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【回顧録】東日本大震災から14年、地震当日の実録が残っていました(被災者ではないです)

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今日は2025年の3月11日
あの未曾有の大災害、東日本大震災から14年が経ちます。
日本人ならこの日が来る度に、2011年の今日を思い出さずにはいられないことでしょう。
人それぞれの3月11日があることかと思います。

Eは当時も今と同じ日本の中心からやや東にある、地方の街に住んでいました。
被災地からはだいぶ離れていますが、人生最大の地震による揺れを経験しました。

実はE、2011年3月11日に地震を感知してその日に起こったことをパソコンに書き留めてあって、それが今でも残っていました。
今回は「被災者」の経験ではないものの、地震当日に起こったことのメモを原文そのままを公開しようと思った次第です。
また、今後30年以内に起こるといわれている次の大災害に備えるべきことについても解説します。

改めて、被災者の皆様にお悔やみを申し上げます

東日本大震災発生の日の記録

2011年3月11日金曜日にE自身に起こったことの記録です。

時刻についてはあまり正確とは言えません。
現に、最初の地震の感知が【14:45頃】となっていますが、実際の震源地での地震発生時間は【14時46分18.1秒】だそうなので、Eが地震を感知した地点への揺れの到達時間とはだいぶ開きがあります。

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大地震発生時の状況

2011年当時、Eは司法書士兼土地家屋調査士の事務所で補助者として働いていました。
60代の老先生と先生の奥さんにEの三人だけの事務所。
土地家屋調査士という仕事柄、冬には極端に仕事が少なく、3月11日もほとんど仕事がないという日でした。

そして特筆すべきは、当時は社会保険労務士を目指して試験勉強中だったことです。
8月の2回目の試験に向けて、本腰を入れて勉強を始めた頃。
テレビもパソコンもベッドもある家では集中して勉強できないEは、ほぼ毎日仕事帰りに図書館などで勉強をするのが日課となっていました。

2011年3月11日

それでは、Eが東日本大震災発生当日に残した記録の全文がこれです。
一部改変、註釈があります。

【14:45頃】 事務所にいると揺れ始める。小舟で南国の緩やかな波に揺られているかのようなソフトな揺れで恐怖と同時に気持ちよさも感じる。
なかなか揺れがおさまらないからビルの倒壊などの惨事を避けるため奥さん(※先生の奥さん)と外に出る。外にはビルからほとんどの人が出てきてざわめいていた。

【14:55頃】 事務所に戻るが度々、別れ際に何度も振り向いてお互いを見る恋人同士のように名残惜しげに余震がやってくる。その度に外に避難しようかと立ち上がるがおさまって椅子に座るということを繰り返す。

【15:10頃】 事務所のテレビをつけると津波のニュースが流れてくる。

【15:20頃】 奥さんは家と孫が心配で早退する。東京の友達に何通かメールを送る。が、返事無し。自宅に電話してみるが完全に不通。

【15:30頃】 事務所に一人になりテレビをつけていると画面が津波の実況中継に切り替わる。今日は先生は司法書士会かなんかで出ているからこのままずっと一人。他のことは全部放棄、テレビの1m前で釘付けになる。その間にも余震。

【16:50頃】 電話が不通では電話番にもならないから帰ることにする(※通常は5時半退勤)。車で職場の近くの図書館に寄ってCDを返して借りる(JAZZやClaptonなど)。館内はいつもと変わらない様子。朝は雪が少し積もっていたけど青空が。

【17:30頃】 まだ早い時間だから○○(※家の近くの商業施設のフードコート)のMacの珈琲で勉強。東京の友達から返事が続々と。電車が動かなくて帰れない人、ディズニーランド`で遊んでいる最中だった人も。

【19:30頃】 帰宅する。地震のことはすっかり忘れている。テレビで首都圏の交通が大混乱していることを知る。

【その後】リンさん(※東京で働く台湾人の友人)からは横浜に帰れないから先輩と飲みに行くとメールが入る。
MSNで台湾の朋友たちと話す。ここは揺れただけで何事もなかったけどみんなから心配してもらう。

補足説明

いくつか補足説明します。

人生最大の揺れを感じてビルの倒壊を心配していましたが、事務所は古いものの鉄筋コンクリートのビルの2階にありました。
Eの地元では木造住宅であっても倒壊などの被害はなかったので、後から考えると倒壊の心配は杞憂でした。

次に、地震直後に事務所のテレビで見ていたという津波の実況中継というのは、宮城県名取市閖上地区のもので、ヘリコプターからの映像でした。
黒い津波が広大な農地や点在する民家を襲い、逃げ惑う車両を飲み込まんとする緊迫の映像を事務所のソファーでかじりついて見ていたのでした。

