Eはバブル全盛期に大学生でした。
一浪して上京し大学に入学するといつの間にか、後年「バブル経済」と称される時代に突入していました。
その時は全く気付いていませんでした、当たり前ですが。
大学生ですから給料やボーナスが急激に上がった、という恩恵を受けわけではありませんが社会も自分の周りも多くのことが急激に変化していました。
始めに言ってしまうと、Eは典型的な「勉強しない大学生」でした。
アルバイトばかりに明け暮れてある意味、貴重な時間をムダにしました。
そんなEが大学時代にしておくべきだったと考えるのがこの三つです。
①社会保険労務士や宅建士のレベルの資格を取る
②英語か中国語会話など語学の勉強をする
③外国を放浪旅行する
これについて語ります。
Eが入学した大学
Eは地方の小さな町で生まれ育ちました。
生まれたばかりの頃には石油ショックなどもあったんですが日本はどんどん成長を続けていました。
Eは県立の進学校に通いましたが、漫画と洋楽にはまり勉強はほとんどしませんでした。
そのくせ大学には入りたかったEは浪人しました。
が、それでもなお勉強しなかったんですが、夏ごろにようやくヤバいと気づいて勉強を始めなんとか東京の有名大学に入りました。
日本大学商学部です。
有名ですよね、日大。
ご存じの通り日本最大の学生数を誇る大学で、いろいろとありますがスポーツも強いです。
小田急線祖師ヶ谷大蔵駅から祖師谷商店街を抜けて徒歩約10分(成城学園前駅も徒歩15分)。
世田谷区砧の世田谷通り沿いにあるんですがそのキャンパスにあるのは商学部だけです。
学部ごとにキャンパスの場所が異なります。ひとつひとつのキャンパスを取ると単科大学の様相を呈しています。
全学生が集まるのは武道館で行われる入学式と卒業式だけです。
⇒日本大学のHPはこちら
大学の授業ってどうなの?
日大の学生数は全体で1学年に1万人くらいいるらしいです。
商学部は1学年が1,200人ほど。
世田谷のキャンパスだけだと普通の大学より小さいくらい。
とはいえ学部としてはかなり学生数が多い方。
三つの学科に分かれているんですが(商業学科、経営学科、会計学科)ひとつの学科の人数も多いんで、授業によってはライブ会場並みに学生が入っていたりします。
ただ、授業はライブと違って全く盛り上がりません。
Eは日大商学部以外の大学の授業は受けたことがないんですが、とりあえず日大商学部の教授、講師の授業はひどかったです。
何かを教えるのにできるだけ相手にわかりにくい教え方ををして、隠しておきたいかのようです。
例を挙げると、1年の時に必修科目に「簿記論」というのがあったんですが、要するに日商簿記3級くらいの会計の知識と簿記のつけ方を教える授業でした。
これがもう、まさに学生に簿記について一切学生に知られたくないんじゃないかと思うくらいわけわからん授業内容でした。
残念ながら、そんな講師の努力にもかかわらず、Eは簿記というものは貸方と借方があって、そこに仕訳というものをすると貸借対照表と損益計算書というものができるらしい、ということだけはEに知られてしまったのでありました。
Eにとっては残念なことでしたが、授業の中で資産と負債、利益と費用、という概念を読み取ることができませんでした。
いや、させてもらえませんでした。
とりあえず、Eには簿記は難しい、理解不能、向いていない、という印象が深く刻み込まれ、その後は見向きもしませんでした。
スッキリした20年後
そんな授業から約20年後のことでした。
Eは社会保険労務士の試験が終わり合格発表を待つ間に合格したら会計事務所に就職することもあり得ると考え(実際そうなりました)、簿記3級の勉強を始めました。
まず、Book offで買った古本のテキストに従って勉強を進めていくと驚くことにすらすらと理解でき、2か月足らずの勉強で簿記三級に合格しました。
有名大学の講師が1年間教壇に立って何をも成し遂げられなかったことを、一冊のテキストが2か月足らずでいとも簡単にやってのけたのでした。
日本一の学生数を誇る日本大学の講師の授業がいかにカスだったか。
これは卒業後に授業のカス振りが証明された事例のひとつに過ぎませんが、とにかく4年間に受けた授業のほとんどがこの調子でした。
まーこれでは勉強する気になれませんよね。
はっきり言って、Eが講師になった方がずっとわかりやすく教えられます。
一応、会計事務所勤務経験者で所得税申告書類も作っていましたし(法人税は自力では作れませんでしたが…)。
