2002年のアジア放浪シリーズ、まだまだ続きます。
バリ島からシンガポールに帰還して旅の始まりの地、タイへ戻ることを決めたE。
なぜまたタイに戻ったのか?
それは間もなくタイ正月(ソンクラーン )が始まるからだったのです。
多くの旅人から、とにかく盛り上がる、めっちゃ楽しい、絶対に体験してみるべき、と聞かされていた「水かけ祭」とも呼ばれるタイ正月では、どんな熱狂が繰り広げられるのでしょうか?
前回の記事です。
マレー半島逆走
再びタイへ!
もちろん陸路で経済的に移動します。
元来たルートをそのまま逆走するわけですが、このあたり記憶がかなり曖昧ではあるもののマレー鉄道は使わず、全てのルートでバスを利用したと記憶しています。
確かその方が速く、節約にもなったはずです。
なにしろタイ正月が始まるまで時間がなかったので、途中で滞在したのはクアラルンプールだけ。
クアラルンプールは前回も滞在したし、カレーがおいしいこと以外それほど興味をそそられた街でもなく。
前回宿泊したチャイナタウンのゲストハウス「バックパッカーズ トラベラーズイン」に1泊。
そのゲストハウス、今でもあるようです。
⇒ バックパッカーズ トラベラーズインのagotaのサイトはこちら

バスで【マレーシア→タイ】国境を越え、ハジャイ(ハートヤイ)というタイの南端の街でバンコク行きのバスに乗り換えました。

この時のクアラルンプールはやや曇りがち 撮影:E
バスは長いタイの田舎道を走り、やがて大都会バンコクへと入っていきます。

ハジャイの自動販売機 撮影:E
当時のアジアでちゃんと動いている自動販売機はめずらしかった
バンコク再び!
久しぶりのバンコク!
と、前回訪れた時は毎日快晴の猛暑だったんですが、この時は曇りがちでやや気温は低め。
とはいえこの南国ではさすがに涼しい、とまではいかず蒸し暑い天気でした。
バスターミナルで長距離バスを降り、最安3.5バーツで乗れる赤い市バスで旅人の聖地カオサンロードへ。
前回のタイ旅で、バンコク滞在中に常に利用していたカオサンロードの裏手にある最安のゲストハウス「ママズハウス」に再びチェックイン。
ドミトリーの醍醐味
ドミトリーとは、ひと部屋に二段ベッドがいくつか並べられていて、宿泊者はそのベッドの一つを占有でき、トイレと水シャワーは共有、という宿の形態。
ママズハウスのドミトリーは1泊50バーツ、当時のレートで約180円という激安。長期滞在にはホントに助かりました。
現在、ママズハウスのあった場所はタイ料理レストランになっていることをGoogle Map上で確認してます。
「個室じゃないと落ち着かないのでは」と思うかもですが、この宿には宿の入り口にちょっとした共有スペースがあって、旅人同士の出会いに事欠きません。他の宿に泊まっている旅人がここの共有スペースに集ったりもしていました。
毎日他の旅人たちと交流したり、ごはんを食べに行ったりと楽しく過ごせます。
ドミトリーはどこの街でもあるわけじゃないので、別の街では個室にも泊まりましたが、逆に孤独で、ひとり旅の意義が失われます。
Eが最後に一人旅(家族を訪れる場合を除く)をしたのが40代の半ばでしたが、その時久しぶりに訪れたバンコクで、やはりカオサンのドミトリーに泊まり、日本人、中国人、スペイン人などとの交流を楽しみました。
ドミトリーに泊まることこそがひとり旅の醍醐味なのでした。

