今回は随筆です。
負けない派遣社員Eが5年ほど前に当ブログを開設し、多数の記事を書いてきました。
書きたいことは山ほどあるんですが、なんとなく「人さまの役に立ちそうな情報」をお伝えしなければという義務感的なものを感じながら書いている自分に気づくのでした。
思えば文学サークルに所属してたあの大学時代。
下手な小説や雑記を思うがままに書いていたあの頃。
あの時の感じで自分のためだけに物を書くのもいいのかなと。
そんなわけで今回は随筆です。
テーマは壮大。
「生と死」についてです!
随筆を書こうと思ったわけ
日本で最初期の随筆といえば清少納言の『枕草子』。
他にも古典で習った『方丈記』や『徒然草』なども随筆というのだそうです。
外来語にすると「エッセー」というらしいですが、「随筆」の方が字数が少ないし、キーボードで入力するときも、Eがよくタイプミスをする「ー」のキーを使わなく済むので「随筆」でいきます。
その随筆とやらをなぜ書こうと思ったのか。
つい最近、あることがあって「生と死」について久しぶりに考える機会があり、その思索の過程をどこかに記しておきたいと思ったからでした。
そしてその「あること」とは。
夜、7歳の娘と寝る前に交わしたある会話でした。
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7歳の娘が語った言葉
7歳、小学1年生の娘は学校がある前の日でもなかなか寝ません。
しかもパパかママが一緒でないと布団に入らないので、その日も少し早いけどパパEが娘と一緒に布団に入りました。
もちろん娘が寝たらEはシャワーをしたりテレビを見たりするわけです。
Eはこの娘を寝かしつける時間が大好きで、昨年2月にようやく妻と娘が日本に移住するまでの6年間、一緒に暮らせなかった時間を埋めるべく、娘の頭を腕に乗せ、娘の体温を感じながら娘が眠りにつくのを見届けるのでした。
その夜、娘がパパEに語った言葉が、
「パパがおじいちゃんになって死んだらやだよ」
切なげにそうつぶやきました。
そう、それはEもかなりイヤです。
娘はさらにこんな風にパパEに問いかけました。
「人って生まれて年をとって死んじゃうでしょ。どうして神さまはそんな風にしちゃったの?」
と。
さてE、この娘の人生の根幹ともいえる問いにどう答えたらいいものやら。
パパEの娘への答えは後で述べます。
まず前提としてEは、「いわゆる神」の存在は完全に否定します。
ここで「神」についてのEによる定義を。
① いわゆる神
現代の科学をもってしても「いわゆる宇宙」のほんの一部しか解明されていないのに、千年以上前の人類が根拠ゼロの想像だけで作り上げた矛盾だらけのフィクション世界。その中で語られる創造主的な存在が「いわゆる神」。
それらのフィクション世界は「宗教」とも呼ばれ、その世界観によく登場するのが「いわゆる神」。無宗教と言われる日本人も時々「神様助けて~」などと実は存在を無意識下で信じていたりする。
② 神
今現在「いわゆる宇宙」も地球という惑星も人類も、現存している以上は何かしらこの現状が成立するに至るメカニズムがあったことは確実。そこに何かの意志や意図がある可能性もあり、あるとすればその発動者が「神」であるが、人類と類似する感情や感性を持っている可能性はまずない。
もう一度言うと、人類は滅亡するまでその存在を解明、証明できる可能性はない。
要するに、人間にとっての神の存在なんてただ自分たちの都合のために作り出した「おとぎ話」のレベルでしかないとEは思っているわけです。そして「宇宙」のシステムの完全解明など無理という事実。
ただ、量子コンピューターが完成すれば「いわゆる宇宙」を完全に矛盾なく説明できる成り立ちの仕組みや法則が発見できるかも、とやや期待はしているんですが。
ここで一応「いわゆる宇宙」と「宇宙」のEの定義も記しておきます。
① いわゆる宇宙
地球が存在するこの宇宙は高温高密度状態の無から爆発的膨張をしてできたもので現在も膨張し続けている、とするビッグバン理論で語られる、今現在人類が所属していて膨張しているといわれるこの空間のこと。
② 宇宙
「いわゆる宇宙」が膨張しているとすればその外側があって、恐らく人類の歴史の終末に至るまで観測が不可能で、仮説はいくらでも立てられたとしても絶対的に実証不可能な「いわゆる宇宙」の外側、「全宇宙」のこと。
そんなわけで、Eにとってどう考えてもいわゆる神とやらが登場するすべての宗教はフィクションでしかないわけです。
とはいえ、娘はフィリピンのカトリック文化の中で育っているわけで、そんな7歳に「神さまはなぜ~」と問われると、まず「神さま(God)」の存在問題からしてスルーするべきか一瞬躊躇するのでした。
が、Eの個人的世界観を説明するにはまだ幼すぎる。
しかもEの神の存在や宗教をを完全否定する世界観は世の中では少数派なわけで、とりあえず神さま存在問題についてはスルー。
ではなぜ娘がそんな生と死にかかわる疑問を持ったのか。
これには伏線がありました。
7歳が見た「生と死」とは?
