前回記事では激甚災害「発生時」の究極のリスク排除について語りました。
さて、南海トラフ大地震の震度7の揺れや津波の危機から逃れて生存できたとします。
その後のライフライン寸断、水や食料供給の不足、住居の損壊や喪失、医療体制崩壊といった過酷な環境で数か月、あるいは数年暮らすことに耐えられますか?
また地震による直接的な被害を受けなかったとしても、日本に住んでいる限りその被害を受けずにはいられません。
日常生活、経済、為替、生産活動、雇用、労働環境とあらゆる方面への影響は避けられません。
今回は、来たる激甚災害「南海トラフ大地震」後の日本に訪れる「究極のリスク管理」について語ります。
結論を言うと、Eは災害大国に住む日本人は国外にいつでも逃げられる準備をしておくべきだと考えています。
前回の記事です。
南海トラフ大地震後の日本
最大震度7の揺れや、最大30mを超える津波の被害が予想され、100%発生すると予想されている南海トラフ大地震。
震度7や津波が10分もかからずにやって来る最も危険な地域に住んでいる人にとっての、生存のための唯一にして究極の防災は「起こる前に逃げる」しかない、と移住を提言しました。
ところでこの南海トラフ大地震、震災後は順調に避難生活へと移行し、復興が進んでいくのでしょうか?
って、もちろんそんな甘いことを期待している人はいないですよね。
南海トラフ大地震という一過性の嵐が過ぎ去ってしまえば次の100年は安心、と思っちゃっている人はヤバいです。すぐに情報を取ってください。
南海トラフ大地震の被災現場は地獄絵図もあり得ますし、その被害は被災地だけではありません。
南海トラフ後の日本はどうなるんでしょう?
派遣社員Eでも思いつく未来がこれです。
かなりの最悪と言えるケースも含みます。
①被災者支援、復興のため国家予算の危機
②生産拠点消失、損壊による生産能力破綻
③日本株が大暴落
④大量企業倒産、全国的に失業者であふれる
⑤農地、生産者の被災による食糧危機
⑥直後の円高、その後の長期的円安で原油、輸入食糧の高騰
⑦国内のクラウドも含めたサーバー損壊で大量の情報喪失
⑧被災地の治安悪化、局地的な無政府状態、反社会組織乱立
⑨日本領土侵略のための近隣国の軍事行動
⑩日本の領土分断で離散家族発生
と、簡単に10個思いついてしまいました。
⑨⑩はマジで最悪なケースで可能性は低いと思われますが、①~⑦くらいは十中八九起こることですよね。
⑧の「被災地の治安悪化、局地的な無政府状態、反社会組織乱立」。被災現場があまりにも広範囲で、慢性的な物資不足が長期化すればあり得なくはないんじゃないでしょうか。
極限の環境下では下手をすると、
物資の奪い合いさえ起るかもしれません。
太平洋戦争後の物資不足の時代に反社会的組織が闇市を仕切ったように、無政府状態に陥る可能性はあるんじゃないでしょうか。
被災地でなくても日本に住んでいる限り、不可避ともいえる南海トラフ大地震の被害。
間接的に社会に大きな影響を及ぼすことは歴史が証明してもいます。
170年ほど前に起こった南海トラフ大地震(安政南海地震)も数万人の死者を出し、翌年に起こった江戸直下型地震で幕府の財政が逼迫し、大政奉還に繋がったといわれています。
現代日本も、経済レベルが先進国から途上国に転落することが確実とも言われています。
こんな状況が、近い将来訪れます。
大震災後の日本円の動きは?
ちなみに震災後の為替の動き。
日本が壊滅的な被害を受けたなら円安になるのでは、と思うかもですが過去の阪神淡路大震災や東日本大震災では発生後に大きく円高に振れました(東日本大震災の際はG7の協調介入のおかげですぐに円安に戻り為替は安定)。
政府や国内企業が、被害からの再建のために海外資産を円に戻すからだといわれています。
が、長期的に見れば日本の輸出産業の低迷で、貿易収支は確実に赤字になるでしょうから円安時代が訪れるとの予想がされています。
Eがいつも投資の情報収集に視聴しているYouTubeチャンネル「NOBU塾 1.0」でも解説されています。
動画内でNOBUさんも言っていますが、南海トラフ大地震が日本経済を良くする要素はありません。
では、崩壊を目前にした日本人がこのリスクにどう備えるべきか、Eの考えを述べます。
外国人の地震の捉え方
唐突ですが、香港に行ったことってありますか?
