お待たせしました!
2002年のアジア放浪シリーズ、なんと1年半ぶりの更新です。
当時30代前半のEが約1年に及ぶアジア放浪旅行に飛び出しました。
タイ、マレーシア、シンガポールを経て、完全場違いなバリ島へ足を踏み入れてしまったのでした。
バンコクで出会ったパリピのみあちゃんを追ってきたものの、非パリピのEにはいたたまれず、バイクでバリ島一周の旅を敢行。
再びサーファーの聖地クタに戻ってきたというわけです。
シンガポールに帰る便までまだ4日ほどあります。
Eは残りのバリの日々をどう過ごしたのでしょうか!
※なにしろ20年以上前なので記憶はところどころ曖昧です。
前回の記事です。
クタに帰還
それにしても久しぶりのシリーズ更新となりました。
こんなにも時間が空いてしまった理由は、とにかく優先して語りたいことが次から次へとあったから。
書きたいことに対して書く時間が足りていなかったから。
そしてもう一つが、この2002年の放浪旅行でバリ島の旅はそれほど印象に残っていなかったから続きを書くモチベーションが上がらなかった、といったところです。
とはいえE、バリ島でも様々な経験をすることができました。
①人生初といってもいい、サーファーやパリピの人と交流できた
②バリの道路で思う存分バイクで走り回った
③バリの海でボートで魚釣りができた
④バリならではのあることを初めて体験した
といったところです。
①~③はこれまでの記事で語っていますよね。
④については今回語ります。「あること」については海外をそこそこ長く旅をしたことがある人なら察しがついているのでは?

バリ島の道路 撮影:E
と、いろいろ体験できたとはいえですよ、Eの放浪旅行のそもそもの最終目的は外国に移住するきっかけをつかむこと。
バリ島という移住日本人も多い地で、なにかしらきっかけがあればと乗り込んだものの、町の雰囲気からして、どちらかというとオタク寄りのEは合うわけない。バリ初日ですでに目的を失っていたEなのでした。
さて残りの4日をどう過ごすか。
とりあえず、レンタルバイクはしばらく借りておきます。
当時のバリ島は公共交通機関が不便、というかないも同然。
バイクがないと行動範囲が徒歩範囲だけになってしまいます。
再びクタのロスメンに
クタに戻り、再び元のロスメン(安宿のこと)に戻りました。
みあちゃんと、その友達のツトム君とマサル君が滞在している「スカビーチイン」です。
レンタルバイクを借りたのもこのロスメンだし、バイク旅中は荷物も一部預けてありました。

このロスメン、グレードアップして今も営業しているようです。 撮影:E
まずはみあちゃんにバリ島一周からの帰還報告を、といきたいんですがみあちゃんたちサーファーは昼間は海。
とりあえずクタの町を歩き回りますが、特に寄るところなし。
宿に戻ろうか、と思ったEですがあるものを発見します。
バリの美容院
ヘアサロン、です。
そういえばE、放浪旅行を始めて4か月が経とうとしていて、髪がだいぶ長くなりました。
旅をしているだけなんで、別に伸びても構わないし、むしろベテランの旅人っぽく伸ばそうかなと思っていたところでしたが、ヒマなんで寄ってみることにしました。

このヘアサロン、見るからに開業し立て。しかもこの日は開業当日?
店内はやや多すぎるスタッフがあわただしくしているし、店の外も何やらおめでたげな雰囲気。
Eが恐る恐る入るとスタッフが椅子へ案内。
担当の美容師が登場。と、なにやらかなり初心者美容師っぽい若いバリの女性。十代?
しかも、Eの下手な英語があまり通じないよう。
とりあえず、「これくらい切って」とジェスチャーで伝えると散髪開始。
と、この若い女性美容師ですが「ホントに美容師の練習とかしたことあるの?」と疑いたくなる手つき。
なにしろ、ものすごい人見知りなのか、Eの髪に触るのが汚らわしいのか、それではちゃんと切れないだろうというくらいおぼつかない手つきで切ります。
しかもものすごく少しづつ切ります。
「終わったよ」的な仕草がありました。はい、ほとんど切れてないよね。
前髪と襟足が少し短くなった程度。
でもEはこれで良しとしました。
何しろ料金は日本円で500円ほど。
もともとヒマつぶしだったし、外見とファッションにほとんどこだわりのないE。30分のヒマつぶしができたことで良しとします。
ちなみにE、人生で最後にお金を払って髪を切ってもらったのがバリ島のこの時でした。
それ以来、20年以上散髪は自分で切るか、たまに妻に切ってもらっています。

