約20年前に放浪の旅の第一歩を踏み出した地は、バンコク。
片道の航空券を手にドンムアン空港に到着したのは夜も更けた11時過ぎのことでした。
具体的な計画はなし。
期間は最大で1年となんとなく決めていてホントに1年間旅しちゃいました。
今回は長き旅の最初の地、バンコク編です。
Eのおすすめバックパックも紹介します。
長き旅の第1日目
旅の動機は➡外国人と交流するのがなにより楽しいから。
旅の目的は➡海外移住のきっかけを作る
そのための行動は➡旅先で何かしらのアクションを起こす
具体的行動は➡多くの人と交流を持って何かしら外国での仕事を手に入れる。
これが心のバックパックのポケットに詰め込んだ旅のミッションでした。
ホテル予約なし。安宿が密集していてバックパッカーが集まるというカオサンロードを目指す。
期間は未定、だけどさすがに1年以上旅をしても海外移住の見込みがなければ諦めるしかないかなと。
人間そこまで無収入で生きていけるものではなし、期限は1年と。
荷物はそんなに大きくないバックパックひとつ(バカでかいバックパック背負っている旅人結構いますよね~)。
物欲を断ち切り、道なき道を歩いてでも旅の目的を果たす!
などと家を出る時は高揚感に満ち溢れていました。
成田空港を夜7時ころに発つアメリカの航空会社のフライトで2時間の時差のタイ、バンコクのドンムアン空港に夜11時過ぎに到着。
夜中に市街地までどう移動したかというと、飛行機で隣の席に座っていたビジネス出張のおじさんがバンコク中心部のホテルまでタクシーで向かうとのことで、相乗りさせてもらうことに(タダで)。
かくして旅の第一日目はタクシーの車中で日付をまたぐという形で幕を閉じたのでした。
カオサンロードを目指せ!
旅立つ前にEはこの本を購入して旅先での過ごし方を研究しました。
※写真は「最新改訂版」です。詳しくは画像をクリックしてください。
この本を読んでEは「まずバンコクのカオサンロードに行こう」とこの旅唯一のプランを立てました。
カオサンロードを選んだ理由は、
・いろいろな国から旅人が集まるから
・長期旅行だから宿泊費は最低クラスにしたい
・他にこれといって泊まりたい場所がない
というか長期一人旅でバンコクに行って、最初にカオサンロード以外の場所に宿泊するってどこがあるんでしょうか?
この時の旅の後にも何度かバンコクを訪れましたがカオサン以外の場所に泊まったことはありません。一人旅じゃない時もです。
ただ、2015年に最後に訪れた時は、夜のカオサンの路上が完全にクラブ化していて、みんな夜中まで爆音で踊っているんで、静かに過ごしたい人にはおすすめしません。
さて、飛行機で隣り合わせたおじさんにバンコク中心部までタクシーに相乗りさせてもらったEは、そこから真夜中に歩いてカオサンロードを目指しました。
が、これが結構苦労しました。
カオサンロードってバンコク中心部よりかなり西の端にあって結構な距離がありました。
その前に、お腹がすいていることに気づきました。
誰もが「おいしい」というタイ料理を、それも屋台料理を、味わってみたい。
ということで最初に見つけた夜中にやっていたタイスキ屋台で最初のタイ飯を食しました。
その時までタイ料理を、トムヤムクンもパッタイも食べたことがなかったEは独特の香草や調味料、辛さの洗礼を受けました。
確かに、おいしい!
道行くタイ人に何度か方向を聞きながら、夜明けのカオサンに到着。
宿はどこもまだ閉まっている。徹夜で歩いて眠くて疲れている。
しょうがないんで少し離れたところにあるベンチで仮眠。
当時の東南アジアはどこも蚊が多くて旅の始まりから蚊には悩まされました。
最近はEの家族が住むフィリピンのセブもそうですが東南アジアでも都会ならそんなに蚊がいなくなりましたよね。
2015年、Eが最後にカオサンロードを訪れた時にアップロードしたYoutube動画です
安宿を探せ!