かつてイギリスがアヘン戦争後の南京条約によって清朝から割譲され、その後高度に経済発展した広東省の片隅にある小さな特別行政区です。
Eは以前香港に友人もいて何度も訪れたことがあり、、まあ狭い土地にこれでもかというくらいの高層ビルが密集しています。
経済の中心地である香港島はもちろんのこと、新界の山間部にも過密人口を賄うタワマンが林立しています。
日本人からすると地震が来たら危ないよな~、と感じますよね。
まず倒壊の恐れ。それに高層ビルの上層階は地震があった際には 長周期地震動により実際の震度よりかなり大きく長く揺れると言われています。
が、香港では心配ありません。
香港は非常に硬い地盤の上にあり、有感地震が起こることさえ非常に少ないとのこと。
香港島の高層ビル群
香港の友人のケース
Eが香港の友人と交流があったのは2010年前後でした。
そう、東日本大震災が発生した頃です。
当時、東京にある世界的有名企業の拠点で働いていた香港大学卒の超エリートの友人がいました。
2011年3月11日、あの東日本大震災が発生。
Eの地元はかなり揺れましたが、実質的な被害は特になし。
が、東京は大混乱でしたよね。平日午後3時台の地震で都内の電車は軒並みストップ。その日のうちに運転再開できた路線もありましたが、多くの都民が帰宅難民となりました。
それに続いて福島第一原発の原子炉が危機に。
香港人にしてみれば、地震の揺れを体験することすら珍しいことなのに、外国の大都会で帰宅困難状態に巻き込まれ、原子力発電所の原子炉が危険な状態に。
日本に住むEでも恐怖だったのに、香港人にしてみればどれほどのパニックに陥ったことか。
はい、彼は地震後数日にして、コントロールが効かなくなった原子炉の恐怖におびえる日本を後に帰国。
その後再び日本に住むことはなく、香港の別の世界的一流企業に転職しました。
そう、つまり日本以外に住む場所のある外国人にしてみれば、
「日本人って何でこんな場所に住んでいられるの?」
ってなるわけです。
ちなみに当時東京の有名家電メーカーで働く台湾の友人もいました。彼はEが台湾の台中市で日本語教師をしていた頃の生徒でした。
1999年の台湾中部で発生した911大地震を経験していた彼は落ち着いたもので、震災当日の夜に彼とメールでやり取りしたところ、「電車が停まってるから同僚と会社に泊まる」とのこと。
その後彼は日本人女性と結婚して日本に定住していました。
フィリピンのセブ出身のEの妻も然りですが、日本人ほどではないにしても、フィリピン海プレートのへりの国々に住む我々は世界でも珍しい地震に慣れた国民なわけです。
Eのケース
再び2011年3月の話です。
地震が発生した3月11日は金曜日でしたよね。
前述のように地震発生当時、Eの地元はかなり揺れたものの目に見える物理的被害はなし。
当時、社会保険労務士試験の勉強中だったので(この年の試験で合格しました!)金曜日の夜は家に帰って勉強。週末も勉強。
が、地震のニュースも気になります。
とんでもない津波の被害、そして福島第一原発が全電源喪失で原子力の圧力上昇とのニュース。
これ、少なくとも日本の東側に住んでいる人なら背筋が凍り付きましたよね。
思い浮かぶのが1986年のチェルノブイリ原発事故。
人類史上最悪の原発事故は原子炉の爆発によって大量の放射性物質が大気中に放出。
爆発した原発の処理をした作業員や、強制退去になった付近住民など数十万人が被ばく。
原発事故では直接の死者数のカウントが難しいものの、理論値で死者数4,000人などとされています。
前回記事でも触れましたが、Eは「そんな大事故が日本で起こるわけがない」などと考えてしまうなどの、リスクに対する正常な判断力を奪う認知バイアスから意識的に逃れようとする習慣があったE。
例えば可能性が10%未満だとしても、起こった場合に生命にかかわるようなリスクであれば、懸念リストの上位に挙げざるを得ません。
「あの悲劇が日本で今、再現されるかも」とリスクを正しく認識したE。
3月12日、13日と週末を家で勉強しながら過ごしますが、月曜日は出勤です。
3月14日朝、Eの出勤前の状況はこんな感じでした。
①運転中だった1~3号機の電源喪失。原子炉の冷却装置が注水不能。
②付近住民に政府からの「避難命令」や「屋内退避」の指示
③原子炉格納容器圧力異常上昇の報
④格納容器内の蒸気の放出(ベント)を行う
⑤1号炉原子炉建屋で水素ガス爆発発生
⑥原発敷地内で放射線量が上昇
⑦原子炉内の冷却水が沸騰し核燃料が露出している可能性あり
⑧原子炉内の圧力は依然として高いと推測される
