2年振りのセブ滞在も3週間が過ぎました。
家族との日常を楽しんでいますが、親戚のパーティーに参加したり、泊りがけでビーチに出かけたりとレジャーも盛りだくさんです。
そんな中、妻の発案である小さなイベントを開きました。
妻の地元、セブの山奥での子供たちとのふれあいのイベントです。イベントの趣旨は、正直子供たちにも開催側のこちらにもよくわかっていません。
まあ、みんなが楽しければいいかな、といった感じです。
そのイベントの様子と、Eが知るセブの農村部の実情をお伝えします。
山間部の妻の実家
フィリピンはセブ。
セブといえば日本では一般的にビーチリゾート地として知られていますが、プライベートビーチを備えた高級ホテルが立ち並ぶのはセブ島ではなく、その隣の小さな島マクタン島にあります。
国際空港も同じくマクタン島にあり、行政区としての名前は「ラプ-ラプ市」です。
セブ島は長細くてフィリピンでは9番目の大きさの島。
面積は東京都の2倍、南北の長さは225㎞と東京ー浜松間くらいの距離があります。
そして島のほとんどは山。標高1000mに達する山脈が南北に伸びています。
セブの教育事情
ということは、多くの人々が山間部に住んでいるわけです。
Eの自宅もやや標高が高いところにあり、常夏の平地と違って年中涼しく、時には寒く、冷房器具を必要としません。
山間部の産業といえば農業や畜産業。そして小規模な小売や飲食店です。
妻の親族はみんな実家周辺に住んでいて、職業は農業、農産物の中間卸売業、車の整備業など。
だいぶ年の離れた妹が大学卒な以外、妻も含めて全員、いわゆる日本の高校生が卒業する年齢より前に学業をストップ。日本に当てはめるなら中卒か高校中退です(以前の義務教育は6年+4年の10年)。
では現代の子供たちはどうでしょうか?
目下の最大の教育に関する問題は、コロナ禍によるフィリピン政府の愚策。
2年に渡る対面授業の全面ストップです。
公立の学校ではモジュールと呼ばれるプリントの課題での学習がほとんど。課される学習量は、Eの家族の二人の中高生を見ていると、対面授業の10%といったところでしょう。
この愚策がフィリピンの国際競争力をどれほど妨げていることか。
それは別として、Eが実際に見聞きした範囲でも、セブの子供たちには日本のようにあまねく教育が行き届いているとはとても言えません。
そんなEが知るセブの子供たちの実情の一例を紹介します。
高校に通えない子供たち
妻の一般的な日本人よりかなり多めの兄弟姉妹のうちの一人に、子供が10人以上いる兄Sの家庭があります。
妻と知り合って兄Sともかかわりを持って以来、絶え間なく子供が生まれ常に赤ちゃんがいるという状況です。
S夫妻は山中で大規模とは言えない農業をやっていて、子供の多さからも当然かなりの貧乏です。
以前は妻もそうでしたが、フィリピンでは多くの人が銀行口座を持っていません。
ついでに言えば、住居を特定できる住所すら持っていません。
Eのセブの自宅も、日本で例えると「長野県北佐久郡軽井沢町…」までの住所はありますがそれ以上の具体的な場所を表す地名や地番がありません。
ネットで買い物をして届けてもらうときは、配達の運転手に「この道を行くとこんな家がある」と携帯で説明して届けてもらいます。
話を戻すと、多くのセブ民は貯金だとか貯えだとかいう観念がありません。
その日その日の稼ぎを日々消費する、といった具合で備えというものがないので、災害や病気でまとまったお金が入用な時にどうするかというと、親族に借金を乞うことになります。
そんなわけで兄Sの家庭も度々日々の生活費が尽きては我が家にお金や米を借りに来たりします(もちろん返ってきません)。
10人以上いる子供たちは物心つくと家業の農業を手伝ったり、弟や妹の世話をしています。
10人以上兄弟の家、とEの娘K(左)
コロナ前のことでした、Eの家族はラプ‐ラプ市でアパートを借りて生まれたばかりの娘と当時中学生の二人のお兄ちゃんと住んでいました。
ちょうどその頃、兄Sの家庭の一番上の子が日本でいう中学校を卒業する年齢だったんですが(フィリピンは高校まで義務教育)、家業に専念させるために両親が次の学年に進ませないことにしたとの話を聞きました。
妻からそのことで相談を受け、かわいそうだからということでうちのアパートに住まわせて学費を補助して近くの高校に通わせることにしました。ちなみに公立の学校の学費はかなり安いです。
その代わりに、学校以外の時間に家事全般と娘の世話をやってもらっていました。
その子は高校2年の終わりまで修了したんですが、Eの家族が現在の自宅を新築して引っ越すのと同時に学業もストップ。