先月、今からほんの3週間ほど前のこと。
Eの親戚の葬式がありました。
かなり高齢の方がなくなったんですが、フィリピンで育った娘も妻も日本の葬式は初めて。
初めての日本のお葬式
かなり近い親戚なので、Eたち三人はお通夜の少し前に葬儀場に着くと、喪主さんたちの控室に通されます。
と、そこにはご遺体が布団の上に白装束で横たわっています。
その方とは、妻も娘も生前の元気な時分に会ったことも交流もあったんですが、ご遺体はふっくらしていた当時とは変わり果てたやせこけた姿。
娘はセブに住んでいた頃は葬儀に参列したことはなく、しかもフィリピンでは遺体は埋葬するので、人間の遺体を見ることは初めて。
が、ご遺体に直面した娘の様子はいたって普通。
妻と娘はEに習って、ご遺体の前に正座して合掌。娘、なおも平然としいて特に感情の動きは見られません。
妻の方は、彼の元気な頃を思い出してか悲し気な顔。
やがて参列者がやってきてお通夜が始まります。
僧侶の読経の中で、妻と娘も見よう見まねでお焼香をしたりと初めての仏式のお葬式を体験。
だいぶご高齢で亡くなられたこともあり、その後のお斎の席は割と和やかで、E家族は参列された方々に挨拶したり、食事を楽しんだりと。
翌日も三人で葬儀へ。日本の葬式の流れをひととおり体験。
そしてEも初めてったんですが、今回は火葬場で遺体のお骨拾いに立ち会いました。
Eは自分の親の葬式でも、葬儀後の食事の最中に他の身内がひとりでお骨拾いに行く、という流れだったので、これまでお骨拾いの経験がありません。
ある時山道を歩いていたらなんと白骨死体を発見、などという経験もないのでこの年まで本物の人体の白骨を見る機会がありませんでした。
今回念願がかなったわけです。
いい大人のEや妻はいいとして、7歳の娘が人が焼かれた後の骨を見るのってどうなのかな、という考えも頭をよぎりましたが、「いい経験になる」とすぐに考え直しました。
なにしろEが50を越えるまでなかったくらいのレアな機会です。
見せておかない手はない、と。
それに6歳までをフィリピンで育った娘にとって割と死は日常だったはずだからです。
フィリピンでは死が日常
死が日常、と言ってもフィリピンでやたらと人が死んでいるというわけではありません。
確かに前大統領時代は「麻薬戦争」と呼ばれ、麻薬撲滅を目指して超法規的に麻薬取引関係者を殺害してもいい、という命令を下して多くの麻薬犯罪者が死亡するなど、日本と比べれば人が死ぬ割合が多いかもしれません。正確な統計までは知りませんが。
それでも実際に麻薬犯罪で殺害されたという話は、Eのセブ島の自宅付近では1件しかなく、しかも娘が物心つく前。
話がややそれましたが、フィリピンでも日本と同じで、人はそうそう死にません。
死が日常、というのは動物の死のことです。
フィリピンでは食肉を家庭で生きた家畜を殺して食べる、ということが時々行われます。
セブ島最大の市場、カルボンマーケットに行けば、鶏を生きたまま売っていたりします。
そしてフィリピンでお祝い事と言えば、レチョン(Lechon)、豚の丸焼きです。
フィリピン料理レチョンの仕込み作業
これがフィリピンの名物料理レチョンの加熱済み、ほぼ出来上がりの状態です。
2024年10月、セブのE自宅で娘の誕生パーティーのために調理したレチョン 撮影:E
この料理は通常、各家庭で材料をイチから調理します。
材料というのはもちろん、生きた豚です。
別の場所で仕込みをされて持ち込まれる場合もありますが、生きたまま手足を縛られた豚が運び込まれて、個人宅で仕込みをする場合もあります。
仕込み、というのがこれです。
Eは一部始終を目撃したことがあります。