重要なことは、今でこそ資料を調べれば上記のようなことが起こっていたことがわかっていますが、震災と津波の直後の大混乱の中、わかっていたのは「全電源喪失」「水素爆発発生」「放射線量上昇」「原子炉内圧力上昇」などのショッキングなワードのみ。
実は炉心溶融(メルトダウン)がすでに起こっていたことなどあの時点では誰一人知る由もなし。
それがどれほどの恐怖だったか。
原子力発電所がどういう仕組みで電力を生み出していたか、一切知らなかったEのような国民も一斉に発電の仕組みとリスクについて学んだ週末でした。
さて、3月14日月曜日の朝。
Eの地元は日本の中心からはやや東寄り。
Eが勤めていたのは司法書士兼土地家屋調査士の事務所。
主力が土地家屋調査士の測量などの業務で冬は超ヒマな事務所。
「原発が危ないから休みます」と言っても全然休めましたが、レベル5の危機状態はこの先数日続きそう。
Eは、最悪の事態が起こった時に備えてこうシミュレーションして出勤しました。
①司法書士兼土地家屋調査士の老先生の事務所。冬はほとんど仕事がなく、屋外の測量作業もない。
事務所に勤務するのは老先生と先生の奥さんとEの3人。仕事中は常にラジオが流れている。つまり原発に何かあればリアルタイムで知ることができる。
②朝、出勤して先生に「原発が爆発したら即逃げます」と許可を得る。
車には飲み物とパンなどの食料を2日分と、銀行通帳と印鑑、パスポートを載せておいた。
③原子炉爆発の一報があれば、いやそうなる直前には大渋滞が起きる前に全てを投げ出し高速道路を利用して西に逃げる。
④放射能汚染の被害状況によっては、最速で利用可能な空港から外国に渡航する。
⑤その際、渡航先候補は土地勘もあり友人知人が多くいる台湾。または過去に渡航したことがあるタイやベトナムなどの東南アジア。物価が安い国なら安宿を利用すれば日本の半分以下の生活費で数か月暮らせる。
つまりこの日、いざという時は外国に逃げることを想定して出勤したのでした。
結果、
月曜日は朝から事務所のテレビはつけっぱなし。
みんな仕事どころでなく(というかその日も仕事はほとんどなく)午前11時頃に起こった3号機建屋の水素爆発の映像などにかじりつくも原子炉爆発にまでは至らず。
Eも最後まで、西に逃げたり外国に避難することもありませんでした。
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結論:究極の防災
ここで結論です。
災害大国である日本に住む人は、いざという時に外国に避難する心構えや準備をしておくべき。
Eは2011年3月14日月曜日に「もう家には帰らないかも知れない」と腹をくくって外国に逃げる心の準備をした上で家を出ました。
なぜそこまでの覚悟を持てたかというと、「いざという時に外国に逃げる」という考えを持ったのは、この時が初めてではなかったからです。
外国に避難する
前回記事の中で、Eが初めて防災の意識に目覚めたのが1996年に起きた阪神淡路大震災がきっかけだったと述べました。
そう、Eは20代半ばのこの時まで、日本に住んでいれば戦争は起こらない、多くの人が死亡するなどと災害が起こることなどない、と日本の安全を疑ったことなどありませんでした。
そんな頃、Eはある本を読みました。
Eは文学好きだったし、現代よりもずっと紙媒体の小説が読まれていた時代です。
1990年代当時、押しも押されぬ日本文学の第一人者は村上春樹で、Eは高校生以来長年の村上春樹ファンですが、当時若手のある小説家のファンでもありました。
島田雅彦という小説家です。
島田雅彦著『感情教育』
島田雅彦氏は1961年生まれと、Eより10歳ほど年上(村上春樹氏は1949年生まれ)。
東京外国語大学在学中に『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー。
Eが彼の著作を始めて読んだのが高校生の頃、『ドンナ・アンナ』という作品に衝撃を受け、その後彼の著作を読むようになりました。
ちなみに本人はかなりのイケメンです。
画像引用:Wikipedia 「島田雅彦」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E7%94%B0%E9%9B%85%E5%BD%A6
島田雅彦氏は小説以外の著作も人気なんですが、表紙に惹かれて2000年頃にEが購入したのが『感情教育』という本。
著者本人を模していると思われる「先生」と呼ばれる中年男性がとある少女に人生哲学を語るという形式の、サイズ的には小冊子のような本でした。
その中にこういう文章があります。
先生は戦争が起きたら、逃げる?