その後しばらくは実家に戻って家業を手伝っていたんですが、現在はセブ市内で働いているようです。
支援した高校の2年間が何かの役に立っていればいいんですが。
セブ山中の畑
同じくラプ‐ラプ市のアパートに住んでいた時。
同じビルに住むアパートの大家さんにお茶に誘われて妻と部屋に入ったことがありました。
家には小学生高学年くらいの子供と幼児がいて、小学生の子供は分厚い英語の教科書を開いて熱心に勉強していました。
きっとあの子供はラプ‐ラプ市のプライベートスクールに通い、いい大学に進学して何かしらの高収入の職に就くことでしょう。
一方、近い世代のうちのお兄ちゃんたちはというと、家ではコロナ禍で学校に課された課題に取り組んでいるところを見ることはあっても、最低限やるべきこと以外の学習をすることはまずありません。
基本勉強嫌いで、課された課題も期限に間に合わせるのがやっとです。
農村部の子供たちには勉強の習慣がなく、そもそも教育にかける金銭的余裕もないケースも少なくないことでしょう。
その場合、親たちと同じように農村に縛られて可能性を封じ込められたままの人生を過ごすことになるのかもしれません。
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妻の地元でキッズイベント開催
そんな妻の地元の集落でキッズイベントを開催。
これは妻の発案でした。
妻の地元、といっても家屋が15軒ほどの集落。
ただ少子化の日本と比べるとはるかに各家庭の子供の数は多いです。
3月中旬のある日。
用意したのは50個ほどの駄菓子の小袋。
お菓子は主に自宅で営んでいるSARI-SARIストアの在庫。
そしてギター。もちろんEが歌を披露。今回は妻と初めてのデュエット。
曲はEの持ち歌(?)。とりあえず妻が歌詞を見ながら歌えるように前夜までに特訓。
予告なしに妻の地元に乗り込む。
車で少し行って、山を少し登ります。
とりあえず妻の両親の家に挨拶。兄Sの家も近く。
今回活躍してくれたのが兄Sの10人以上いる子供の一人、中学生の娘。
よくEの自宅に遊びにて店を手伝ったり娘と遊んでくれたりしています。
すぐさま集落の全家庭にイベントを周知。
子供たち、ママさんたちが集結。総勢20人余り。
まずはつかみに、持ってきた駄菓子の小袋を景品に椅子取りゲーム。
次にEと妻で歌を披露、コンサート。
実はEが一番やりたかったのがこれだったりする。
妻とのデュエットはShawn MendesとCamila Cabelloの数年前の大ヒット曲「Señorita」。ここの人たちなら誰でも知っている曲。
冒頭のCamilaのパートを妻が歌いだすと子供たちから手拍子をもらう。
付け焼刃の夫婦初共演だけど、まあまあウケました。
そして、Eが今回のセブ滞在のテーマ曲と勝手に決めているBob Marleyの「One Love」。
古い曲でキッズには馴染みがないと思うけど、「One Love~♪」の部分は覚えやすいテーマなので、みんなにEの歌に合わせて手で「♥」を作ってもらう。
そして再びゲーム。
スイカ割りの要領で目隠しして地面に置いた景品を叩けばゲット。
現地では20ペソ札を景品にするのが一般的とのこと。
ところが小さなお札ではなかなか棒で叩けず、用意した駄菓子袋なども景品に。これには子供たちばかりでなくママさんたちも参加。
これが結構盛り上がって、むしろ失敗して何もない地面をたたいた時の方がみんな大喜び。
そしてみんなでダンス♪
動画を見てもらえればわかる通り、フィリピンでは小さい子供からダンス大好き。
現代っ子はみんなTil Tokの流行りの曲に合わせて踊れます。
うちの4歳の娘ももちろんダンス大好き。
音楽が流れれば一緒に踊ります。
そんなわけで、そこそこ盛り上がったイベントはお開き。
用意した駄菓子袋も全部配り切りました。
まとめ
冒頭でフィリピンの教育事情について語りましたが、別に今回Eが妻と開いたキッズイベントがフィリピンの農村部が抱える問題の解決に何ら助けになるわけではありません。
もちろん子供たちが、自分の可能性を発揮できる未来を手にできればいいと願ってはいますが。
そもそも他人の手助けがなくともフィリピン自体が自力で発展し、農村部の所得も増え、子供たちの教育機会が増えていくのかもしれません。
結局このイベントはEと妻の自分たちの楽しみ、満足に過ぎず、子供たちにとっては退屈な暮らしのアクセント、といったところなんでしょう。
まあ、楽しかったんで全てOKです♪
この後もEのセブでの様子をお伝えします。
次回をお楽しみに!
フィリピンは農村部でも英語を話せる子供はたくさんいます。
日本はその点では後れを取っていますよね。