴きまくり、すべて英語で歌えるようになる。
高校の遠足バスの車内でアルバム中の「She'll Be Tellin'」などを披露し、クラスメートを驚愕させる。
そのカセットテープはEの持参。
⑧高校時代に念願のエレキギターを入手。サザンの「ボディ・スペシャル II」などを練習するが、あまりの楽器の才能のなさに一旦断念する。
⑨1988年、コンサートツアー「真夏の夜の夢」で親友のDとサザンの地方公演でコンサートを初体験。熱狂と共にまさに真夏の夜の夢を見る。
⑩日本大学に入学し上京。サザン熱は今だ冷めないものの、洋楽やジャズを聴く割合が増える。
⑪1991年にコンサートツアー「Southern All Stars THE 音楽祭 1991」で2回目のコンサート体験。西武球場が大雨だったのと、同じく上京していた友人Dがドタキャンで一人で見に行ったためやや興ざめだった。
⑫1992年発表のアルバム「世に万葉の花が咲くなり」があまりにも最高中の最高だったため、恐らくEの人生で最も繰り返し聴いた音楽アルバム作品となっている。
アルバム中の「せつない胸に風が吹いてた」は全桑田佳祐作品中でEの中では最高傑作となっている。
⑬1994年1月、コンサートツアー「しじみのお味噌汁コンサート」で3回目のサザンコンサートを横浜アリーナで体験。現在のところ、これが最後に観覧したコンサートとなる。
と、ここまではEが全力でサザンファンだった期間の推移です。
ここから風向きが変わります。
⑭同1994年に【BLANKEY JET CITY】というバンドに猛烈にハマり、急激にサザン熱が冷める。というかむしろ敬遠するようになる。実はかねてから桑田佳祐の社会風刺的な歌詞や人格を疑うような性的表現のある作品には嫌悪感を感じていた。
⑮1996年発表のアルバム「Young Love」を購入するも「愛の言霊 〜Spiritual Message〜」以外の曲には失望。以降は桑田佳祐が発表するアルバムを購入することはなく、2000年にシングル「TSUNAMI」を購入したのみとなる。
「え、あんなに好きだったサザンを嫌いになっちゃったの?」と思うことでしょう。
実はその通りでした。そういう時期がありました。
ある偶然でEは、BLANKEY JET CITYの浅井健一(ベンジー)の音楽に出会って心酔。
BLANKEY JET CITYのあまりにも純粋で直球すぎる正統派ロックと、何でもやって何でもできてしまう器用すぎるプロフェッショナル音楽のサザンとの対比が浮き彫りになったのでした。
また、同時期以降の桑田佳祐作品には社会風刺的な歌詞が増え、ベンジーの「世の中は汚い、でも自分も汚い」という姿勢の歌詞と、桑田佳祐の高見からの「俺は違うけど」と感じさせる批判の歌詞との対比もあり、桑田佳祐の音楽を敬遠するようになったのでした。
それに桑田佳祐お得意の性的ソング。
ファンになりたての頃は面白い、とEも喜んで聴いていました。
が、特にアルバム「KAMAKURA」に入っているあの曲(名前も出したくないくらい嫌い)。現代なら女性蔑視と問題になりそうな程のかなり下劣な歌詞内容で、あれさえなければ「KAMAKURA」はサザンのベストアルバムに挙げるところなんですが…
あんな歌を歌って、または聴いて何が楽しいんでしょうか?
まあ、話には続きがあります。
なにしろ半世紀近くにわたって音楽活動を続けるサザン。
Eの心境も時の洗礼を受けます。
⑯とはいえ1992年頃までの前期サザン曲は引き続き高く評価していて、カセットテープ遺失後も音源を安価、またはタダで入手できたものは、現在に至るまで時折聴いている。
⑰2021年にE自身のYouTubeチャンネルで、Eがギターで演奏しながら歌ったカバー曲と娘の成長記録的な映像を組み合わせた動画をアップするようになる。その中で古いサザン曲を数多く公開する。
YouTube最初のサザン曲が2021年【Worker-E】チャンネルでの「希望の轍」。
直近の曲が2023年【Kay のファミリールーム ーKay's Family Room】チャンネルでの「PLASTIC SUPER STAR」。
と、近年はややサザン熱が復活気味でYouTubeで歌うための練習に昔の曲を何度も聴いたりしたりしていました。
YouTubeチャンネルで計7作ほど公開しています。
サザンの最高傑作「せつない胸に風が吹いてた」を歌ってます!
