50代派遣社員Eの職業紹介シリーズの続編です!
1990年代前半、バブル崩壊期に新卒で就職したレストランチェーンの会社。
2年目に新宿の大規模店舗に異動して、ようやくバイト気分が抜けたE。
就活時代からの憧れだった大店長の指導の下で着実な成長を遂げるも、近い将来店長になるにはまだまだ実務経験不足。
そこで迎えた入社3年目。
春の人事異動で人が入れ替わります。
Eはさらなる試練に飲み込まれるのでした。
前回の記事です。
狂乱の異動1年目
新卒2年目で異動した新宿の店舗。
新宿の超繁華街にあり、日本屈指の繁忙店。
それはもう毎日がドタバタで、とにかくやってくる客をこなす日々。
完全バイト気分だった新入社員の頃とは違い、飲みに行くメンバーはバイトでなく店長以下、店の幹部クラスと変わったE。
当時の主なメンバーがこれでした。
コルレオーネ店長
新宿の大店長。
すでに述べた通り、映画『ゴッドファーザー』のマーロン・ブランド扮するドン・コルレオーネのような貫禄満点の人物。
が、一皮むけば実に気さくでおやじギャグもかますおちゃらけキャラ。
Eの異動後しばらくすると仕事後に若手社員たちと毎晩のように飲みに行くようになる。
1年後、店舗の組織改革により別フロア専属の店長となりEと仕事上の接点が薄れる。
ナカモト副店長
Eとほぼ同時に新宿に異動。異動前は別店舗で店長をしていた。
30代後半と思われ、接客のプロだけに普段はにこやかだが、過去に暴走族のメンバーだったとの噂あり。時折その片鱗を見せる。
プライベートについてはほとんど語らず、仕事後に飲みにも行かず、Eと個人的な接点はほぼなし。
Eはナカモト副店長の直属の部下となるが、この方は店舗の日々のシフト管理くらいしかマネジメント実務をやらないため、Eが店長実務を覚えられない原因となる。
スギタ副店長
40代後半と思われるベテラン社員。
以前は、料理長も務めたことのある料理畑出身。
スギタ店長のように、料理長クラスが店長などの営業サイドに異動となる例もあった。が、実質は料理人からのドロップアウトを意味していた。
ベテラン料理人だっただけに、飲みに行くとやたらと料理のうんちくを垂れていた。
店舗のマネジメント実務はほぼこの人が担う。
1年後に異動で別店舗の店長となる。
オオハシマネージャー
高卒5年目社員。
Eと同年代で仕事後の常連飲みメンバーの一人。
会社の先輩としてEの面倒も見てくれて、休みの日に一緒に遊ぶこともあった。
特に将棋にハマり、Eはオオハシさんと彼の社員寮の部屋でまる一日将棋をしてたこともあり。
1年後に異動で別店舗のマネージャー、その数年後に店長となる。
タニやん
Eが移動した年の大卒新入社員。
人懐こくて穏やか、まさにかわいい後輩で、Eになついていた。。もちろん常連飲みメンバー。
人生で彼女ができたことがなく、好きなバイトの女子がいたが不発。
2年目に異動した店舗で初のバイト女子と付き合う。
3年目に退職するが、その後もたまにEと飲みに行っていた。Eの名古屋転勤後に名古屋にEを訪ねて来たこともあり。
リカちゃん
タニやんと同期の大卒新入社員。
美形とまではいかないが育ちがよさそうな雰囲気美女で、当時割とEのタイプ。
が、当時のEは従業員100人超の新宿には気になる女子が無数にいたため、リカちゃんへの積極的なアプローチは特になし。
名古屋転勤後、東京本社への出張時などに二人で会ったりしたが、さすがに遠距離でお互い忙しくて発展はなし。
1年後にEが新入社員時代にいた三軒茶屋に異動。その数年後に過去に数例しかない大卒女性店長となる。
その後、寿退職したと聞く。
フクちゃん
23歳フリーター男子。
休みが週に1回以下と出勤率が異常に高く、メンバーからの信頼も厚い押しも押されぬバイトリーダー。
二枚目キャラのイケメンでバイト女子によくモテた。
Eと職務がかぶり、当初はフクちゃんに何かと助けられた。
たまに社員メンバーと飲みに行くが、フクちゃんがいるとその場の女子を持っていかれるという難点があった。
1年後に別会社の店舗のオープニング社員として採用され転職した。
オカさん
30代後半ベテランフリーター女性。
主にEと別フロアで働くバイトリーダー格。