引用:島田雅彦著『感情教育』
もちろんだ、問題はその潮時だ。戦争の気配を感じらたら、迷わず迅速に逃げ出さないと、手遅れになる。だから、平和なうちから逃げ場やかくまってくれる友人を作っておかなければいけない。
Eは2002年にそれまで働いていた会社を辞めて、約1年に及ぶアジア放浪の旅に出たんですが、海外を目指した理由として第一が「外国人との交流が楽しい」から、第二が「日本の社会や労働環境が合わなくて逃げた」でした。
そして第三として「いざという時に逃げる場所を確保するため」。
『感情教育』という本のこの一節がずっと心に残っていたのでした。
それまで「戦争」などの生命にかかわる危機に対して「外国に逃げる」、「日本は絶対安全ではない」という考えがEの頭にはなかったのです。
本の中では「戦争」というリスクについて「外国に逃げるしかない」「平和なうちに逃げる準備をしておく」という考え方を提示しておいて、続いて戦争についての論評をしていますが、Eがこの初版本を手に取った2000年時点では、アメリカで起こった同時多発テロ事件はまだ起こっていません。
Eは「戦争」という単語をその数年前に起こった「大災害」に置き換えて考えたものでした。
そしてその翌年、2001年9月11日を境に「戦争」の影が世界に、そして日本にも迫りつつありました。
翌2002年、Eは移住のきっかけを求めてアジア放浪旅行へ。
旅の中で出会った人に台湾移住を進められて、日本語教師として台湾に3年間在住。
と、このあたりは当ブログ内でも以前からシリーズとして(なかなか進みませんが)紹介しているエピソードでもあります。
割と最近の記事、アジア放浪シリーズの最新話です。
さて、南海トラフ大地震を目前に控えた災害大国日本。
前述のように、激甚災害の直接的被害の他にも、日本に住んでいる限り生活や仕事に様々な被害・損害を受けることは目に見えています。
現在日本に住んでいる人々は、自分がいる環境に応じて南海トラフ大地震の影響を前提とした人生設計をする必要があります。
その上で、人生が80年とすれば最後の10年くらいは何かが起こって命を落とすことはまあ諦めるとしても、70年くらいの間には日本に戦争だって起こるかもしれません。
というか、戦争放棄と言いながら日本は何度も戦争に加担してきたし、これまで日本の領土で戦争が起こらなかったのもギリギリのバランスの上で「アメリカに一切合切を委ねて、今日まで生き延びてきた」(『感情教育』より)だけに過ぎないとも言えます。
では「いざという時」南海トラフ大地震の後について派遣社員Eが描いている青写真とは。
南海トラフ大地震、その時に向けて
まず、派遣社員Eの現在の立ち位置です。
①日本の中心よりやや東寄りに在住
②派遣社員として60歳頃までの数年働けるだけ働くつもり
③セブに住む妻と娘が今月(2024年2月)日本に移住
④娘は4月に日本で小学校入学予定
次に、近い将来南海トラフ大地震が起こった後の計画です。
もちろん未来のことは予測不能で、その時の状況によって計画は変化します。
計画と言ってもかなりざっくりとしたものです。
①2024年、娘が小学校入学。
②このまま南海トラフ大地震が起こらなければ、娘の中学校の卒業時(2033年)にセブに家族全員で再移住。Eは60代前半。
③それまでに南海トラフ大地震が起これば、前倒しで可能な限り早めにセブに移住。
④移住に向けて今後日本円の資産はできるだけ外国資産に移していく。
セブ移住予定の2033年は、前回の南海トラフ地震が起こった1946年から87年後。
