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人生を変えたアジア放浪旅行、旅立ち準備編 こうして英語を始めました

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先日Eがかつて海外を目指したきっかけについて語りました。
とにかく「外国の人たちと交流するのって楽しい」ということに気づいたEは勤めていた会社を辞めて海外に飛び出すことを決めました。
今回からEが体験した旅についてのシリーズが始まります。

準備として旅の目的である海外移住を果たすに不可欠な英会話の勉強を始めました。

始めに簡単にこの後に起こったことを紹介すると、
会社を辞めてたEは、3か月毎日英会話学校に通い、バックパックを購入、ほぼノープランで片道の航空券を手にバンコクへと旅立ったというわけです。

海外長期旅行のプラン

Eは働いていたレストランの店長の職を辞め、その翌日から辞めたレストラン近くにある、当時日本中の駅前に教室を持っていた英会話学校に通い始めました。

辞める時、実質ノープランでした。
ただ、とりあえずのゴール設定だけはありました。
まずは「海外移住」「外国に住む」ということでした。

ノープランとはいえ、若干のリサーチはしてありました。
ネットの普及していなかった時代、書店で海外移住や長期旅行に関する本を探す日々。

その中でいくつかスキルなし語学力ゼロだったEが見出した外国に住む方法がこれでした。

・青年海外協力隊になる
・ボランティア団体の職員になる
・とりあえず外国に行って何かしらアクションを起こす

なんと現実味のない計画か。
その頃、若くて楽天的で自分はなんでもできる、と根拠のない自信にだけにはあふれていたEは、こんな状態で会社を辞めちゃっていました。

青年海外協力隊になる?

会社を辞める前、休みの日に一度、JICA(独立行政法人国際協力機構)の説明会に行ってみました。
結論は、医者でも看護婦でも技術者でもないEが途上国でできるボランティアとしての働きは「マラリア蚊の研究のための実験台」しかないことがわかりました。

よほど当てがなかったらこれでいくしかない、といった感じでした。

ボランティア団体の職員になる?

これなら特別スキルがなくてもできそう、とこれも根拠はないけどそう思っていました。
よって選択肢としては上位でした。

ボランティア団体の中には学生などが途上国のボランティア施設を訪れて活動を紹介するというスタディーツアーや、実際にボランティア活動を体験するワークキャンプを実施しているところがあって、Eはこれに参加してみたいと思っていました。

何かしらに参加してその団体と関わることによって定職として海外の拠点で働くといったチャンスがあるんではないかと。
その考えはそう間違いでもないことが後々わかりました。

というのも、これから始まる旅の途中で実際にEは学生の夏休みのタイミングで行われていたフィリピンでのワークキャンプのひとつに参加しています。
Eがフィリピンのワークキャンプに参加したボランティア団体はこちら

けど、学生の休みの時期はまだまだ先。
さしあたってこの時のEができることは3つ目の選択肢でした。

とりあえず外国に行って何かしらアクションを起こす?

これしかありませんでした。

こんな適当な計画で海外移住なんてできるの?
と思うでしょうが、Eにはひとつだけそう思える根拠がありました。

というのは、その頃のEは若者にありがちな多くの精神的な葛藤を乗り越えていました。
簡単に言えば「人見知りの克服」に成功していたんです。

初対面の人と話すことはもちろん勿論、道行く人にいきなり話しかけたりすることも何の抵抗もないくらい、もっと言ってしまえば話しかけた人に「何だコイツ」とばかりに嫌な顔をされたとしても屈しないくらいの「鉄のメンタル」を身に着けていたというわけです。

これは自然に身についたわけではありません。
それまで働いていた会社で店長になる前の若手時代に同じ店で働いていた同年代の同僚に、サービス業だということもあったんですが、コミュニケーションモンスターが何人かいたわけなんですよ。

彼らとよく飲みに行っていたんですが、まあすごくて。
何がすごいかというと、彼らは飲みに行った店で女性に声をかけまくっていました。

Eはそれまで会ったばかりの女性と話すことには慣れていなかったんでかなり戸惑ったんですが、彼らと飲み歩くうちに段々と平気になっていきました。

彼らと同じ店だったのは短い期間だったんですが、名古屋に転勤して店長になてってから、オフィス街にある宴会場を持つレストランだったんで常連の会社に挨拶周りをしたり、オフィスビルに飛び込み営業したり、店でお客さんと会話したり。
仕事上でもコミュニケーション能力がかなり必要とされていました。