話を中学時代に戻します。
衝撃の80年代サザン!
今回の記事の趣旨はEが主に中学時代を過ごした「80年代前半」なので、ここからは80年代前半に話題を絞ります。
Eがサザンの全盛期であると考えている時期も80年代前半なのでちょうどいいです。
サザンが80年代前半に出したアルバムがこれです。
Eの中学時代に寄せて1981~85年とします。
1981年 ステレオ太陽族
1982年 NUDE MAN
1983年 綺麗
1984年 人気者で行こう
1985年 KAMAKURA
どうでしょう!
オールドサザンファンなら納得の心躍るような傑作ぞろい。
この間のシングル曲と、Eの好みも含めた代表曲はというと。
【シングル曲】
1981年
栞のテーマ
1982年
チャコの海岸物語
匂艶 THE NIGHT CLUB
Ya Ya (あの時代を忘れない)
ボディ・スペシャル II (BODY SPECIAL)
1983年
EMANON
東京シャッフル
1984年
ミス・ブランニュー・デイ
Tarako
1985年
Bye Bye My Love (U are the one)
メロディ (Melody)
【その他代表曲】
My Foreplay Music
朝方ムーンライト
PLASTIC SUPER STAR
Oh! クラウディア
マチルダBABY
旅姿六人衆
JAPANEGGAE
メリケン情緒は涙のカラー
怪物君の空
Long-haired Lady
アルバム曲もシングル曲に全く引けを取らないくらい素晴らしいものばかりですよね。
なぜこの時期がサザンの全盛期かというと、サザン、そして桑田佳祐自身がどんどん進化していき、どんどん洗練されていった時期だったからです。
さて、そんなサザンの魅力とは何だったんでしょうか?
改めて紐解いてみましょう。

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サザン、桑田佳祐の魅力
Eが考えるサザン、というか桑田佳祐の魅力はこれです。
一般的に言って、サザンの99%は桑田佳祐を意味していますから。
①唯一無二の、他に似ていると思える存在すら浮かばないあの個性的な歌声
②多彩な声色、感情を揺さぶる歌唱技巧、そもそもの音域の広さと声量
③あらゆるジャンルを網羅する曲作りの多彩さ、音のイメージの豊かさ
④それでいて広く大衆に受ける曲をいとも簡単に作れる
⑤多様なボキャブラリーで様々な心情やキャラを無限に生み出す作詞能力
⑥日本語と英語を巧みに組み合わせて美しい語感を生む独自の歌詞世界
⑦音楽を離れた場面でも、面白い、人がいい愛されキャラで、イケメンではないがそこそこ男前
⑧ライブがとにかく盛り上がる、楽しい。
⑨長きにわたって致命的なスキャンダルがない
まだまだあるけど書ききれません。
「音楽人」として卓越していて「人気者」としての条件もすべて兼ね備えているわけです。
上記の中のひとつふたつでも持ち合わせていれば、充分一流としての地位を確立できるくらいなのに、桑田佳祐という人にはあらゆる才能が備わっているというミラクル。
なるほどこの半世紀、いや日本の歴史上、これだけの長きにわたって第一線で活躍し続けたミュージシャンは、桑田佳祐以外には思いつきません。
ここ数年、業界トップでありながら五十や六十も過ぎて、上記⑨のせいで世の中から姿を消す人もいる中で…
全ての才能を手にした奇跡の人でなければなせない業でしょう。
そんな桑田佳祐の最も成長著しかった時代を中学生Eは知ることができたわけです。
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サザンの最高傑作を是非!