独身で年下男性が好みのようで、Eもその一人だったよう。過去にオカさんと付き合ったことのあるという現役店長もいた。
時々社員メンバーと飲むこともあり、一時期Eとタニやんと三人で飲みに行ったり休みの日にタニやんの車で出かけたりと仲良しグループを形成していたこともあり。
Eの名古屋転勤後に退職したと聞く。

超繁忙店で働きながら、Eはこのようなメンバーと毎日のように飲み歩いていたのでした。
これ、20代じゃなければ到底体がもたないですよね。
が、異動1年後に主要メンバーが入れ替わります。
衝撃の人事異動
前述のようにそれまでのメンバー、スギタ副店長、オオハシさん、タニやん、りかちゃん、が別店舗に異動します。
入れ替わりにやってきたのがこの面々です。
マスヤマ副店長
入社10年目くらいで、異動前は別店舗の店長。
大学まで体育会系(武道系)で身体もでかく、見た目も立ち振る舞いも完全に人を恐れさせる強面。
直後の店舗の組織改革により、Eと後述のシンちゃんの直属の上司となり、パワハラまがいの厳しい指導を受けることとなる。
若手時代に在籍していた店舗のバイト女子と既婚。
ヨッシーマネージャー
Eと同学年で、見た目だけなら真面目そうなイケメン。
関西出身で、社内では異例のバイトから社員となった。
コミュ力が異常に高く、超女好き。
店舗内でも平然とバイト女子を口説く。飲みに行っても他の女性客を口説く。路上でも好みの女子を見るやナンパ、というEがそれまでに見たことがない驚愕のチャラ男。
仕事後にヨッシーに「ちょっと来て」といわれて飲み屋に行くと、その日働きに来ていた配膳会の女子二人が待っていて四人で飲んだりということも。
ただ、この超絶コミュ力は店舗でも営業力、販売力として大いに生かされていた。
店舗の組織改革でコルレオーネ店長の直属の部下となる。
シンちゃん
2年目の定例異動で新宿に、Eの1年後輩の大卒社員。
ヨッシーに負けるとも劣らない、超女好きの超絶チャラ男。
イケメンではないが愛嬌のあるかわいい系で、コミュ力もヨッシーに引けを取らずとにかくよくしゃべる(主に女性と)。
配属後すぐに一番の美形高卒女子社員と付き合う。当然同じチャラ男のヨッシーと意気投合、あちこちで恋愛活動に余念がなく、Eも度々つき合わされる。
一方、仕事ではEと共にマスヤマ副店長の過酷なしごきを受けて精神的に病み、カウンセリングを受けたりしていた。
という、強烈な三人だったのです。
試練の3年目
新宿でのこの三人との出会いは、その後のEに影響を与えました。
副店長のしごき
まず、ほぼパワハラといってもよかったマスヤマ副店長のしごき。
なにしろEは、それまでの人生で厳しい上下関係がある環境に身を置いたことがなく、体育会系なんて完全に別世界。
体育会系、とくに武道系では普通の指導なのかもしれないけど、縁がなかったEにとっては、鉄筋制裁はなかったもののかなり強烈なしごきとしか思えません。
マスヤマ副店長は見た目からして、店の客でさえ「怖い」と感じていたのではないかというほど強面。
Eたち部下に対しては、そういった業界の人が脅しに使うような低く押し殺した喋り方。
接客時は一応にこやかにしていますが、逆にどこか不気味。
今思うと会社もよくこの人を採用したなと思うくらいサービス業には向かない人物でした。

ただ、この時点でようやくEは店長になるためのマネジメント実務をマスヤマ副店長から学びます。
彼からすればEは「3年目でこのレベルかよ」というくらい未熟だったはずだから、それはもう毎日しごかれました。
時には「こっち来い!」と店の個室に連れていかれ、部屋の外にいる従業員も恐れをなすほど怒鳴られたことも。
2年目のシンちゃんにも同様で、シンちゃんは心療内科でカウンセリングを受ける有様。
Eも日々出勤して副店長の顔を見るのが恐怖で、入社後初めて「会社辞めようかな」と退職を考えるまでに至ります。
二人の超絶チャラ男
一方、Eと同世代のヨッシーとシンちゃん。
よくまあこれほどチャラい二人が同じ時期に同じ店舗に集結したなという人事異動。
当時はEも「チャラい」と言われることもありましたが、レベルが段違いでした。
そんなEも、彼らと行動を共にしていると大いに影響され、彼らの行動から多くを学び、ほぼ彼らと同じ行動を取るようになります。