①豚の喉をナイフで裂いて絶命させる。
②喉から出る血をバケツで受ける。
③腹を裂いて臓器を取り出す。
⓸空きスペースにニンニクや玉ねぎ、調味料などを詰めて縫合する。
⑤体中の毛を丁寧に剃る。
⑥豚の体の中心にハンドル付きの太い串を刺す。
というものです。
この後は炭火の上で串の片側についたハンドルを回しながら長時間じっくり焼きます。
①では、喉を裂く際に豚が断末魔の咆哮を辺り一帯に轟かせます。
②で採取した血液は、③で採取した内臓と一緒に煮込んでパーティーでご飯にかけて食べます。これなかなかおいしいです。
③の臓器を取り出すときは大量の腸がボロボロとこぼれ落ちてきて圧巻です。
この作業は、料理を翌日のパーティーで振舞おうとするなら真夜中から行われます。
朝方から焼き始め、焼き上がるに数時間かかるからです。
従って、娘が見たことがあるのは早朝に仕上がっている⑥の仕込みの最終段階くらいかなと。
命のやり取り、というと大げさだけど豚が親戚のおじさんたちによって喉を裂かれて激しくもがく場面はまだ見たことがないようです。
Eはその場面を見てどう思ったかというと、
へえ、こうなるんだ
でした。
特に驚きも、恐怖もなく「生き物が死ぬときはやっぱり苦痛と恐怖でいっぱいになるのか」と納得しました。
まあ、いい大人ならEと同じように平然としていられる人も多いかと思います。
実際、フィリピン人は100%全員平然と豚を殺します、食料だから。
Eが娘に、レチョン調理の最初のステップを見てほしくないかといえばこれまた逆で、人生の中でも最大級に重要な課題「死とは何か、生とは何か」を考える機会は早いに越したことはない、と考えています。
Eは人生の前半では、死の現場を目撃するという機会がほとんどなかったから、なおさらそう思うのでした。
今回の葬儀を通じて娘が見たのが、葬儀場で見た遺体、葬式で棺の扉が閉じられ、火葬場に運ばれて棺が炉に入れられ、ご遺体が焼かれて骨になった姿。そしてその時に喪主の男性(亡くなった方の息子さん)が嗚咽して涙する姿。
さらに娘自身もご遺体の骨を箸で拾って骨壺に収める、という目の前の死に直面するという経験をしたわけです。
パパEに前述の問いをするまでの数日、娘が何を感じていたのかはわかりませんが、寝る前にパパEと戯れている時の突然の問いには、何か思うところがあったのでしょう。
パパEの答え
娘が生まれたのはEが40代後半のこと。平均寿命まで生きたとしても、パパEは平均的なパパより(娘の年齢との対比で)早めに死ぬことになります。
もちろん娘もそう遠くない将来自立して(十数年ってそう遠くないですよね)、親の元を離れることでしょうが、娘と娘が生きる世界の行く末をできるだけ見ていたいという気持ちは、当然強くあります。
もちろん平均寿命より前に死ぬかもだし、平均寿命を超えて娘の存在も認識できないほどボケても生き長らえるかもしれません。
そんなEが死についてどう考えてきたか、その思索に影響を受けてきた過程は概ねこうでした。
①20代前半まで 死の存在が遠すぎて特に考えず。
②20代中頃 いつかは自分に訪れる死について考えることが増える。死の瞬間の想像が恐ろしくて仕方なくなり「救済はないのか」と考えるようになる。
③20代後半 歴史を経てきた宗教にこそ「死の恐怖への救い」があるのでは、と考え書物を読み漁る。
特に日本仏教を深掘りし、実際に真言宗の高野山、浄土真宗の西本願寺(本願寺派)に東本願寺(真宗大谷派)などの寺院を実際に訪れたりもする。
結果、仏教の教義そのものよりも空海の天才性に魅了される。
一方、日本仏教自体の仏教開祖ブッダの教えとのあまりの乖離にあきれる。