凄まじいハマり具合
では、中学生Eはどれほどまでにサザンにハマっていたのでしょうか。
当時発売されていた、もう廃刊になった一冊の文庫本があります。

Eの蔵書『ただの歌詞じゃねえかこんなもん』 桑田佳祐著
この文庫本はサザンのデビューアルバムから、Eがラジオで聴いて衝撃を受けてサザンにハマるきっかけになった曲「EMANON」の入ったアルバム「綺麗」までの6作全曲と、シングルレコードのA面B面全ての曲を含めた、全88曲の歌詞が収められた歌本です。
本の表紙はボロボロで、背表紙は切れて紛失していたり、やたらとシールが貼ってあったり、外観のほとんどが手垢で汚れていたりします。
どれだけEが、この本を常に手に持ち、サザンの曲を聴きながら歌の練習をしていたのかがうかがわれます。

『ただの歌詞じゃねえかこんなもん』の目次
中学生Eが歌える曲にチェックを入れた痕跡あり。◎は好きな曲?
この中の曲、シングルB面で入手できなかったチェックのなかった3曲を除いた85曲を半年ほどの期間ですべて歌えるようになっていたくらいです。その中には「ラッパとおじさん」など英語のみの曲もあります。
その他、桑田佳祐がなぜか「嘉門雄三」という名前で出したライブアルバムの中の、原由子とデュエットのオリジナル曲「Reggae Man」なんかも歌えたりします(それ以外の曲は洋楽カバー曲)。
これがどれほど膨大な作業だったのか。
今思うととんでもない時間を注ぎ込んだ作業だったはずです。
というか、今のEなら一人の歌手にこれほど入れ込むこともないだろうし、全ての曲をなどでなく、好みの曲だけつまみ食いすることでしょう。
今と違って、曲の頭出しに時間がかかるカセットテープで聴いていたという当時の事情もありますが、なにしろ学生には有り余るほどの時間があります。って「勉強してなかったのか」と思われそうですが、Eはホントに家でほとんど勉強していませんでした。
それに、当時の方が今よりも簡単に曲を覚えられていた気もします。
なにしろ中高生の頃は、サザンだけでなく洋楽も含めて無数の曲を覚えて歌っていましたから。
今はとても無理…
実はE、これと同じことをその約10年後に再びやります。
そう、BLANKEY JET CITYに出会った時です。
それについてはいつの日か、当ブログで語る予定です。
Eがサザンを卒業した理由
前述のように、中学から大学までさんざんサザンにハマりまくり続けるEですが、卒業を迎える時が来ます。
Eの大学時代に出たアルバム「世に万葉の花が咲くなり」でサザンは頂点を迎えるわけなんですが(Eの私見です)、残念ながらその後のサザンにそれまでのような心躍るワクワク感はなくなります。
以降のサザンは、彼らを取り巻くプロの音楽集団と共にこれでもかという超絶技巧を操り、あの手この手で聴き手を楽しませてくれているように見えます。
なにしろサザンは、ひとつのアルバムで、ひとつのコンサートで、いろいろなジャンルの曲を何でもやって何でもこなしてきたバンド。
悪く言えば、一貫性がなく、特に強く主張するものもない。
Eには「世に万葉の花が咲くなり」以後のサザンには中身のない空虚さしか感じられなくなっていたのでした。
もちろん、2000年のBLANKEY JET CITY解散後も別バンドで自分の音楽を貫くベンジーの存在がサザンとの違いをくっりきと浮かび上がらせていたせいもあります。
まとめ
Eがサザンと出会った中学時代、1980年代前半を中心に、Eのサザン熱について語りました。
それはこの後、Eが高校生になっても収まることはありませんでした。
サザンは桑田佳祐の妻でもあるキーボードの原由子の出産もあり、活動を休止。
桑田佳祐は別バンドやソロ活動へと活躍の場を移したりしますが、高校生Eの桑田佳祐への飽くなき探究心は変わりません。
が、それについては「高校生編」までお待ちください。
これからも50代派遣社員Eの少年時代について語ります。
次回をお楽しみに!