この散髪の日から約10日後のE(写真中央)。髪、かなり長いですよね。
ところでここはどこでしょう?
みあちゃんと再会
ここ、記憶が曖昧なんですが、なんだかんだでロスメンでみあちゃんと再会。
その夜は、ツトム君とマサル君の男子二人が泊まっている部屋に集まることに。
大きめのベッドが二つある広めのシンプルな部屋。Eはビールを人数分持参で訪れました。
もう夜もだいぶ更けています。
みあちゃんと二人の会話を聞いていると、三人はたいてい一緒にサーフィンをしているよう。
クタからバイクにサーフボードを横に乗せてちょっと遠めのいい感じの波があるところまで出かけているとのこと。
と、ここではじめてEは、ある程度ちゃんとしたサーフィンをするには日本のそこらの海水浴場にあるような波ではなく、そこそこ大きな波でないと乗れないということを知るのでした。
でも、そんなの溺れて死ぬでしょ?
じゃ、あの湘南の江ノ電の駅近くの海岸でサーフィンしている人たちって、遊びレベルってこと?
いまだに「ちゃんとしたサーフィン」というものを実際に見たことがないので想像の域を超えないEでした。

そして話題はEのバリ一周バイク旅の話に。
孤独で特に何もない旅でしたが、道がとにかく凸凹だったことや、バリ島の北側は超ド田舎で何もなかったことや、ガソリンスタンドがなくてそこらの商店でペットボトルに入ったガソリンを買ったことなどを話します。
ガソリンについては三人も「あーそうだよね、あれわからんよね~」とやや盛り上がります。
男子二人ともすこし打ち解けてきました。
ここでみあちゃんたち三人は、いつもやっているあることを始めます。
バリならではのこと
マサル君がどこからか2L入りのペットボトルを改造した、あることをやるための器具を出してきます。
その夜はEも仲間入りしてあることを始めます。
バンコクのゲストハウスでもやっている人を見たし、実はEも「一回やってみたいな」と思っていて、ついにその機会が訪れました。
ちなみにEは日本国内では一度もやったことがないし、かれこれ20年以上やっていないので、限りなくホワイトです。
そんなわけで残りのバリの日々、夜はこの三人と過ごすことになります。
あることも毎晩一緒にやったりして、結構楽しく過ごしたのでした。
もうすぐシンガポール帰還
昼間はとにかく一人でヒマなんで、バイクであちこち当てもなく出かけたりしてました。
雨に降られてずぶぬれになって道端のドリンクスタンドで雨宿りしたりなど。
ツトム君たちから、バリの寿司屋に安いセットがあるからとすすめられて、「福太朗」という寿司屋の「刀セット」という格安のセットを食べに行ったり。
福太郎っていう寿司屋は、調べたら今でもあるようですね。
ホントにおいしくて安くて、確か二回くらい行きました。
場所はここじゃなかった気がするけど、なにしろ20年以上経ってるので。
はたまた、「ツトム君やマサル君のように真っ黒に日焼けしたい」と思い立ち、クタビーチに行って皆が楽しそうに遊んでいる中、一人で寝そべって日焼けしてたりなど。
昼はヒマでも夜は仲間ができたたE。
ある夜はマサル君おすすめのカレー店に4人で行ったり。
ところでバリ島って、正直あまりおいしい料理に出会えなかったんですよね。
バリ島の食
タイ、マレーシア、シンガポールではその辺の屋台でも超絶おいしい料理が目白押しだったんですが、バリは屋台ってなかったような。
そこそこおいしかったものが、福太朗の寿司とマサル君おすすめのカレーくらい。
どちらもバリのローカル料理ではないですよね。
バリの北の町、ロビナあたりで食べた地元レストランはなるほどナシゴレンやサテなどのマレー系料理があったけど、庶民的マレー料理って庶民的タイ料理、庶民的中華料理と比べると、だいぶ落ちませんか?(あくまでもEの個人的嗜好です)

マレー料理の串焼き「サテ」はシンガポールでも食べましたが、日本の焼き鳥のほうが圧倒的においしいし。
バイク旅の間はどうしていたかというと、食堂的なものもないくらいの田舎では、商店で売っているパン。味のないパンを齧ってやり過ごしていたりしました。
そういった意味でも、バリ島はEの移住候補には入れませんでした。
最終的に移住することになる台湾は、もちろん食の面では最高でしたし。

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まとめ
そんな風に、残りのバリの日々をみあちゃんたちと過ごしたE。
三人に別れを告げ、再びシンガポールへと飛び立ったのでした。
みあちゃんとはこの後も細く長く友達付き合いが続き、日本の神戸や東京で何度も会ったりしましたが、ツトム君とマサル君とはそれっきりでした。
そんなわけで最初の予想よりも、そこそこ楽しかったバリ島旅。あれから20年、一度も訪れていません。
あのド素人美容師さんが一人前の美容師となって活躍されたことを祈るばかりです。
今回の記事内で少しネタバレしましたが、シンガポールに戻ったEはマレー半島をUターンして旅の始まりの地、バンコクを目指すのでした。
そう。
タイ正月、ソンクラーンです。水かけ祭りです!
次回をお楽しみに!