Eが学んだ彼らのすごいところはこれでした。
①一切の「人見知り」をしない
②無敵のトーク力
③(主に女性に)アプローチして不発だった時の不屈の精神回復力(というかそもそも全く意に介さない)
Eはヨッシーとシンちゃんと、1年と少しを新宿で過ごします。
この二人が女性を口説く場面をさんざん見たし、成功した事例も多数知っています。
Eもそちら方面には大いに興味があった年代でしたが、彼らほどのテクニックも強靭なメンタルもありませんでした。
が、Eも根本的には話好きだし、自己肯定感は高く、二人の生きたお手本を見ていると自然に彼らから吸収します。
とはいえコミュニケーションにおける技術は、見ているだけでは当然身に付きません。
Eは何かを習得しようと思ったら「とにかく数をこなす」ということで克服してきましたが、この時もそうしました。
Eはこの時、とにかくたくさん(女性との)会話をするためにある手段を使いました。多少お金がかかる方法です。
Eが克服すべきは、まさにチャラ男二人が持つ強み、「トーク力」「人見知りゼロ」「不屈の精神回復回復力」です。
そもそもEは見知らぬ人にいきなり話しかける、ということすらできませんでした。

今思えば、メールもSNSもなかったからこそ、現在のコミュ力が身に着いたと思われます。
1990年代半ば、まだ携帯電話が爆発的に普及する前夜のこと。
ちょっとお金を払うと不特定多数の女性と無限に会話できるある方法がありました。
始めた当初、Eは最初の会話のきっかけにすら戸惑っていましたが。
が、会話の相手とは完全にその場限りで顔を合わせることもありません。
日々二人のチャラ男を見ているEには、このトーク力訓練を実践する上での最高の教材が豊富に手に入ります。
会話に失敗しても何の痛手もない状況なら、トーク力訓練は様々なパターンを試す試行錯誤のし放題です。
1か月も経ち、会話した人数も百を超える頃には、人見知りゼロの域に達し、会話のテクニックもある程度パターン化され、相手に合わせて臨機応変に対応できるようになってきます。
確かあの月の電話代は7万円くらいだった記憶がありますが、その後の人生を考えると十分すぎるほど元の取れる授業料でした。
もちろん訓練で身に着けたトーク力は現実世界でも効果を発揮します。
年季の入ったチャラ男二人に比べればまだまだ未熟でしたが、このトーク力とメンタルは日常でも、サービス業という仕事の場でも大きく役立つようになります。
やがてこの新宿の店舗において、最強のチャラ男が三人揃うのでした。

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バブル崩壊と業績悪化
話を仕事に戻します。
とにかくでかい店舗でのとにかく忙しい毎日。
しかし、あれだけ忙しいにもかかわらず売上はというと、毎月のように対前年比で70~80%にしか達しません。
要するに会社的には「業績がものすごく悪い」とされていたのでした。
当時はバブル崩壊期で、日本全体が景気が沸騰した状態から醒めている期間だったわけです。
今から思えばバブル景気は、いわば「ボーナス期間」でしかなく、それが終わったからといって異常な好景気の恩恵で爆上げした業績を維持しようとすること自体が無理ゲーだったことがわかります。
しかし、渦中の人間にとって毎月の売上が70~80%などということは「なんたる体たらく」ということになります。
つまり、Eが在籍していた新宿の店舗は社内最大クラスの大規模店舗であったせいで売上低下の影響も最大クラス。会社からは「徹底的なテコ入れが必要」と考えられるようになったのでした。
まとめ
入社3年目。
人事異動、そして店舗の組織改革によってようやく店長候補としてのマネジメント実務を学ぶ機会を得たE。
バブル崩壊による店舗のテコ入れは、人材の再教育の必要性に及び、Eはそれまでの「昭和のレストラン経営」にはなかった新時代の店舗オペレーションを学ぶこととなります。
そして入社4年目を迎える頃、果てしなく続く副店長のパワハラまがいの指導に悩み、いよいよ退職を余儀なくされるかと思われた矢先でした。
名古屋の店舗へ、しかも店長としての辞令を受けることとなります。
そのいきさつについては後日語ります。
次回をお楽しみに!
