昨年、2020年に始まったコロナ禍も早1年と8か月が経過。
日本に住むEがセブに住む家族と会っていない期間もほぼ同じになっています。
2年も達しようかという時間が流れ、家族それぞれに変化がありました。
妻は自宅でSari Sariストアという小さい商店を開き、二人の中学生のお兄ちゃんは長いこと学校の対面授業がストップ。娘は先日4歳に。
Eはというと派遣先が2回変わったくらいで、しかもこの1年は変化なし。
久しぶりに、そんなリモート家族の現在について語ります。
娘Kが4歳に♪
まずはハッピーな話題から。
家族のアイドル、娘Kがこの度4回目の誕生日を迎えました~
今回の誕生日は去年の3歳のバースデーパティーに比べると、だいぶ小規模になりました。
なにしろ6月のママのバースデーパーティーがド派手だったもんで。
6月に行われた妻のBDパーティーについての過去記事です。
その代わり今回は誕生日の記念に、セブ島の観光名所にして屈指の映えスポット「シラオガーデン」にお出かけ。
素敵なドレスをレンタルして、プロのカメラマンさんに撮ってもらいました。
映えスポットでお誕生日の記念撮影
ここで撮った写真はもちろん記念写真として普通に家族で楽しむんですが(Eのパソコンとスマホの壁紙になってます)、セブの人々の慣習で、大きなポスターのようなものを作ってBDパーティーの場で飾りつけます。
うちも娘がセブで誕生日を過ごす時は妻がいつも作っています。
今回はこれです。
ママの計らいで今回のポスターにはパパEも登場。
日本で最後に一緒に過ごした時にパパが抱っこしている写真♪
そしてもちろん、このポスターをパーティー当日に飾りました。
今回のパーティーにお招きしたのはごく近い親戚、友人と近所のキッズたち、だけ。
レチョンも焼かず、夜を徹してのカラオケもなし。
ところで日本とセブのバースデーケーキの違いを知っていますが?
日本のバースデーケーキはトップにいろいろとデコレーションがされていて、板チョコに「Happy Birthday」的なお祝いの文言が書かれていたりしますよね。
セブのバースデーケーキはトップはデコレーション控え目。
代わりに空いているスペースにぎっしりお祝いの文字を書く、というスタイルです。
今回妻が用意したケーキがこれです。
パーティーの日は平日で、Eが仕事から帰宅するとパーティーはすでに終盤。
一応ビデオ通話でみんなと乾杯。しばらくしてお開き。
ちょっと寂しかったけど、娘はいとこやお友達と遊べて大喜びでパパもハッピーでした。
来年は、来年こそは、コロナ禍が完全収束して日本かセブで一緒にお誕生日を祝えますように。
YouTube動画、シラオガーデンで誕生日のための写真撮影をした時の様子です
セブ市民の交通安全意識は?
次は悲しい話題です。
先日、妻の親族がバイクによる交通事故で亡くなりました。ノーヘル運転だったらしいです。
事故後すぐに手術したらしいですが、3日後に死亡。
これ、他人事ではないです。
Eの家族には中学生のお兄ちゃんが二人います。
現在、学校の対面授業がフィリピン全土でストップしていて学校に通学していませんが、通学するとなれば家の125㏄のスクーターで20分ほどの学校に通うことになります。
それでなくても、日々の生活でお兄ちゃんたちにとってスクーターは不可欠です。
車の運転はEが許可していません。
と、ここで日本人のみなさんは思うことでしょう。
中学生がスクーターの運転?
車の運転ってダメに決まっているだろう!
と。
そうです、ダメです、違法です。
でもしょうがないんです。
Eの家族が住んでいるセブの田舎では交通法規はあってないようなものです。
そうでないと生活が成り立たないことはEも確認済みです。
中学生は当たり前のようにバイクに乗るし、下手すると車も運転するし、バイクの3人乗りも当たり前、トラックの荷台に人が乗るのも当たり前。
そして、
バイクのノーヘルはもっと当たり前。
実はEもバイクの3人乗りやトラックの荷台を経験しています。
どちらもめっちゃ怖いです。
Eが初めてセブを訪れた時、何年か振りにセブに帰る妻と一緒でした。
当時妻は娘Kを妊娠中。
当然、交通手段がなく移動に妻の兄弟の車やバイクで送り迎えしてもらっていました。
そうなると選択肢はなく、死を覚悟して(ホントに覚悟しました)乗せてもらうしかありません。
が、もう大事な家族にあんな危険なことはさせられません。
トラックの荷台から
空港のあるマクタン島からセブ島へ渡る橋の上 撮影:E
昨年、2020年初めにセブの空港やビーチリゾートがあるマクタン島のラプ‐ラプ市から、今のセブ島の田舎に自宅を新築して引っ越したのを機に、125CCのスクーターを購入。
妻が乗ることを想定していたんですが、ある時日本のEに送られてきた写真はなんと、
お兄ちゃんが運転して妻と娘と3人乗り!
