バイク旅行

昔はバイク旅してました② 真夏の佐渡はふれ合いの島 前編

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さて、昔のバイク旅シリーズ第二弾です!
実は昔は日本中でバイクを乗り回していた50代派遣社員E
前回の記事では初めて淡路島、四国とバイクで遠出をしてその圧倒的自由感に衝撃を受けて、その後の人生が変わった、という20代後半に体験したエピソードを語りました。

あの淡路島・四国の旅の翌年。
20代だったEは遂に、旅先で人々の人情に触れるという体験をします。
今回は、1990年代の終わり頃に名古屋からバイクで佐渡ヶ島へと渡った旅紀行です。

前回の記事です。

名古屋で4年目の夏

20世紀も終わりに近づいた、名古屋での夏。
Eは新卒でレストランチェーンの会社に就職し、名古屋に転勤して3年目の夏を迎えていました。

店長になりたては結果を出してやろうと躍起になり、売上高などそこそこの成績を残したEでしたが、名古屋で初めての店長に就任して3年目。
この当時は仕事に対する意欲がだいぶ薄れてきていた時期でした。

理由としてまずはマンネリです。
Eはこれまで一番長く同じ会社で働いた会社が、新卒で就職したレストランチェーンの会社の8年ですが、店舗間での異動のある会社であるため、同一店舗では長くて4年で異動していました。

そしてE、過去記事で語ったこともありますが、同じ会社の同じ職場で3年以上働くと同じ繰り返しの日々が苦痛になって仕方ない性分なのでした。

おまけにこの頃、私生活もイマイチでなんとなく日々モヤモヤを抱えていたEでした。

同一職場3年限界説についての過去記事です。

旅の計画

そんなEの元にもやってきました、夏。
前年のあのバイク旅が忘れられなかったEは、またも8月の猛暑期にお盆の繁忙期を避けて5日間ほどの休みを取りました。

そしてその行先は。
前年、淡路島を一周してささやかな達成感を得たことから「島に行こう!」と思い立った単純なE。
淡路島一周は割とあっという間だったし、かといって四国一周するには時間が到底足りない。
ちょうどいい大きさの島は?
日本地図を見渡すと「佐渡ヶ島かな」と。

でも淡路島も四国も橋でつながっているけど、佐渡ヶ島にどうやっていく?
でも、え?

車やバイクと一緒に乗って島に渡れる船があるの!?

実はこの時のE。
「カーフェリー」という車やバイクなどの車両を運ぶことができる船があるということを生まれて初めて知ったのでした。
佐渡汽船公式HPはこちら 

よし、佐渡ヶ島に決まりだ~!
こうしてこの夏のバイク旅の行先があっさりと決まったのでした。

佐渡ヶ島の道路をともに走ったホンダのSTEED 撮影:E

佐渡ヶ島バイク旅 初日

前日遅くまで働いたレストラン勤務のE。
旅初日とはいえ遅くに起きて、昼過ぎに出発
服装はいつもながらヨレヨレのTシャツにジーパン
高速に入ってスピードを上げると真夏の熱風が心地よい。

佐渡ヶ島へのルートはこうです。
ちなみに当時は、愛知県から日本海側を結ぶ「東海北陸自動車道」は建設中で、全線開通したのは約10年後の2008年のこと。

①まずは最短で新潟市にアクセスするため高速道路メインの予定
②東海北陸自動車道は日本海側につながっていない
③遠回りしてまず、名古屋ICから名神高速道路を西に。
米原JCTから北陸自動車道を北上
⑤途中、その日のうちの佐渡ヶ島への渡航は無理と悟る
⑥それなら、と福井あたりで高速を降りてゆっくり新潟

これ、約25年ほど前のことなので正直結構うろ覚えです。
ともあれ、その日のうちには佐渡ヶ島へ向かうフェリー乗り場がある新潟にたどり着けず。

福井~石川~富山の国道をゆったりと走ったり、一部高速に戻って北陸自動車道の親不知子不知の海岸に突き出した道路の景色を楽しむなど、初めて走る北陸路を楽しんだEでした。

親不知子不知海岸の風景
画像引用:新潟観光ナビHP「親不知子不知」



その夜は日本海に近いどこかの公園で野宿
この頃から真夏の野宿の楽しさを知り、日本各地やアジアの国々でも野宿をするようになるEでした。

ちなみに近年の日本の夏のとんでもない猛暑日と違い、当時の夏は日中は猛暑といっても朝の4時5時は結構涼しくなります。
寝るだけならTシャツでもなんとかなりますが、夜明け前後にバイクで走るとなると長袖のシャツが必須でした。
と、この時点においても仕事の疲れが抜けていない上に、前日バイクで走った疲れも積み重なっていたE。人気の少ない公園の草の上で(シートなどもなく直で)暑くて寝ていられなくなる時間まで眠りこけていたのでした。

佐渡ヶ島バイク旅 二日目

目覚めると、もう灼熱の太陽は天高く。
公園の水飲み場で歯を磨いて顔と頭を洗い、髪が半分乾いたらヘルメットをかぶって出発。
まだ見ぬ佐渡ヶ島への思いを胸に新潟市のフェリー乗り場を目指しました。

ネットの普及していなかった時代のこと。公衆電話からフェリー会社に電話して【新潟→両津】の出航時刻を確認。
その時間からだと夕方近くの便でないと間に合いそうにない。
ということでその日もゆったりと新潟市を目指しました。

