社労士

社労士試験を目指した3つの理由。実際になってみて、微妙だった…

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負けない派遣社員Eが社会保険労務士試験の受験を決意したのは2009年の夏の終わりのことでした。
というのも前年の2008年にリーマンショックが起こり、再就職活動に負けまくってようやく手にした職がそれまで想定したことのない低賃金だったため「どうにかしなければ」という強烈な危機感を感じたのがその当時のEでした。
当時僕が「どうにかする」ために社会保険労務士の受験勉強に動き出した理由がこれです。

①とにかくもう他人に雇われたくなくて何かしらで独立開業したかった
②当時の強烈な負のモチベーションをもってすれば社労士試験は達成できそうな難易度だった
③当時プログラミングなどテクノロジー分野に完全に乗り遅れていて将来性のある分野が遠い存在だった

これらについて解説します。

社労士試験を目指した3つの理由

社労士受験を考えているという人はもちろん、何かの挑戦を始めようかと迷っている人 に参考になるかと思います。

①とにかくもう他人に雇われたくなくて何かしら独立開業したかった

2009年当時の状況
台湾から帰国→超重労働低賃金の食品工場に就職→辞めたらリーマンショック→ポリテクセンターに6か月通いながら就活→6か月経ってもどこにも決まらない→結局、時給換算約1000円で司法書士兼土地家屋調査士の事務所に就職

この時、他人に雇われて従業員として働くことへのストレスがピークに達していました。
たまたま超重労働低賃金の会社を辞めたタイミングがリーマンショックと重なり、というのは言い訳で当時の僕はリーマンショックがあろうがなかろうがノースキルノー経験、辞めた会社以上の条件の仕事に就ける見込みなんてゼロでした。
そこで僕はハローワークに求人の申込みに行ったときに勧められたポリテクセンター(職業能力開発促進センター)に6か月通いながら就活をすることを選びました。

ハローワークを利用したことがある人なら名前を聞いたことがあると思いますがポリテクセンターは各都道府県にひとつはあって失業者にかなりいい制度です。
ポリテクセンターのメリットについては後日語りたいと思うので今回は省略。

ともあれ僕はポリテク在籍6か月間に会社に落とされまくって、ようやく司法書士兼土地家屋調査士の事務所に潜り込めたのはリーマンショック余波が続く2009年の8月の終わり、ポリテクを修了して2か月後のことでした。
その間受けた会社は超買い手市場でどこも応募者殺到で調子に乗っていたせいか、まあひどい対応を受けました。

例えば、

・行きたい会社最上位だった地元企業の香港支店の職員募集は支店長(社長の息子)が日本に帰ってきたタイミングで面接を受け、帰ってきたときに合否の審査をするとやらでトータル2カ月以上待たされた挙句不採用…
・ほぼ当時の最低賃金での募集の事務系の面接で「志望動機は?」とか「うちの会社でやりたいことを教えて」とまるで一流企業の面接のようなことを聞かれた。当然まともに答えられず不採用(本音:志望動機は他にないから、実はやりたくもない仕事)

とにかく他人に雇われるためにこんな扱いに耐えなければならないのか、と僕のストレスはピークに達していました。

やっと拾ってもらったのは60代のおじいちゃん先生が奥さんと二人でやっていた司法書士兼土地家屋調査士の事務所。
やはり応募者が殺到したらしく、しかも使い物になりそうな人が全くいなかったそうで僕はポリテクセンターで習ってCADが使えるということで「採用」という言葉さえなく「明日から来れる?」と言われ、結局その日のうちから働くこととなりました。

建設業とつながりが深い業種なんで冬にはほとんど仕事がなく、時給換算で約1000円と前職の食品工場と給料は同レベルだけど最低賃金よりはいいし夏の測量は結構きつかったけど、超重労働だった前職よりは数段マシな職場でした。