そればかりか、
3人ともノーヘル!
Eは大激怒!!!!
妻はごく近くに買いものに出かけただけだと言い訳していましたが、セブでは普通かもしれないけどこれはEにとってあってはならない事です。
Eは大学生の時にバイクの中型免許を取ってから30代後半まで20年近く車はペーパードライバー、専らバイクに乗っていました。
250㏄や400㏄のバイクに乗っていたこともあるし、台湾に住んでいた時も免許を取って100㏄のスクーターに乗っていました。
バイクで事故に遭ったことは、台湾でおじいちゃんが運転している車と接触して転倒したことがあったくらいですが、思い出されるのは新卒で就職した東京のレストランチェーンで働いていた時のことでした。
250㏄のバイク(YAMAHAのSRV)で通勤していたEの店の先輩がある日の閉店後、ちょっとまたがらせてくれ、とEのバイクに乗りエンジンをかけました。
免許のない先輩はクラッチをゆっくりつなごうとしたようですが、思いがけず急につながってしまい急発進。
店の壁に激突。
ノーヘルだった先輩は額の中央が真っ二つに割れて流血。
Eのバイクもクラッチレバーが折れ、フットブレーキも曲がる。
先輩は動けなくなり救急車を呼び、額を何針も縫う(脳は損傷なし)。
という光景が頭をよぎります。
もうひとつ。
台湾でおじいちゃんの車と接触した時。
もちろんEはヘルメットをかぶっていました。
よく台湾人がかぶっている、頭のてっぺんだけを覆った自転車のヘルメットに毛が生えたようなものではなく、しっかりと顎まで隠れるタイプ。
道の両脇に屋台が立ち並ぶ道で、車もEのバイクも30キロほどしか出ていませんでしたが、接触して転んだEはある屋台の前に置いてあった「A型バリケード」の脚がもろに頭のてっぺんに当たりました。
A型バリケード
※詳細は画像をクリックしてください。
ヘルメットをかぶっていたおかげで怪我もなく、痛くもなんともなく済みましたが、もしノーヘルだったら。
頭に当たったのは金属の棒状の部分でしたから、ヘルメットがなければ金属の棒で頭を思い切り叩かれるのと同じ。
そう考えると恐ろしいですよね。
ただ接触した時に落ちた右肩が死ぬほど痛み、痛みに悶えているEを見た屋台の店主が救急車を呼んでくれました。
あまりにも痛くて絶対骨折してる、と思ったんですがただの打撲。
ですが数日間は激痛で服を着るのも大変でした。
そんな経験もあり、セブ民の慣習はどうあれ家族にはノーヘル絶対禁止!
当時2歳の娘も含めて家族全員分のヘルメットを購入。
しばらくして妻が車を買ってからは、バイクに乗るのはお兄ちゃん二人。ノーヘル厳禁にしてはいますが果たしてちゃんと守っていることやら。
去年の tweet、娘Kのヘルメット購入
そして今回の親族の事故死。
これを教訓にうちの家族も交通安全の意識を高めてくれればと思います。
正直、妻の安全意識もいまだに甘い部分があります。
近年フィリピンでも車のシートベルトが義務化されたり、チャイルドシートが義務化されたりと交通安全に関するルールが浸透してきています(今の大統領の政策?)