人生初フェリー

さて、フェリー乗り場に到着。
人生で初めてカーフェリーというものに乗り込みます。

乗り場では多くの車が乗船を待っています。
Eはバイクなんで失敬して車の列の一番前に。そのフェリーの便でバイク乗りはEひとりでした。

確か船の底の方が車両の乗り場だったんですが、EはホンダのSTEEDで一番に乗り込んで横の壁にゴムバンドでバイクを括り付けるように言われます。
人々がフェリーに乗り込む中、Eは階段を上って屋上(?)へ。
就航すると、新潟の港がどんどん離れていくのを眺めていたのでした。
ちなみに新潟本土と佐渡ヶ島間は、天気が良かったせいかお互いが見渡せます。

この船で佐渡ヶ島、両津港までの約2時間の航程を満喫することになるEでした。

新潟港を出港した佐渡汽船カーフェリーから見える佐渡ヶ島 撮影:E

佐渡少年との出会い

Eが一番乗りでフェリーの屋上で景色を眺めていると、小学校高学年くらいの少年が上ってきました。
坊主頭にタオルを巻いた、柔道でもやっていそうな雰囲気(Eの勝手なイメージ)の少年です。

気さくな少年で、Eを見るなり話しかけてきました。
「どこから来たの?」と少年。
「名古屋から来た」とE。
少年から見てEは佐渡ヶ島に帰る人には見えていなかったよう。
「佐渡に帰るの?」とEが聞くと「うん、大会の帰り」と少年。
なんでも少年は合唱部に在籍していて新潟の本土で合唱の大会があって、その帰りだとのこと。

見た目は柔道部だけど以外にも合唱部。
かつてEも合唱部で歌唱力を鍛えたこともあって親近感が湧きます。
少年の名前はかなりうろ覚えですが確か「ダイスケ」くん。

佐渡ヶ島へ向かうフェリーの上、Eとダイスケくん 撮影:合唱部の中の誰か



と、少年に続いてたくさんの子供たちが屋上に上がってきました。
ほとんどが女子の20人ほどの子供たちは合唱部の部員
男子はダイスケ君と、細くて小柄なマサシくん(確か)の2人だけ

合唱部は優勝とかいった特にすごい成績ではなかったよう。
みんなを見ていると男子二人は、小学生にありがちな女子との対立構造。とはいえ基本は仲間、仲良し。
じゃれあっているものの、多勢に無勢で男子二人は圧倒的不利
Eも加勢したりと戯れる。

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船内探検

その後はダイスケくんとフェリー内探検
ダイスケくんが教えてくれたのが、海上を航行するフェリーには一緒に海を渡る鳥がいることでした。

なるほど屋上から一つ階段を降りると乗客がくつろぐエリアがあるんですが、船のすぐ横を船と同じ速度で飛ぶ海鳥が見られます。
その距離、手を伸ばせば届かんばかり。
カモメかな?と思いきや、あれはウミネコだとの説あり。

フェリーの速度は40km/hくらいだそうで、さすがに新潟⇔佐渡ヶ島間を飛び続けるのはハードだろうに。佐渡ヶ島に渡りたいなら船の上に止まって到着するのを待っていればいいのに、なぜずっと飛び続ける?
などど、生物の生態など知らないEは思ったものです。

当時は見かけませんでしたが、最近ではスナック菓子をエサとして鳥たちにあげたりする人もいるようです。

佐渡ヶ島行きのフェリーと一緒に飛ぶ鳥について調べていたら見つけた動画です。



日が暮れていくと海の上になにやら光るものが多数見えてきます。
ダイスケくんによるとあれはイカ釣り漁船で、強い光によってイカを集めているそうです。
そう佐渡ヶ島の海産物といえばイカだとのこと。

と、ダイスケくんのおかげで何かと佐渡ヶ島情報を得ることができたE。
船内探検を終えたEとダイスケくんは再びみんながいる屋上へ。
合唱部はそろそろ集合時間のようです。

みんなで合唱♪

時は陽もだいぶ傾いた夕暮れ時
ところは日本海のど真ん中
前と後ろは佐渡ヶ島と新潟の大地。

そんな極上の景色の中で始まったのが。

合唱部のみんなによる歌♪

でした。
なんという贅沢な時間!

船の屋上で遊んでいた合唱部メンバー10人ほどが大会の発表曲を合唱。Eの知らない曲。
歌声は真夏の夕暮れの空に吸い込まれていきます。

おそらく「Eに聴かせるため」という意図ではなかったと思いますが、Eはみんなが自分のために歌ってくれたものと思い込んで現在に至っています。

やがて合唱部のみんなは集合時間か何かで階段の下へ姿を消していきました。
ダイスケくんともこれでお別れ。

まとめ

と、前年の淡路島・四国の旅ではなかった地元の人々、というか子供たちとの触れ合いを経験したE。
ダイスケくんとは連絡先を交換するでもなく、その後の消息は全く知り得ません。
あれから25年は経っているから現在35歳くらい
ダイスケくん、もしこのブログ記事を目にすることがあれば連絡くださ~い。

そして、この旅ではまだまだ地元の人々との触れ合いが生まれます。
何もない島、佐渡での真夏のバイク旅(当時はホントに何もありませんでした)。
この後どんな出来事が巻き起こるのでしょうか。
次回をお楽しみに!

野宿は楽しいけど時と場所が限られます。
旅ではぜひホテルを利用しましょう!

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