当時のアジアのドミトリーは大体こんな感じの部屋です。
カオサンで出会った日本人
前回のバンコクは大学生が冬休み前後の時期で、カオサン周辺は日本人の若者でにぎわっていたんですが、タイ正月の4月中旬はすっかり様変わり。
ママズハウスの宿泊客はタイ正月を迎えるにもかかわらず少なめで空きベッドが目立ち、年齢層も高めになっていました。
そんなカオサンで出会った新たな旅友です。
やっちゃん
ママズハウスで同宿のやっちゃん。
20代と思われ、カーリーヘアで口ひげを生やし真っ黒に日焼けした関西人。
一見現地の人にも見えなくもない。特に目的も持たず長期放浪する廃人系の旅人。
共有スペースにいつもいるので自然と顔を合わせますが、あまり自分の人となりについては語らず。
この後、やっちゃんはタイ正月を存分に楽しみます。
ヒロミちゃん
ママズハウスがあるカオサンの裏手の日本人旅行者が多い一角の別のゲストハウス(名前忘れた、)に泊まっていたヒロミちゃん。
ヒロミちゃんは東京に住むOLで、長めの休みをとってバンコクを訪れていました。
これも記憶が曖昧なんですが、確かヒロミちゃんの泊まっているゲストハウスにも入り口に共有スペースがあって、そこでEが「ゴルゴ13」を読んでいた時に出会ったのでした。
この時のバンコク滞在では結構ヒロミちゃんとあちこち出かけます。
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タイ正月開始!
Eが再度のバンコク入りして間もなくタイ正月、ソンクラーンが始まりました!
近年のカオサンロードは(といっても最後に行ったのは2015年)、夜は大音量で路上ディスコになるなど完全パリピ向けの街になっていますが、2002年のカオサンはそれよりもだいぶ大人し目でした。
もちろん当時も夜は多くの外国人旅行者と現地の若者でにぎわっていたんですが、ソンクラーン初日は朝から大勢の人でごった返していました。
Eが泊っているママズハウスがあるカオサンの裏通りもいつもより多くの人通り。
そして、水掛け祭というくらいですから人々は水を掛け合います。
もともとは仏教の儀式で、香水で清めるという意味があるらしいです。
水鉄砲が主流ですが、その他様々な方法でお互い水を掛け合います。
ものすごく掛け合います。
これでもかというくらい掛けてきます。
どこにいても掛けてきます。
もうやめてと言っても掛けてきます。
そして、こうなります。

2002年 タイの水かけ祭でのE(中央) 撮影:同宿の旅人やっちゃん
この写真、決して雨上がりに撮られたわけではありません。
人々が水を掛け合うあまり、まるで雨が降ったかのように道路が濡れているのです。
それだけでなく、道行く人々も傘なしで雨に降られたかのようにびしょ濡れになっています。
水鉄砲はそこら中で売られていて、マシンガンサイズだと射程距離が推定10メートルくらいのものもあります。
そればかりでなく、顔に泥を塗られます。
知らない人からも顔に泥を塗られます。
一見泥のように見えるんですが、実は白い粉を水で溶いたものだそう。
これまたあちこちで売られています。
そして、こうなるわけです。

カオサンの裏通りで顔に泥を塗られたE 撮影:同宿の旅人やっちゃん
この写真のE、何やら不機嫌そうな顔をしていませんか?
そう、この時水かけ祭にいい加減うんざりしていて軽いうつ状態になりかけていたのでした。
水掛け鬱のE
なにしろこの水掛け祭、タイ正月の初日から三日間絶え間なく続くのです。
朝から晩まで、いや深夜まで、絶え間なく人々が水を掛け合います。
「掛け合う」と言いましたが、Eは自分からは水を掛けないし泥も塗りませんでした。
水かけ祭を楽しめたのは、初日のほんの1時間ほど。
服が常にびしょ濡れで、しかもこの年のタイ正月はずっと曇り空でそこまで暑くありません。
晴れのバンコクなら服が濡れてもすぐ乾くし、そもそも南国で猛暑なので水で濡れるくらいはむしろ気持ちいいくらいです。
が、元々寒がりのEは一日中服が濡れていると少し肌寒く感じます。
もう水掛けないで~、と思うものの街中逃れる場所がありません。
バスに乗っていてもバスの中まで水が飛んできます。
エアコンのないバスなので、窓を閉めるとサウナ状態で開けられません。

バンコクのエアコンなしの市バス
ママズハウスの表の共有スペースにいても、パリピ系外国人が水鉄砲で掛けてきます。
下手をすると奥の部屋にいても掛けてきます。
乾いたTシャツに着替えてもすぐにびしょ濡れで、洗っても曇り空ではなかなか乾きません。
これ、うつになりますよね?
なんでみんな三日三晩楽しそうにはしゃいでいられるの?
ちなみに同宿のやっちゃんは、タイ正月を大いに楽しんでいて、日がな一日大音量で音楽が鳴り続けるカオサンロードでひとり踊り狂っていました。
そんなわけで、水掛けにうんざりしていたEはこんな顔をしていたわけです。

まとめ
旅人たちから、「絶対に体験してみるべき」と言われてバンコクに舞い戻ったE。
なるほど、確かにあれは一度は体験してみるべきです。
が、一日で十分です。
Eのようにパリピでも何でもない、ややオタク寄りの人は一日だけバンコクに滞在して、あとはどこかホアヒンなどの田舎リゾートにでも避難することをお薦めします。
でないとEのように水掛け祭の三日間だけでなく、その後の旅にもうつ状態が尾を引くという結果になりかねません。
水掛け祭でびしょ濡れになりながらも、Eは新しい旅友のヒロミちゃんと三度目のワットポーやモーチットにある巨大マーケットなど観光に行きます。
モーチットのマーケットでは衝撃的な事件にも遭遇します。
うつを発症したタイ正月でしたが、普通に旅の様子の方も紹介していきます。
次回をお楽しみに!