⓸30代前半 アジア放浪旅行で様々な国の宗教を実際に見る。仏教のタイ、カトリックのフィリピン、ヒンドゥー教のインドにネパール、ムスリムのパキスタンにマレーシア、などなど。
1年にわたる旅の末「宗教と人間の幸福って関係ないよね」という結論に至る。
⑤そもそも20代前半から ロックバンド「Blanky Jet City」の浅井健一氏の音楽世界に引き込まれる。
特に作詞作曲、ボーカル&ギターの浅井健一氏の歌詞世界に魅了され、価値観や人生の方向性が大きく変化する。その中に死生観といったものも含まれる。
浅井健一氏は1992年のデビューから2025年現在まで、最低でも毎年1枚は発表するなど30年以上途切れることなく音楽活動を続けていて、Eは現在に至るまで浅井氏の影響を受け続けている。
と、宗教についての興味は30代前半で途切れます。
ところで、ロックミュージシャンである浅井健一氏のことを「氏」を付けて呼ぶのはあまりにも不自然すぎるので、ここはファンなら誰でもおなじみの彼のニックネーム「ベンジー」と呼ぶこととします。
人は他人から様々な思想の影響を受けるものですが、Eもこれまで数多くの影響を受けてきました。
その中でも、敬虔なクリスチャンやムスリムが聖典を朗誦するかのように、、Eはかれこれ30年にもわたってベンジーの歌を聴き、時には口ずさみ、人生の道しるべを求め続けたのでした。
車のカーステレオは常にベンジーの曲が流れ、果てはギター片手に(過去記事でも触れましたがギター弾くのって片手では無理では?)YouTube動画までアップしたりと、Eのそばには常にベンジーがありました。
Eによるベンジーの曲「ハラピニオ」のカバー動画
近年、ミュージシャンやインフルエンサーのコアなファンを「信者」と呼ぶことがありますよね。
Eはまさにこれです。
ベンジーの信者といっても過言ではありません。
彼の歌詞や発言は、とりあえずすべて受け取ります。
もちろん「信者=盲信」であるわけはないので、自分でかみ砕いて、腑に落ちた言葉を自分の自分の血液や細胞に溶け込ませるわけです。
当然、音楽作品の「歌詞」はフィクション世界なので、「歌詞世界=ベンジーの思想」とは限らないでしょうが、そこは受け手であるEにはそれほど重要でなく、まさに迷える子羊Eを導く言葉を探す中で出会ったのがベンジーだったというわけです。
ベンジーについては今後も「随筆」シリーズの中で語っていこうと思いますが、ここでは娘の問いへの返事に、パパEが引用したベンジーの言葉のひとつを紹介します。
ベンジーが 浅井健一 & THE INTERCHANGE KILLSという名義で2017年に発表した『Sugar』というアルバムの『Beautiful Death』という曲の歌詞の一部。
この曲、「美しい死」というタイトルからしてベンジーの死生観についてのものと思われます。
真っすぐ生きて きれいに死ぬ
愛するものを 愛し続け
真っすぐ生きて きれいに死ぬ
愛するものを 愛し続け
できたら途中でたくさん
笑える場面があればいい
できたら途中でたくさん
感動できたら なおさらいいぜ
「Beautiful Death」 歌詞 浅井健一
この曲の中でEが強く共感する部分が「たくさん笑える場面があればいい」「たくさん感動出来たらなおさらいいぜ」の部分です。
「Beautiful Death」のYouTube公式動画
昨年2024年末に還暦を迎えたベンジーですが、昔からこれと同義の内容の歌詞を残していて、それらをEなりにまとめるとこうなります。
「人生は短いぜ。だからさー、できるだけ好きな人と一緒に過ごして、笑って明るく楽しく生きようぜ。ついでに感動もできたらなおさらいいよね」