なぜかその時Eが見た映像は、後にテレビなどのニュースで見ることはありませんでした。
上空からの引いた映像で、人が津波に飲み込まれるなどのシーンはありませんでしたが、かなり刺激の強い映像だったので再度テレビで放送することは自粛されたのではないかと想像しています。
ちなみに、YouTubeで検索していると時々見ることができたりできなかったりします。


それと、正直Eは事務所を後にして家に帰ってテレビでニュースの続報を見るまでは、あれほどの原発事故が起きているとは想像もしていませんでした。
それはたぶん多くの人々も同じだったのではないでしょうか?
だって原発は大地震でも耐えられると思っていたから。
全電源喪失などという人災が起こるなんて思っていなかったから。

ちなみに、原発事故のニュースが流れ始めて、いよいよとんでもないことが起こるかも、日本の半分が人の住めない場所になるかも、と深刻な危機感を抱いたEがその後数日間とった行動については過去記事で紹介しています。
いざとなったら海外に逃げる準備をして出勤したEでした。

原発事故避難行動について触れてある過去記事です。

未曾有の大災害、再び

さて、冒頭で東日本大震災のことを「未曾有の大災害」と評しました。
「未曾有」というのは「今まで一度もなかった」といった意味があります。
確かにEが生まれて五十余年、あれほどの災害をリアルタイムで(テレビなどで間接的に)見たことはありません。

が、あくまでも「Eが」「リアルタイムで」見たというだけです。
Eより前の世代はもっと大きな地震、津波の被害を見た、聞いた、または経験したことがあるはずです。
そう、約80年前に起こった南海トラフ地震です。

「え、南海トラフ地震ってこれから起こるんじゃないの?」と思った人もいることでしょう。
それもその通りで、東日本大震災をはるかに上回る大きな津波を引き起こす南海トラフ地震は、これまでの歴史上100~150年の間隔で何度も起こっているのでした。

最近では「今後30年間で80%の確率で発生する」と言われていて、地震による予想死者数も20万人などとされています。
つまり、「未曾有の大災害」だったはずの東日本大震災も、近い将来に未曾有なんかじゃなくなる、さらに大きな被害をもたらす次の「未曾有の大災害」南海トラフ地震が起ころうとしています。

東日本大震災を経験した我々は、あの地震と津波、原発事故を教訓にしなければなりません。
が、はっきり言ってEが思うに、ほとんど全くと言っていいほど教訓が生きていないと感じます。
なぜか、

津波が数分で到達するといわれている被害想定地域でほとんどの人が移住することなく住み続けている

からです。

昨年2024年の能登半島地震など、大きな地震災害があると。来たる南海トラフ地震が話題になります。
テレビのニュースでいつも聞くのが「大地震に備えよう」です。

備える、って何?
防災袋を用意する?
ペットボトルの水を買い置きしておく?
食料を1週間分用意?
津波の避難経路を確認?

これが、あの東日本大震災を目撃した国民が言う「備える」ですか?
数十メートルの津波が数分で襲ってきたら、それらを一切活用することなく死にますけど?

これについては過去記事で、しかもかなりの長文で語りましたが、「備える」とはそこにのうのうと住んでいて生き残れる前提でする準備のことではありません。
確実に死ぬ場所には住まない、今現在住んでいるならできるだけ早く生活の拠点を安全な場所に移す、ことです。

南海トラフ地震についての過去記事です。



もちろん、引っ越し、転職などの手間と費用が必要になり、地域のつながりからも離れなければならないわけで、簡単なことではないことはわかります。

が、考えてみてください。
例えば、もし胃の中にピロリ菌がいた場合、胃癌の確率が格段に上がりますよね。
胃癌は死の危険に直結するので、たいていの人は薬を七日間飲んだりして除菌するかと思います。

Eも実際、ピロリ菌の除菌をしたことがありますが、ピロリ菌による胃癌の確率は15%くらいだと聞き、それを聞いてすぐに医師に除菌の治療をお願いしました。
自分の胃の中にそんな危険な菌が住んでいるとなれば、多くの人が同様に除菌という行動に出ることでしょう。

ピロリ菌の胃癌確率は15%ですが、南海トラフ地震の確率は今後30年で80%ですよ。
はるかに確率が高く、津波想定地域であれば死亡確率もかなり高いと思われます。
しかも、自分ひとりが死ねだけでなく、運が悪ければ移住を選ばなかった家族全員が死ぬことになるかもしれません。

それでも住み続けますか?
東日本大震災をはるかに上回る数十メートルの津波が数分で襲ってくるその場所に。
それとも、「たぶん何とかなる」と正常性バイアスという心理作用に操られて現実逃避を続けますか?

まとめ

今日この日、3月11日を迎え、あの時の被害、恐怖を思い起こした時、我々が何をするべきか、について改めて警鐘を鳴らす意味で今回の記事を書きました。

微力ながら、本当にとるべき防災行動をせずに犠牲になる人が少しでも減ればと願う派遣社員Eでした。

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