派遣社員Eの2002年の放浪旅行記の続きです!
2002年、海外移住のきっかけを求めてアジア放浪中のE。当時は30代初め頃です。
なぜかシンガポールで出会った日本人に台湾での日本語教師の職を勧められます。
とはいえ、いまだに台湾を訪れたこともなく、台湾についての知識もほとんどなかったE。
バンコクでタイ正月を過ごすとお試しで台湾に初渡航を果たします。
果たして台湾は移住の候補地としてどうだったのでしょうか?
って、このブログの読者ならEがこの放浪旅行を終えた後に台湾に移住したことはご存じのはず。
前回の記事です。
さらばバンコク、いざ台湾!
タイ正月を過ごしたバンコクを後にし、台湾は台北市へと向かいます。
過去記事でも語りましたが、Eはこのとき放浪旅行も5か月ほど経過。旅が当初考えていたようには上手くいってなくて軽いうつ状態に入っていたのでした。
移住先として台湾を確保したわけだし、この時点では旅を終えることも考えていたE。
とはいえ移住するにも台湾という地を一度は見ておかなければ。
では、初渡航前のEは台湾についてどう思っていたのでしょうか?
①正直タイやシンガポールのような常夏の南国に移住したい
②バナナが名産らしいこと以外、台湾についてマジで何も知らなかった
③中華料理は大好きなので食べ物にはおおいに期待していた
そう、Eはこの放浪旅行の開始当時から移住先としては常夏の南国以外はあまり眼中にありませんでした。
後から知りますが、台湾はまあ一応南国といっても差し支えはないですよね。
バナナにマンゴーにライチなどの南国フルーツがおいしいし、夏は4月から9月ころまではしっかり暑いです。
が、冬は結構寒い日もあって台北は雨が多いし南部の高雄市でも10℃以下のような日もあり、常夏の島とは言えない国。
当時のEの台湾についての知識のなさ具合はひどいもので、そういった台湾風土に関する情報もなければ、日本や中華人民共和国との歴史上の関係性すらも知らず。
なんと台湾がかつて日本の植民地だったことさえ、大学入試の社会は世界史を選択して日清戦争などについて勉強したにも関わらず、知らなかったのでした。
一応買いましたよ。
バックパッカー御用達の『地球の歩き方 台湾』。バンコクのカオサンロードにある古本屋で買っておいたのでしたが詳しく読むのは入国してからでした。
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要するに、放浪旅行の出発前には台湾が移住の候補地となることなど全く想定していなかったのでした。
さて、バンコクをチャイナエアラインで発ったE。
チケットはバンコク発、台北経由東京行き。
そう、台北に滞在した後は日本に帰国しますがご安心ください。結果1年に及んだ旅は日本に一時帰国した後もまだまだ続きます。
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台北到着!
もうすぐ夏を迎えようかというまだまだ涼しい四月の台北に到着。
Eがかつて日本語教師をしていたのは台中市。台北市には住んだことがないけど台湾人の話によると台北はこの時期は雨が多いとのこと。
実際、Eがこの年に滞在した10日ほどの間もほとんど雨か曇りでした。
気温も長袖が必要なくらいで、それまで数か月を過ごした灼熱の東南アジアを離れて久しぶりの涼しさを味わいます。
ちなみにEはこの前年に中国の北京と上海を旅行したことがあって、台湾も同じような感じなのかなと想像していました。
空港からバスで台北まで向かう車窓はなんとなく日本のレトロな風景を思わせます。
バスを降りると立派な台北駅舎が見えます。
なるほど中華風?、の立派な建物。とはいえこれが駅なのかという作り。
到着は昼過ぎで、さっそく『地球の歩き方』に載っていたドミトリーのある安宿を探します。
ありました、台北駅至近の安宿が。