ベンチで寝ているといつの間にか人通りが増えて南国の太陽が昇っていた。蚊に何か所か刺されてかゆい。
Eはまだ眠い体を引きずってカオサンに戻る。
激しい空腹を感じ、早朝から開いていたカオサンの東の端にあるレストラン(今は別の店に)でスープビーフンを食べる。
(旅の始めのこの辺りはかなり刻銘に覚えています)
腹ごしらえのあとは宿探し。
人通りが出始めたカオサンで一人の日本人を見つけて「安い宿知りませんか?」と聞いてみるとその人が泊っている宿を案内してくれました。
カオサンロードからセブンイレブン横の細い道を抜けて裏カオサンへ。
そこは安宿 " Mama's Guest House " のドミトリー。
今からそこの料金を言いますが、20年前なんで今と物価は全然違います。
2015年に訪れた時はどんなボロ宿でもこのレベルの料金はありませんでした。
その今はなき、二年前の2017年にその歴史を閉じた裏カオサンの最安日本人宿として一時代を築いた" Mama's Guest House " の当時の一泊の料金は、
50バーツ(約170円)でした。
この宿で過ごす限り日本でどんな節約生活をするよりもはるかに安く生活できますよね。
ただし、宿泊者が占有できるスペースは二段ベッドのベッド一つ分。
エアコンなし、門限12時。
シャワー兼用のトイレはバケツに貯めた水で流し、ペーパーなし(手で洗浄します)。
宿泊者は8割日本人ですが、外国人客もいました。
ところで欧米の女性バックパッカーってドミトリーでも平気で下着で寝ていたりするんですよね。
ひそかに他の男性客の注目の的だったりしていました。
ここ" Mama's "でさっそく出会ったのがEの少し前からここに泊まっていたフィンランド人の20代の若者ヨルマ。
彼はこの後ほぼ Mama's に定住状態になり、しばらくは他の欧米バックパッカー仲間と酒浸りの日々を過ごしていたんですが、その1年半後に再びMama'sで会った時にはバンコクで英語教師になりタイ人の彼女と同棲していたのでした。
この" Mama's Guest House " の宿の入り口前の小さな共有スペースは宿泊者だけでなく旅人の情報交換の場となっていて、明らかに宿泊者より多い人数でにぎわっていることさえありました。
その時ヨルマに教えてもらったアドレスはスペルが間違っていたのか(彼に書いてもらったんだけど)メールを送っても届かず、それっきりとなりました。
Mama's Guest Houseの入口前の共有スペースにて、Eと従業員。
バックパッカーの聖地の今と昔
今のカオサン(といってもEが知る最新は2015年のカオサン)と当時のカオサンとの違いはこれです。
①裏カオサンの日本人宿街がほぼ消滅
②そもそもカオサンで見かける日本人の数が10分の1くらい(昔はたくさんいました)
③とにかく夜中まで爆音でうるさくなった
④おいしいインドカレー屋が増えた
カオサンの日本人と裏カオサンの日本人宿はほぼ消滅したとはいえ他のエリアの日本人宿は今もあるようです。
カオサンのはずれ、東側の郵便局のある細い小路には今もCH2などの日本人宿がありました(今、2020年現在もあることを確認済)。
2015年に前を通った時も入り口辺りにしっかり日本人が何人かいました。
長旅ではやはり日本人とも交流したくなります。
Eは外国語だけの生活に疲れたら日本人宿を頼っていました。
まとめ
変化はあるもののEは今もカオサンロードが好きです。
いつか家族でカオサンの(夜うるさいからカオサン西のお寺辺りの)宿に泊まりたいと思っています。
カオサンの宿に泊まることには大きなメリットがあります。
例え一日どこにも観光に出かけなかったとしても、スマホを持ってオープンカフェで長居したり、近くのチャオプラヤー川の横の公園で夕方6時に市民が集まって始まるエアロビを一緒にやったり、夜はレストランでチャンビアを飲みながら読書したり(Eはシンハーよりチャン派です)。
カオサンにいるだけで旅を充分堪能できる。
これがカオサンです。
この後Eは思い知ることになるんですが一人旅は当たり前ですが孤独でヒマです。
長い一人旅の始めの一歩をカオサンにして間違いはなかったと断言できます。
Eの人生を変えた旅はこの後しばらくバンコクに滞在した後、タイを北上します。
アユタヤ→スコータイ→チェンマイ→チェンライ、とそれぞれ素敵な街でした。
次回をお楽しみに!
Eはこのブランドのこの25Lの大きさのバックパック(参考:写真左)で旅立ちました。
3か月くらいの旅なら何とか持ちますが、結局旅の4か月後くらいに大きいバックパック(参考:写真右)に買い替えました。
今はこのキャリーバッグ兼バックパックにもなるこのGullwingのバッグを使っています。
このバッグは自重が軽いので転がすにも楽だし、何度も使っていますが車輪も取っ手も丈夫です。
機内持ち込みもできるサイズで、もはやこのバッグは手放せません!
ですが、「道なき道を行く」旅でなければ基本スーツケースを使います。
妻はこれを日本で買ってセブと日本の往復に使っています。
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