今更か、とも思いますがまあ喜ばしいことです。
義務化される前はセブのタクシーにはことごとくシートベルトがなかったですから。
が、Eの家族が住む過疎地帯では法律はできても、そもそも取り締まるべき警察に滅多にお目にかかれません。
従って、人々の交通安全意識も何ひとつ変わりません。
どれくらい変わらないかというと、
ノーヘルで亡くなった人のお葬式に、みんなノーヘルで参列しています。
残念ながら、付ける薬なし状態です。
とにかく、うるさいと思われようが家族の命だけは守らねば。
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リモート授業開始
世界でも最長の部類に入るらしいんですが、フィリピン政府は昨年、2020年3月から今に至るまで学校の対面授業を中止しています。
そもそも15歳未満の子供はいまだに外出禁止。建前上は15歳未満は学校にたどり着くことさえできない状態です。
学校教育そのものが完全中止かというとそうではなく、学校によって2つの方法を行っているようです。
①リモート授業
②モジュール
①のリモート授業はその名の通り、Zoomなどのアプリを使って生徒は自宅にいながら授業を受けるというもので、日本でも学校や職場で広く行われていますよね。
②の「モジュール」というのは、自宅のある過疎地帯の公立の学校で行われていました。
概ね週に1回、かなり大量の問題集が配られて、次の週までに提出しなければならない、というもの。
生徒は外出できないから妻が学校に取りに行ったり提出したりしていました。
これ、実態は教育とは呼べません。
問題集を配るだけ、で講義はもちろん解説も一切なし。
自分でネットで調べて回答しろ、と。
しかも、お兄ちゃん二人ともなかなかやらない。
時には期限が過ぎているのにやってないことも。
ちなみにその学校は、幼稚園年長から(フィリピンは小学校入学前の1年も義務教育)高校3年まで同じ敷地内。
二人とも一日中ゲームに耽っている。
妻はいつもイライラと怒っている。
妻に促されてEも二人にきつく言うけど、スマホの向こうから何を言おうがその場限りで効果なし。
そんな状態で1年と少しが過ぎ、いつもより遅い夏休みがやって来ました(2020年始まりの学年は1年プラス3か月ほどで修了)。
すると妻はこう言いました。
もう、モジュールなんかじゃ話にならないわよ!
(※ビザヤ語の和訳風)
と。
うちの家族はコロナ禍の始まりと同時期にラプ‐ラプ市のアパートから新築した現在の自宅に引っ越してきました。
妻はラプ‐ラプ市に住んでいた頃に通っていた学校ではリモート授業を実施しているとの情報をキャッチ。
お兄ちゃん二人をラプ‐ラプ市の学校の籍に戻しました。
え、学区とか大丈夫なの?
と思うかもしれませんが、フィリピンはどこに住んでいようがどこの学校にも通えるようです。
そんなわけでお兄ちゃん二人は10月から、はるか遠くラプ‐ラプ市の学校のリモート授業を受けています。
ただ、時々提出物があるようで妻が車でラプ‐ラプ市の学校まで届けなければならないようです。
来週、妻は数か月振りにセブ島からマクタン島への橋を渡ることになるようです。
車で1時間以上かかるマクタン島まで面倒くさくて大変だろうと思うんですが妻によると、二人の中学生に家で丸一日ゲームされるよりははるかにマシ、なのだそうです。
派遣社員の近況
一方、家族と離れ日本で一人暮らしの派遣社員Eの近況はというと。
夏にお腹付近に違和感を覚え、重大な病気を心配して胃カメラの検査を受けました。
すると特に病気の症状はなし。
ただし、ピロリ菌がいる、とのことでした。
内科の先生は胃カメラの画像を見ただけでピロリ菌疑いとわかるようです。
そして血液検査でピロリ菌感染確定。
ピロリ菌感染者は胃癌のリスクが高いとのこと。
さっそく7日間の薬による除菌治療を済ませました。
あと治療完了ご40日以降に検便による検査で菌が出なければ除菌成功となるようです。
それは来月行います。
来週は派遣先で定期健康診断も受けます。
50代に突入したEに大きな病気などがなければいいんですが。
ピロリ菌除菌の薬
まとめ
Eの家族のコロナ禍の生活はいかがだったでしょうか。
セブの地元民の生活には驚くような慣習もありますよね。
一日でも早く、家族と会えて、セブに移住できる日を夢見るEでした。
これからもEのリモート家族の生活を紹介していきます。
次回をお楽しみに!
どうやらリモート授業には
画面が大きく、写真を撮ってすぐ遅れる、
タブレットが一番便利なようです。