それだけでなく、普段から意識して他人とコミュニケーションを取らなければならない状況に身を置くように鍛錬を繰り返していました。
先のことは考えず、まず話しかける、これです。

その結果、外国に行って何かしらのアクションを起こして海外移住を実現できるはずだと思えるだけの自信を持てていたわけです。

ちなみにEのコミュニケーション能力は後に台湾での日本語教師の仕事によって、「話術」という形でさらに磨かれていきます。

約20年前のバンコクの公園 高校生たちとギターでセッション

行き当たりばったりの旅で大丈夫?

いろいろと調べる中で、海外移住するにはやっぱり英語が話せないとだめだという結論に至りました。
会社を辞める直前に店の近くの例の英会話学校に申し込んで、辞めた次の日から通い始めました。

まずはクラス分けのレベルチェック。
大学受験の時、英語はそこそこいい成績だったんで意外といいクラスに入れる?
と少し期待していたんですが、やっぱり最低ランクのクラスに入れられました。

もう今や全ての日本人が自覚していると思いますが、高校まで学校で勉強した英語は会話する上では何の役にも立ちません
Eもその例にもれず、初対面からの会話の場面で英語でどう対処すればいいのか全く知りませんでした。

例えば、人に呼びかける時に日本語では「すいません」といいますが、これをそのまま英語に置き換えて " I'm sorry " というのは間違いです。
「何をいきなり誤ってるの?なんか悪いことしたの?」って思われてしまいます。

答えは "Excuse me" です。
これ始めのうちは、なかなか口が回りませんよね。

ちなみにEのブログ内で英語をカタカナ表記することはしません。
Eはカタカナ英語を排除することでそこそこ通じる発音を会得してきました。
英語のカタカナ表記は英語学習にとって毒だと思っているからです。

もしするとしたら、「" Let It Be " という曲を日本では「れっといっとびい」と呼んでいる」といったように、ひらがなで揶揄する形で表記します(失礼をば)。

"Excuse me" など英語の正しい発音が知りたければ、Googleで検索してください。
「聴く」のボタンを押せば音声が流れます

引用:https://www.google.co.jp/


最低クラスに入れられたEですが、毎日40分の授業を2コマ(一日の限度が2コマ)を受け、会話の場面で使うフレーズをどんどん身に着け、受験勉強でそこそこの語彙力もあったのでEの英語レベルはぐんぐん伸びていきました。

それに前回の記事にも書いた通りEには英語を勉強する上でのある素地が備わっていました。
小学生から始めていた洋楽を「聴いた音のまま歌う」という訓練、というか趣味、を続けていたので自然と通じる英語発音が身についていました。

中学生の頃に覚えた曲、Michael Jackson の " Beat It "

ともかく、
英会話の勉強期間を3か月と定め、バックパッカーとして放浪の旅に出ることを決め、バンコク行きの片道航空券を購入。

英語の方も3か月後には英会話学校の先生とは40分の授業でまあまあ会話が成立するまでに成長。

準備万端で意気揚々とバンコクへと旅立ったEでした。

まとめ

今回は長く続く旅の準備編でした。
3か月間、イチからみっちり英会話を勉強したEでしたが、もちろんそれで英語がペラペラに話せたわけではありません。

あれから20年、途中で中国語の勉強の期間が10年近くあり、細く長く続けてきた英語。
今では普段家族と英語中心で会話していますが、ペラペラというにはほど遠いレベルです。

日本語教師の経験から言っても、30代以降に外国語の勉強を始めた人がペラペラに話せるようになるのは至難の業だと思います。
が、英語も中国語もそこそこ日常会話をすることができています。

外国語が全くダメなバックパッカーも多く見ましたが、それではやはり旅行先でできることが限られます。
外国人との交流、海外移住という目的を持つ人には外国語ゼロはあり得ません
が多くの人にとってハードルになっていることは確かです。

まずは踏み出してみましょう。
言葉が通じる楽しさ、交流できる楽しさが実感できれば始めのうちはどんどん伸びていくことでしょう。

次回は旅のスタート「バンコク編」です。
お楽しみに!

今は話せなかったとしても、これがあればなんとかなります。
旅の最強のコミュニケーションツールです!

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