安宿の窓から見える台北駅舎 撮影:E
謎のゲストハウス
これがわけわからん宿で、ビルの一室がゲストハウスになっているようですがスタッフがいません。
宿泊客らしき外国人に(英語で)聞くと、とりあえずドミトリーのベッドは空いているとのこと。
いったん荷物を置いて、机に置いてあった宿帳に名前やらパスポートナンバーやらを記入して待つとします。
と、しばらく待っても宿のスタッフは来そうにないので付近を散策。
台北の街の中心部は、前年に訪れた北京や上海と比べるとかなり近代的。
とはいえ、そこかしこにレトロな雰囲気をまとっています。
台北駅の向かいには新光三越というひときわ背の高いビルがそびえていました。
そこにはバンコクの伊勢丹(現在はありません)やシンガポールの高島屋のように近代的なデパートの姿があります。
もう日が暮れてお腹も空いていたE。
屋台街など探したいところですが、新光三越の地下で見つけた大衆食堂に入ります。
写真付きのメニューを見ると、なぜかいわゆる中華料理といった風情の料理が見当たりません。
若い店員さんにおすすめ料理を(英語で)聞いてみました。
するとメニュー写真にある料理のひとつを指さします。
それを注文すると、このような料理が出てきました。

台湾名物の蚵仔煎。これは2008年頃に台中市の屋台で食べたもの 撮影:E
これは台湾名物の「蚵仔煎」という屋台料理。
料理名は一般的に(北京語でなく)台湾語の発音で呼ばれていて、カタカナで言うと「オアツェン」が近いです。
旅行ガイドブック『地球の歩き方』を片時も離さないE。本の中で紹介されている台湾屋台料理の中にも「蚵仔煎」はありました。
「蚵仔煎」という料理は日本ではよく「牡蠣オムレツ」などと訳されますが、小ぶりの牡蠣がふんだんに入っています。
この牡蠣の食感が生っぽくて最初はびっくりするんですが、これで食あたりを起こすということはないのでご安心を。
こういったB級グルメが大好きなEはもちろん満足。
空腹を満たしたところで宿に戻りました。
そんなわけでこの日の散策、台北駅から半径100m以内で完結したのでした。
宿に戻るとなおもスタッフ不在。
とりあえずこの夜は空いているベッドで寝て、翌朝ようやく日本人の若い宿スタッフが姿を見せ一泊250元ほどの宿泊代を支払ったのでした。
この安宿、あれから数か月後には閉業します。

画像引用:バーミヤン公式HP 「台湾展」
ところで2026年2月現在、ファミリーレストランのバーミヤンで「蚵仔煎」が食べられるようです。
見た目からして本場のものとはかけ離れていますが、Eも一度食べてみたいと思っています。
台湾の言語事情
ちなみに台湾の言語についてですが、後にEは中国語(北京語)を猛勉強して台湾人相手の日常会話なら問題なく話せるレベルになりますが、この時点では全く話せません。
ただ、Eは中華料理について勉強したことがあって「青椒肉絲」や「麻婆豆腐」といった日本でもおなじみの中華料理だけでなく「乾焼蝦仁(エビチリ)」だとか「什錦湯麵(五目麺)」だとかいった中国語の料理名も、正確な発音はできないまでもカタカナ英語ならぬカタカナ北京語でなんとなく言えたりしていたのでした。
もちろん料理名がわかったりしたところで、旅に必要な意思疎通は全然できません。
ここで移住候補地である台湾の現実を思い知らされます。
現地でほとんど意思疎通ができない
という現実を。
これまでタイ、マレーシア、シンガポール、バリ島では観光地ならたいてい英語が通用しました。
英語力もまだまだだったとはいえ、旅で必要なボキャブラリーはそう多くなく、旅で知り合った外国の旅人と深い話をするでもなければ充分な旅の英語は身についていたE。
が、ここ台湾ではこれまで積み上げてきた英語力はほとんど通用しません。
初日に得た感触では一般の台湾人はほぼ英語を話せず、日本と同程度。
つまり、もし台湾に日本語教師として移住したら中国語をイチから学ばなければならないことになりそう。
これ、台湾移住を勧めてくれたシンガポール在住のノリさんが言っていた通りだったのでした。
どうするE⁉
中国語学習についての過去記事です。
中国語の習得は英語などよりはるかに簡単です。
まとめ
Eの人生に多大な影響を与えた台湾との最初の出会いはこんな感じでした。
正直、移住先候補として訪れたのでなければこの旅で「移住してみたい」と思うことはなかったはず。
実際この10日間ほどの旅は、全然楽しくも何ともありませんでした。
が、別シリーズ「台湾移住2003」の過去記事でも語っているように台湾での生活はこの上なく楽しく、台湾料理も最高だったのでした。
しかしながら、この台湾初渡航では移住先候補として疑問符が付きまくることになります。
最大の理由はやはり言語、中国語しか通じないという問題なのですが、この後の旅はどう推移していくのでしょうか?
次回をお楽しみに!




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