ということなのかなと、勝手に解釈しています。
これはもう長年、Eが遺伝子レベルで身体に浸み込ませた人生観になっています。
この考えが、これまでのEの行動や人生の選択の多くを決めてきたとも言えます。
そんなEは、初めての日本の葬儀で死に直面して、身近なものとして考え、パパにどうして人は死ななければならないのか、と聞いた娘の問いにこう答えました。
というか、こう答えるしかありませんでした。
それは(人が死ぬことは)しょうがないから、毎日大好きな人と楽しく過ごしていないとダメなんだよ
と。
「しょうがない」と、ほぼ答えを回避したのはこの答えが7歳バージョンだからです。
もう少し深掘ると、こうです。
この世界には人間が想像するような神さまは存在してなくて、どうして生と死があるか、生命があるのかも一生誰もわからなくて、誰も死の恐怖と苦しみからは逃れられないんだよ。
だから人生できることの中でベストのことをするべきで。
この地球の生き物は生存競争が不可避でしょ。生き物は何よりも先に危険を排除して苦痛を取り除くことが必要だけど、人類は生存競争ではもう勝ち組で、割と快適な環境で寿命まで生きられる可能性がかなり高いよね。
となれば、できるだけ毎日を楽しく生きられるように心の働きを整えられるようにすれば、死の恐怖を忘れて幸せに生きられると思うよ。
だってパパがそうだから。
と、これは12歳バージョンくらいかな。
さて、この考え方によって最高レベルの幸福状態を手に入れた人物がいます。
それは他ならぬ、負けない派遣社員E自身です。
すでに相当な長文になったので、幸福についてさらに深掘った過去記事を載せておきます。
「幸福」についての過去記事です。
当然娘はパパEの答えに、完全納得はしていないことかと思います。
幸福は人によって違います。
ある人の幸福が他の人にとっては不幸、というケースは珍しくない、というかそれが当たり前です。
ただ、幸福を手に入れる方法論はある程度決まっています。そこは前述の過去記事をどうぞ。
これからもパパEは娘の成長の各段階で自分が納得できる死生観、人生観にたどり着けるように手助けしていくつもりです、というか手助けさせてほしいです。
だって、娘と妻と家族の存在はEの「最高レベルの幸福」の最大原因だから。
最善の死に方
Eとしては、できるだけ長生きして、少なくとも平均寿命は超えてから死ねるように頑張りたいと思っています。
なぜなら、Eはこれまでの経験からこのことを知っているからです。
人が平均寿命を超えて身体も頭も相当程度衰えてから死ぬと、残された者の悲しみは薄れる
このことは、例えばまだ子供が幼いうちに、パパやママが突然の不幸で亡くなった場合と、高齢で体が衰えて歩けなくなり、家族の名前も思い出せないくらい認知機能も衰えてから亡くなった場合と、悲しみの度合いを比べて想像してみればわかることでもあります。
だからこそ、愛する家族の悲しみを和らげるためにも、老いてボロボロになってから死ぬことを目指すべきなのかな、と今回思わされたパパEでした。
まとめ
「思うまま自分のためだけに書く」と随筆を書いてみると、いつまでも終わらないエンドレスになってしまうことに気づきました。
確かに、思考ってエンドレスでとりとめがなくて合理的でもないわけだから、ただ思考に従って構成も決めずに書いていたら終わるわけないですよね。
それに気づいて無理やり終わらせた今回の記事、きっと最後まで読んだ人にも何の得るものもなかったことでしょう。
が、なんとも楽しい作業だったのでこれからも時々は随筆を書いていこうと思います。
次回をお楽しみに!
人生の答えを探しに旅をしよう!