※詳細は画像をクリックしてください
この1冊のテキストが大学の授業1年分に勝ります。
勉強しない大学生でした
授業がわけわからんとしても、勉強したければゼミに入って教授について勉強なり研究なりして勉強して卒論を書けばいいじゃないか、と思われるかも知れません。
2年生になる前の秋ごろに始まったゼミ募集の時にEは応募しませんでした。
特に理由はなく、ゼミは必修でなく、ゼミに入らなければ当然卒論も必須ではなく、やらなくていいことはやらなかった、それだけでした。
年度末のテストもほとんどが、毎年これがでるからこれを丸暗記して書けばいい、的なものばかりだったし。
言い訳はしません、授業がつまらないのを言い訳にして、ただ勉強しない大学生でした。
でもひとつ言いたいのは、大学はシステム上、勉強しなくても卒業できる仕組みになっています。それは仕方のないことです。
なので勉強しないで卒業する学生を責めないでください。
それにしてもあの簿記の授業はひどかったな~
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アルバイトにはまる
勉強しなかった理由には、大学に行くよりもアルバイトに行く方が楽しいということもありました。
授業に出なくてもそこそこ単位が取れて卒業できることもわかってきたので年々授業に出る回数が減り、アルバイトに行く回数が増えました。
初のアルバイト体験
Eも入学するとすぐ、周りと同じようにバイトを始めました。
学校は小田急線沿いにあるけど、京王線の仙川駅の近くに住んでいたEは、最初に仙川商店街にあるハンバーガーショップでバイトを始めました。
仙川からはバスで成城学園前駅まで行けました。
そのうちバイクの免許を取って250㏄のバイクで通っていました。
ところがバイト初心者のEはレジに入ればテンパるしハンバーガー作りも覚えが悪いし最悪のダメバイトでした。
Eにとって一番ネックだったのは、大学でもそうだったんですが東京の人たちに気後れしていて職場に馴染めない、自信が持てない、よって上手くコミュニケーションが取れない。
仕事もできないからやたらと下手に出る、さらにダメ扱いされると悪循環に陥っていました。
当時のEは今でいうコミュ障に近い症状で、友達もあまりできませんでした。
夏休みになると、大学の友達も地方出身者で固まっていたんでみんな地元に帰るし、バイトも楽しくなかったんで辞めて約2か月実家で引きこもりをしていました。
高校時代から引きこもりがちだったので、大学に入ったらネアカになってトレンディな生活するぞ、と気負ってはいたものの現実には「東京」の圧力に負けてこの有様。
バイクもこの後のEの人生を広げてくれました。
ようやく居心地のいいバイト発見
夏休みが明けると、仕切り直して仙川商店街でバイト探し。
地味目のバイト先の方がいいかと思い、いかにも昭和の雰囲気の喫茶店の店先の張り紙を見て応募。
仕事は相変わらず覚えが悪いダメバイトだったんですが、マスターも他のバイトさんたちも仙川の地元の人たちばかりでアットホームな雰囲気。
居心地がよかったんで続けていると仕事もまあまあできるようになってきて、結局その喫茶店で卒業するまで働いていました。
マスター(=経営者)も従業員も仙川近辺に住んでいるからすぐ集まれるし、飲みに行っても終電も関係ないし。
基本、バイトは家の近くでするに越したことはありません。
渋谷バイトに挑戦!
と、実はハマったアルバイトはこの喫茶店だけではありませんでした。
大学3年の初め頃にこの喫茶店が改装のために数か月休んだことがあって、その間にEは満を持して渋谷のお洒落バーでのバイトを始めたのでした。
といっても厨房でしたが。
いましたよ~
お洒落な人たちが、男女ともに。
ようやく東京の人間になったという感じでした。
なんだかんだEも憧れていました、大都会東京に。東京を満喫しました。
が、ただそれだけでした。
なぜか厨房のバイトは地方出身者が多く、ホールのバイトは東京出身者、でお洒落、という格差はありましたけどね。
仕事が終わってからもバイト仲間と朝まで飲んで帰る。
当然次の日は授業なんて出れません。
仙川の喫茶店の改装が終わるとバイトは掛け持ちでした。
この大学3年の頃はバイトが週6、学校が週1くらいのペースで、当然取れた単位はかなり少なかったです。
ホントに時間をムダにしたな~と思います。
そこでは料理が少しばかり作れるようになっただけで、何のスキルの向上もありませんでした。
バイトは大学にとって有益?