妻はそのタイミングでの災害回避のための再移住に同意していますが、中学生になった娘が同意するとは限りません。
娘がその後も日本で暮らしたいとすれば、もちろん尊重すべき意思だし、現在のEの地元に住んでいれば、南海トラフ大地震の直接の被害を受ける可能性は少ない。
娘がどうしてもというのであれば高校の3年間くらいなら日本に残っても…
などと、どうなるかわからない未来の皮算用などしてしまいますが、はい、その時になってみなければわかりません。
きっと2030年代に入れば、南海トラフ大地震は日本中の全世代でトレンドの話題となり、津波の被害想定区域では移住がブームになっているとEは予想しています。
ひとつ言えるのは、Eは約20年前のアジア放浪の旅以来、常に国外に何かあった時に避難できる場所を国外に確保してきました。
今現在、Eは妻の地元であるセブ島に家があり、日本に何かあればいつでも生活の拠点を移せます。
これは同時に妻と娘にとっても日本とセブのどちらも生活の拠点として選択可となるわけです。
そう、いつでも外国に移住できるということは、災害という場面でなくてもその時々で都合に合わせて生活の拠点を選べるというメリットを享受できます。
災害とその後の国内危機からの一時避難という意味だけなら、前述のようにタイなどの物価が安い国で生活費を切り詰めて数か月やり過ごすということは比較的ハードルが低いと言えます。
これをやるにしても未知の国へ行くよりは、旅行などで土地勘がある国の方が安心ですよね。
Eのおすすめ避難先はフィリピン、タイ、ベトナム、ラオスあたりです。ごはんも安くて美味しいしむしろ毎日のんびり楽しく過ごせます♪
外国に避難先を作る方法
では、いざという時の外国の避難先の作り方を紹介します。
①外国人の友人を作る(『感情教育』にて推奨)
②とりあえず旅行してみて自分に合う国を探す
③外国人と付き合う、または結婚する(Eの推奨♡)
④外国資産を増やしておく
⑤外国語の会話を練習しておく
Eは行った先の外国が治安などの面で危険でさえなければ、多少生活や言葉が不自由でも楽しめる派ですが、外国移住でかなりストレスを抱える人も多くいます。
この先の日本、南海トラフ大地震以外でも「いったん外国に避難しないとヤバい」と思えるフェーズが訪れる可能性はかなりあります。
なにしろ外国人からしてみれば、日本はある状況下では一日として耐えられないほどの恐怖だったほどです。
上記のような準備をしておくに越したことはないと、Eは強く勧めます。
特に③は確実に移住先が確保でき、経験者でもあるEの推奨です。
まとめ
2回シリーズで来たる南海トラフ大地震に備える「究極の防災」について述べてきました。
現在のところ、日本で起こり得る最悪の災害が南海トラフ大地震です。
そのリスクを正しく把握することから全ては始まります。
そして、このクラスの激甚災害では「起こる前に逃げる」「国外に逃げる準備をする」ことが最善とEは考えています。
深刻な被害が想定される地域に住む人の中には「みんな一緒だから」的なことを考える人もいますよね。
その人にとっては、大災害で一緒に巻き込まれるであろう自分の周囲だけが世界の全てなんでしょうが、日本だろうが国外だろうがどこでも楽しくやっていけるような人からすると、その「世界の全て」とやらはほんの「世界の片隅」にしか見えていませんよ。
リスクと世界の広さを正しくとらえた上で、来たる大災害に備えましょう。
これからも派遣社員が考えるリスク管理について語っていきます。
次回をお楽しみに!
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