何よりゆるふわの面接で採用され心底ほっとした、というのが実情でしたね。

この頃の苦難の就活を経てつくづく「もう他人に雇われたくない」と思い、独立開業の可能性を探るようになったというわけです。

②当時の強烈な負のモチベーションをもってすれば社労士試験は達成できそうな難易度だった

そんなわけで当時の僕は独立開業が可能なスキルを身に着けるなり資格を取るなり何かしら動かなければ、という強烈な負のモチベーションがありました。
でも、経験を積んでスキルを身に着けようにもそのための就職自体が困難。なにか資格を取ろうかと本屋の資格コーナーで物色するも独立を可能にする資格となるとなかなかない。

・数学に絶望的な苦手意識があって理系の香りがする資格は全て却下
・税理士とか会計系の資格は大学で簿記の授業があったけど全く理解できなかったので却下(後に自分が簿記に向いていないわけではなく教授の授業がわけわからんかっただけだったことが判明)
・プログラミング系は東京に住む妹の夫がやっていて毎晩8時すぎに帰宅するハードワークなんで却下(この時は8時すぎでハードワークだと思っていた)
・法律系は弁護士や司法書士などは到底手が届かないけど難易度低めの資格がありそう。しかも計算モノなしの暗記メインの試験ならがんばれば合格できそう。

そこで浮かび上がったのが社会保険労務士。更にその頃いとこが社会保険労務士の資格を持っていて、しかも最近同じ社会保険労務士の男性と結婚していた。
あのいとこが持っている資格なら自分にも取れそう、と。
この適度な難易度が社労士の資格勉強を始めるきっかけになったわけでした。

③当時プログラミングなどテクノロジー分野に完全に乗り遅れていてもっと稼げる分野が遠い存在だった

実は僕には長いこと目指すべきスキルとして挙がる候補がありました。
それは東京に住む妹の旦那がやっているプログラマー、エンジニアの分野でした。
20年近く前、妹が結婚した当時妹も同じようにプログラマーとして働いていて月収が約50万あると聞いていました。
それはもう魅力なんだけど、なにしろ昔の僕はパソコンも持ってないし携帯も本体ゼロ円で手に入るひと昔前のモデルばかり使うなど最新のテクノロジーに無縁の人間でした。

それに加えて妹の旦那から聞いていたのは毎日仕事が終わって帰宅するのは8時過ぎ。8時に帰宅する仕事が超ハードワークだと思っていた早く家に帰りたい派の僕は何度かそっち系の勉強をすることを考えてみるも結局却下。

と、消去法で社労士試験の勉強を始めたのでした。

【社労士の仕事をやってみて】
社労士として仕事をしたのが2年ちょっとと短かったのと同業者に会う機会が意外に少なかったので僕の知りうる範囲だけで言うと、地方で社労士として開業して食べられるようになるのはかなり難しいと感じました。
2年に渡る猛勉強をして資格を取って着いた仕事として社会保険労務士が割にあったかどうかの答えは「五分五分」です。
その理由についても後日改めて語りたいと思います。

まとめ

その後の僕の人生や今の社会状況を考えると日本でしか通用しない社労士の資格こそ却下でした。
テレワークやアウトソーシングの働き方が広まる気配を見せている現代、家でも外国でも仕事ができるプログラミングなどのテクノロジー分野を選ぶべきだったと後悔はあります。

成果は五分五分だっととはいえ資格を活用して入った会計事務所ではものすごく多くのことを学びました。一番大きかったのは多くの経営者に会い経営者は何を考えているのか、会社がとういう原理で動いているのか、会社がいかに労働者を軽視しているか、を見ることができたことです。

この僕の経験から言えるのは以下のことです。。

・何を始めるにしても、何も動かないよりはマシです。少なくても社労士として働いていた間はノースキルのまま働くより遥かに給料はよかったです。
伸びる業界を選びましょう。ベテランや重鎮たちが居座っている昔ながらの業界で新規参入は困難です。就職するにしても職場がベテランばかりで職場内でもなかなか上に行けません。
・自分のキャパより少し上くらいの難易度を目指しましょう。難しすぎると挫折する可能性大だし達成できても人生のかなりの部分を消耗します。逆に簡単すぎてもメリットが少ないし成功体験として自分のプラスになりません。

社労士受験を考えているという人はもちろん、何かの挑戦を始めようかと迷っている人に役に立てれば幸いです。
ではまた!

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