派遣社員Eの2002年の放浪旅行記、まだまだ続きます。
バンコクで狂乱のタイ正月が終わり、Eは台湾を目指します。
シンガポールで出会った日本人に、なぜか台湾での日本語教師の仕事をすすめられ、まずは下見をと初めての台湾を訪れることにしたのでした。
旅は5か月を過ぎようかというこの頃、Eはなぜか軽いうつ状態に陥っていました。
そんな状態で旅は続けられるのでしょうか?
と、はじめに断っておきますが今回の記事ではまだ台湾に到着しません。
今回はこれまでの旅を振り返りつつ、当時のEの心境について深掘りします。
前回の記事です。
祭りの後のうつ
タイ正月が終わりました。
水掛け祭りの狂乱の中、一緒にバンコク市内を観光をした東京のOL、ヒロミちゃんも帰国します。
日常に戻った4月中旬のバンコクは観光客が少なめ。
Eが常宿としているカオサンロード裏手のゲストハウス「Mama's House」のドミトリーも空きベッドが多数。同宿の日本人といえば日がな一日カオサンロード周辺、いやMama's House周辺から動かない廃人系旅行者のやっちゃんくらい。
その代わりに、正月の帰省をしていた若いタイ人のスタッフ達が戻ってきました。

当時のMama's Houseスタッフのガチャピン(中央)とビア(右) 撮影:他Mama's Houseスタッフ
カオサン周辺から動かないのはタイ正月が終わり虚脱状態のEも同じ。
台湾行きを前にしながらなぜか気力が起こらない。
放浪旅行5か月目にして初めての現象に陥っていたのでした。
台湾行きまでの数日間、やることといえばこんなことぐらい。
①宿のスタッフの青年ビアとチェスをする
②宿の共有スペースでやっちゃんと話す(が、話題が合わない…)
③カオサン周辺の行きつけの食堂やカフェで読書
④台湾行きのチケットを買う
ビアはMama's Houseで住み込みで働く少年。確か18歳かそこら。
夜はドミトリーの床で寝て、宿泊客が夜中に戻ってくると鍵を開けるのに起こされるので少し気の毒。
昼間ビアが仕事の手が空いている時に他のスタッフとチェスをしているのを見かけたE。
Eは一応、駒の動かし方などの基本ルールなら知っているので「俺とやってみようよ」とビアにチェスの対局を挑んだのでした。
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チェスの対戦
Eはチェスのルールは本で読んで知っていたものの、将棋でいう定跡などの知識はなく、現在でも最初の一手に何を動かすべきかさえも知りません。
ビアとの対局は始めの2局ほどは負けたけど、ビアもほぼ初心者?
なんとなく感覚を掴むと3曲目はEの勝ち。その後もビアがヒマそうなときに対局を挑みましたがいずれもEの勝ちでした。
高校生の時、図書館で麻雀やチェスやオセロの教本を借りて読んでおいたおかげで、後にここバンコクに於いてヒマつぶしに資することがでたのでした。
思えば人生で誰かとチェスの対戦をしたのは、あのビアとの対局が最初で最後でした。
ちなみにEはオセロでもちょっとしたコツを知っていて、素人相手ならまず負けません。

ところで、タイ正月中は大はしゃぎでカオサンで踊り狂っていた関西人のやっちゃん。
お互い一日のほとんどをゲストハウスで過ごしているので、四六時中顔を合わせていました。
やっちゃんはカーリーヘアで、いつも同じシャツと短パンで、何をするでもなくMama's Houseの入り口の共有スペースで外を眺めています。
Eが何かを話しかけても、何か趣味があるでもないようで話題なし。ただ、やっちゃんは基本的には陽気。
ですが、やっちゃんとは最後まで共通の話題を見いだせないままだったのでした。
台湾行きの航空券を購入
そんなわけで次の目的地、台湾への航空券をカオサンの旅行会社で購入。
行先は台北、を経由して東京着。
そう、バンコク発台北経由東京行きの航空券。
台北で7日間のストップオーバーをして東京に着く、というチャイナエアラインの便です。
ここまで語ったように、Eは「海外移住のきっかけをつかむ」ことを旅の最大の目的としてきました。そして、とりあえずシンガポールで出会った日本人のりさんの紹介で「台湾で日本語教師」という職を紹介してもらえる算段がついていたのです。
そこへもってきて、この頃のEは軽いうつ状態にあるという。
要するに、
この頃のEは旅を終えることも考えていたのでした。
とはいえ、まだまだ行ってみたい国も多数あり。
旅で出会った人々から「インドは人生観が変わる」「ベトナム料理は最高だよ」「ネパールでヒマラヤを眺めてると落ち着くよ~」などの話を耳にすると、まだ見ぬ地への憧憬が広がります。
元々宗教に興味があり、前年にはアメリカの同時多発テロ事件があったばかりだったのでイスラム教の国を見てみたいという気持ちもありました。

台北の中正記念堂。正門中央の文字は時々変更されます。 撮影:E
葛藤の末、とりあえず移住の可能性が確実となった台湾は訪れておかなければ。
台湾訪問の後に仕切り直しでいったん日本に帰国しよう、となったのでした。
うつ状態の原因
この頃のEのうつ状態は何だったのか?
そもそもシンガポールからバンコクを目指す道中でもその兆候がありました。
後年自己分析をした結果、うつの原因についてある推論に至っています。
それは、
旅が当初思っていたほど上手くいっていない
というものでした。
一体何が上手くいっていなかったというのか。
①もっと現地の人々に受け入れられると思っていた
②言葉が通じなくても気持ちが通じ合える、という幻想を抱いていた
③海外移住につながるきっかけがゴロゴロ転がっていると思っていた
といったところです。
例えば、
ふと入ったバンコクの食堂で相席した現地の人に話しかけられて意気投合。その人の家に招かれ家族と食事を共にする。
話は弾み「お前は日本でレストランを経営していたのか(実際はチェーンの店長)」と。
「それならぜひ俺が経営する日本料理レストランの新店舗を任せたいのだが」と移住を勧められる。
などといった。
もちろん、そんなドラマのような展開がそうそう転がっているはずもなく。
そもそもが旅の前に3か月間NOVAで英会話を勉強したとはいえ、外国人と自由に意思疎通できるには程遠く、旅もひと月を過ぎたあたりからはすっかり現地の人と交流するのがおっくうになっいる始末。
要するにEのうつは、旅の前に思い描いていた理想と現実の違いからくるフラストレーションが原因だったわけです。
追い打ちをかけたのが、三日三晩の水掛けとタイ正月後の閑散としたバンコクでした。
そんな気持ちを引きずってまだ見ぬ安住の地、台湾を目指しバンコクを発ったのでした。
まとめ
この後Eは台湾に渡り、いったん日本に帰国します。
が、ご存じのようにEの放浪旅行は1年に及びます。帰国して短期間日本で過ごしますが再びアジアを目指しますのでご安心を。
さて、Eは最終的に1年の放浪の旅を終えると台湾に移住して日本語教師となります。
その下見も兼ねた台湾訪問。
そんなEにとっての台湾の第一印象となる台湾7日間の旅では何が起こるのでしょうか。
そしてうつ状態を脱することはできるのでしょうか。
次回をお楽しみに!