この遊び呆けていた時間に簿記なり英検なりの資格勉強でもしていれば。
バイトするにしても社会経験ができる仕事なり、飲食店にしても個人経営でなく会社組織で真面目に利益を目指して経営している店で働いていたら。
Eは30代になってからバックパッカーになって海外を放浪しましたが、この時期にできたのに、世界を知っていたら、とも思います。
ま、その辺がわからないのが若者ですけど。
そういった情報を集めることもしてなかったからな~
真剣に大学生のみなさんに言いたいです。
大学に入って遊び呆けるのはたいがいにした方がいいですよ。
Eは大学卒業後もそれまでのバイトの延長のような感覚で飲食店チェーンの会社に就職し、日本社会や世界のことに疎いまま20代を過ごすのでした。
大学生活で唯一得たもの
ただ、何も得たものがなかったとは言えません。
Eはこの頃まで自分に自信がなく、あまりしゃべる方ではなく、しゃべり自体下手で人に話しかける勇気もない、要するにコミュ
バイト先にはこれといって尊敬できるような人がいたわけではなかったんですが、特に渋谷のバイト先には遊び人が多くいました。
ま、彼らは女性によくモテるわけなんですが、Eがどうしてこの人たちはモテるのかと観察しているると、しゃべりや人の扱いが巧みだったんですよね。
これはEにとって革命でした。
コミュニケーションの技術
どうやったらあんなに人の心をつかんだり笑わせたりできるんだろう、と分析してみたらいくつかのことがわかりました。
・見栄を張らない
・自分を落とすことで笑いを取る
・相手の嫌がることを言わない、しない
・敬語の中にタメ口を混ぜる
・軽いボディタッチをする(男女問わず)
などなど。
見ておわかりの通り、コミュニケーションの教科書などに載っているものばかりです。
彼らは女性を喜ばせるだけでなく、いつも周りに人たちを楽しませてくれるような人たちでした。
今思うと、Eは芸人さんに会ったことはないんですが彼らは芸人並みのコミュ力を持っていたんじゃないかと思っています。
もちろんEがすぐに彼らのようにできるようにはなったわけではありませんでしたが、コミュニケーション能力を磨くため数々の場面で彼らならどうしただろう、と考えることによってどんどん向上させていくことができました。
もともとがEには全然できていなかったことでしたから、まさにEにとって革命でした。
高校予備校大学と同世代の同種の人たちとつきあってきた中では出会えない人たちでした。
それ以来、一度も彼らのような人たちに出会っていません。
だからといって学業をおろそかにしてバイトに明け暮れろというわけではありませんが。
精神的な障壁を乗り越えた20代
学業や将来の職業のスキルという意味では、Eは大学4年間のかなりの時間をムダに過ごしました。
その代わり、ではないかもですが大学の4年間で高校時代から抱えていた精神的な障壁を取り払うことができました。
大学入学当時と卒業して就職した時のEを比べると、恐らく別人レベルの印象の違いがあったと思います。
バブル期のバイト環境
ところでバブルって学生のバイト環境にもかなりの影響を及ぼしていました。
大学1年に始めたハンバーガーショップの時給は650円でした。
それこそ大学3年、既にバブル末期でしたが渋谷のお洒落バーの時給が900円。
これこそバブルですよね~
大学時代にすべきだったこと3選
冒頭にも載せましたが、Eがもし大学生に戻れたらこれをやるべきだったと考えています。
①社会保険労務士や宅建士のレベルの資格を取る
②英語か中国語会話など語学の勉強をする
③外国を放浪旅行する
まあつまり、大人になってから必要に駆られてやったことを大学生のうちにひとつかふたつやっておいていたら、というだけのことですが。
ちなみに大学時代、唯一Eが積極的に勉強したことがありました。
大学3年生の頃、授業とは別の特別講座を自ら受けました。
Windowsがなかった時代でワープロも一般的でなかった時代に「一太郎」というワープロソフトでの文字入力のレクチャをする講座を有料で開いていました。
Eは文芸研究会という小説を書いて同人誌を発行したりするサークルに入っていました。
自分で企画・編集した同人誌を出す、という目的もあったためこの講座を受けて当時の人々の平均よりかなり早い時期にブラインドタッチができるようになっていました。
学生がパソコンに触ることすら稀だった時代です。
その講座を取ることによってパソコンも自由に使えたので、自力でホチキス留めの同人誌を作って学園祭で販売したりしました(売れませんでしたけどね)。
これはこの後、Windows95が世に広がり、パソコンを誰もが当たり前に使う時代が来た時にアドバンテージとなったことは確かでした。
まとめ
「これって将来役に立つかもしれない」と他人に言われたり聞いたりすることってありますよね。
資格試験も語学も放浪旅行も当時のEには考えもしなかったことばかりでしたが周りにはやっている大学生もいました。
Eも見ていました。
が、いつも面倒くさい、自分にはできない、と敬遠していました。
ワープロは実際にすぐ必要となる時代がやってきてすぐに役に立ちました。
大学生という年代にはなにが必要でなにがムダか、の判断をすることは難しいと思います。
ひとつだけ言えること、恐らくだれも異論がないであろうことが、何かしらそれまでの自分の狭い世界から飛び出すための挑戦をするべきだということです。
それは早ければ早いほどいいです。
人生を豊かにするはずです。
Eも今からでも挑戦を続けます。
次回をお楽しみに!
あの当時にこの英会話学習ツールがあったなら…